「振り返らずに」
初めて救急車に乗った。
前夜、胸に圧迫感があった。朝になって血圧管理をして頂いているかかりつけの医院へ行くと不整脈だと診断され、すぐに大きな病院へ転送ということになった。
「ここへは誰と、どうやって来られましたか?」
「いつも一人で自転車です」と答えた。
「おそらく入院になりますから、ご家族に連絡を」
と言われ、それほど重篤なのかと驚きながら仕事中の娘に伝言を残した。
「入院の準備と自転車を置きに、一度家に帰りたいのですが」
と看護師さんに言うと
「だめです。このまま行ってもらいます。自転車と命とどっちが大切ですか?」
私は思わず「どっちも」と答えた。退職したとき妻が買ってくれた思い出の詰まった大切な自転車。医院の壁に立てかけておいた。
救急車が到着するまで、ストレッチャーに寝かされた。でもそれほど危険な状態だという自覚がまだなかった。最近は血圧も安定して週に二度、テニスで走り回っている。
救急車が走り出した。固いサスペンションの振動を全身で受けて「かなり揺れるんですね」と隊員さんに話しかける余裕が、まだあった。
三十六年も連れ添った妻は、ガンで五年前に逝ってしまっていた。最後の数年間は入院が多く、私は彼女の着替えを持って毎日病院へ通った。洗濯くらいはできる。だが、彼女は、自分に頼り切りだった亭主を残すことをとても案じていた。
ベッドで、もう起き上がれなくなった日、妻は涙を浮かべている私にこう言った。
「お父さん、私がいなくなってもまっすぐ前を向いて歩いて行ってね。人は後ろ向きには歩けないし、振り返ってばかりいたら、つまずくよ」
そう言われても前向きになんてなれやしない。夫婦はいずれ別々に逝くとはわかっていたが、私の歳と持病では私が先だろうから、何かあれば妻に看病してもらえると思っていた。結局、料理もやりくりもできず、腹もくくれない亭主の私が残された。
先立たれ、置いていかれた感に苛まれていたのだが、ここにきてまさか不整脈とは。だが、ピンピンコロリで逝けるのかもしれない。
でも、とっくに自分の番がきていたのだ。
やはり妻が逝ってからは、自分でも驚くほど急速に老いた。娘と家事を分担しても間違ったり、忘れたりしてしまう。可愛い孫たちと離れて暮らしているとはいえ、メモを見ないと歳も誕生日も覚えられない。しかも一日中何かを探している。
まわりに聞くとみんなそうらしい。だが妻がいれば「私も同じよ」と慰めてはくれるだろう。
「妻がいてくれたら」と、情けなくなるほど毎日思う。短くはあったが、ガンが見つかるまでのゆったりした生活や妻との会話を思い出すと悔しくてならない。亡くなった当初より今の方が心細さは増している。だから振り返ってばかりいる。妻は、それを予見して「振り返らずに前を向いて」と、あのとき言ってくれたのだ。
そんなことを考えていると救急車が病院の敷地に入った。娘はまだ来てなかった。また不安が広がってきた。
救急治療室に入ると「電気ショックのほうが手っ取り早いね」という先生方の会話が聞こえた。これには思わずびびってしまった。
その後、心エコーを撮ってもらっていると「脈が戻りました」と叫ぶ声が聞こえてほっとした。三途の川岸まで行っていたのかとやっと自覚した。
その日は幸いにも入院しなくてもよくなった。もしまた胸が苦しいときは飲むように言われた薬をもらい、駆けつけてくれた娘とタクシーで帰宅できることになった。長い一日だった。
でも、これから今日のような場合、着替えなどはどうしたらいいのだろう。父親のパンツのありかなど娘が知るわけはないのだ。急に心配になってきた。忘れないうちに、着替えなどを詰めた「入院セット」を準備しておかないといけないと思った。これを思いついたことは一つの進歩だと自分をほめた。娘にできるだけ迷惑をかけないために、できる準備はしておかないといけないのだ。
翌日、夏用と冬用の着替えなどを用意し、バッグに詰めて部屋に置いた。何かあればこれを持って来てくれと娘に頼んで、やっとホッとした。
「妻がいてくれたら」と思うことはやめないといけないと強く思った。あれほど言ったのにと妻が心配するだけだ。自分がしっかりしないと娘が可愛そうだと気付いた。あと少ししかない父の人生が終われば、娘は残る自分の長い人生をひとりで歩まなければならない。だが私ほどメソメソはしていない。
「お母さんがいなくて寂しくないか?」と聞いたとき「思い出は、心のアルバムにいっぱい溜め込んでいるよ」と笑った娘。父よりとっくに前を向いているのだ。
洗面具を買い忘れていることに気付いた。物忘れが多いのも情けないことではない。もう後期高齢者だ。仕方ないと開き直ることにする。
電話が鳴った。
「自転車、忘れていますよ」
医院の事務員さんからだった。
補足 テーマなど)
第3回 2025年のテーマは「心の言葉 ~忘れられない、あの言葉~」 でした。タイトル自由。原稿用紙6枚以内。応募312作品。穂高は第1回の優秀賞(2位)を受賞しました。
審査委員感想・高山先生)
何とも憎らしいほどの見事な終わり方。嫌みがないのはあきらめて来た時間が長かったからでしょう。
同 門田先生)
緊迫した単語があちこち使われているにもかかわらず、ユーモアがあり、軽やかなエッセイに仕上がっています。審査後に第1回優秀賞の方だと知り,審査員皆で盛り上がりました。これからも娘さんと仲良くお過ごしください。
作品集に審査委員から多くの感想を頂きましたが、勝手ながら割愛させて頂きます。