10月13日(日) 午後11時過ぎ 母は亡くなりました。
3年前に 喉頭がんのステージ4(リンパ節まで転移あり)で
喉頭・声帯摘出手術を受け 闘病してきましたが・・・
今年8月の時点で 「余命3か月」 の宣告を受けました。
本人には知らせず・私と父とで主治医の話を受け 心にとどめました。
数日前から 食事をほとんど取らなくなり 好きなお酒も全く飲まなくなり・・
それでも 自宅で 父とすごし、トイレにも自力で行くし 当日の朝は
私が迎えに行き、外出までしたのです。
午後 帰宅後は 相変わらずゴロゴロしていましたが まさか、その日の晩に
急変するとは思いませんでした。
肺に転移していたので その最期は さぞかしつらい思いをするものなのかなと
予想はしていましたが 父の話によると 少しも苦しむことなく あっというまに
天に召されてしまったようでした。
声を出すことができなかったので 何も言葉は残してはくれませんでしたが・・
最期の日に 数時間でも会えたことが せめてもの救いになっています。
自宅で亡くなってしまったので 警察の検死が入り すぐに遺体は帰してもらえませんでした。
通夜、葬儀の日程も都合上 初七日をまたいで行われたため 母は
「エンバーミング」という処置をしてから 帰ってきました。
抗がん剤の副作用で 黒くなった顔も ちょっと開いた口元も きれいになっていました。
この処置の事は 私ははじめてしりましたが すごいなあと思いました。
その分 お金はかかりますが 最期まできれいなまま ドライアイスも必要なく
鼻の詰め物もなく。。。 母らしくきれいなまま 送ることができました。
母は、もう二度と会えない場所に行ってしまいましたが 心の限り 供養をしてあげたいと思っています。
現代における「癌」は 決して不治の病ではないと聞きます。
でも やはり 癌はこわい。
そう 痛感した3年間でした。
合掌。
3年前に 喉頭がんのステージ4(リンパ節まで転移あり)で
喉頭・声帯摘出手術を受け 闘病してきましたが・・・
今年8月の時点で 「余命3か月」 の宣告を受けました。
本人には知らせず・私と父とで主治医の話を受け 心にとどめました。
数日前から 食事をほとんど取らなくなり 好きなお酒も全く飲まなくなり・・
それでも 自宅で 父とすごし、トイレにも自力で行くし 当日の朝は
私が迎えに行き、外出までしたのです。
午後 帰宅後は 相変わらずゴロゴロしていましたが まさか、その日の晩に
急変するとは思いませんでした。
肺に転移していたので その最期は さぞかしつらい思いをするものなのかなと
予想はしていましたが 父の話によると 少しも苦しむことなく あっというまに
天に召されてしまったようでした。
声を出すことができなかったので 何も言葉は残してはくれませんでしたが・・
最期の日に 数時間でも会えたことが せめてもの救いになっています。
自宅で亡くなってしまったので 警察の検死が入り すぐに遺体は帰してもらえませんでした。
通夜、葬儀の日程も都合上 初七日をまたいで行われたため 母は
「エンバーミング」という処置をしてから 帰ってきました。
抗がん剤の副作用で 黒くなった顔も ちょっと開いた口元も きれいになっていました。
この処置の事は 私ははじめてしりましたが すごいなあと思いました。
その分 お金はかかりますが 最期まできれいなまま ドライアイスも必要なく
鼻の詰め物もなく。。。 母らしくきれいなまま 送ることができました。
母は、もう二度と会えない場所に行ってしまいましたが 心の限り 供養をしてあげたいと思っています。
現代における「癌」は 決して不治の病ではないと聞きます。
でも やはり 癌はこわい。
そう 痛感した3年間でした。
合掌。