以前もブログに書いた気がするけど・・・


3年前の8月11日

大豆さん(母)は大きな手術をしました

すい臓がんの摘出手術でした

すい臓がんは 発見された時点で

すでに まわりの臓器に浸潤していたり 転移していたりと 

手術のできない状態であることが多いため

「この手術をすれば助かる」

という保証はまったくありませんでした

当日も 手術室に入る主治医に

「もしかしたら お腹を開くだけになるかもしれません」

と念押しされたぐらいで・・・


大豆さん(母)は 無事 手術で取り除くことができました


ただ すい臓がんの予後は非常によくありません

再発の可能性も極めて高く

抗がん剤治療も がんを完治するというよりは

再発までの期間を延ばすもの

という認識で臨むよう 主治医からの説明がありました


もっとも 大豆さん(母)の場合

抗がん剤治療は ほとんど効果がありませんでした

と 言うよりも 副作用が強く

3回実施しただけで 断念せざるを得ませんでした



それから約1年半の3月

大豆さん(母)は もう一度大きな手術をしました


すい臓がんの手術以降 ベッドの上での生活が続き

両足のかかとに褥鎗(床ずれ)ができてしまい

毎週 病院に通って治療は続けていたものの

重度の糖尿病だったこともあり

治療の甲斐なく 壊疽状態になってしまい

その部分からの細菌感染で敗血症になり

左足を切断することを余儀なくされました


このことは 大豆さん(母)がもっとも恐れていたことで

わたしにとっても がんだと聞かされたときよりも

ショックが大きかったように思います

命には代えられないとはいえ

目に見えて 体の一部が失われることの悲しさ・・・

説明を受けた2日後 手術が行われました


手術の翌日にはICUから一般病棟に移り

次第に 敗血症の症状もなくなり 体調も回復していきました


そして 大豆さん(母)に課された次なる課題

失った左足の代わりに

大豆さん(母)の左足となる義足で歩行すること

家に帰るという大きな目標があったため

4点歩行器を使って 家の中では歩けるようになり

半年後には スカイツリーとTDRにも行きました


ただ・・・ 本人的には 義足が重いと

義足なしの方が 軽やかに動けたようで・・・

そして その頃 肺への転移も見つかりました

最初にがんが見つかった時の大豆さん(母)を思うと

せっかく前向きに生きているのに

再び 不安を背負わせるわけにはいかないと

本人に告げないという決断をしました

幸い 大豆さん(母)の進行はゆっくりで

転移は見つかったものの 

生活は大きく変わることはありませんでした

今年の3月には 大豆さん(母)念願の宮島にも行けたし

今度は長崎に行こうと 500円玉貯金も続けてたし

でも 長崎に一緒に行くことは もう叶いません




もうじき 3週間になります

亡くなる2か月ほど前から入院していたので

今 家に姿がないのは 病院にいるからで・・・

という感覚で 妙に落ち着いていたり

でも 家族で見送った最後の時を思い出し

急に淋しさに襲われたり・・・


何度か 大豆さん(母)の夢を見ました

でも それは会いにきてくれたというよりは

3週間前のことを思い出しているような

そんな場面ばっかりです

それでも 大豆さん(母)に会えるなら・・・と


生活は 以前とほぼ変わりなく送れています

ちゃんと仕事にも行ってるし

ちゃんとごはんも食べてるし

ちゃんとテレビも見て ちゃんと寝落ちして・・・


ただ 何かにつけて 思い出してはウルウルと・・・


あと 不思議と 朝起きられるようになりました

大豆さん(母)が起こしてくれてるんだよ

と言われ やっぱりー? と思うこともあったり

まだまだ近くにいてくれてるんだなーと 思うこともあったり



この3年間

大豆さん(母)を介護と看護できたことはしあわせでした

やさしくないし 厳しいし 雑だし

完全に自己満足だとは思うけど・・・


直接 伝える事のできなかった想いを書いた手紙

読んでくれたかな?

はずかしいから 返事はいらない

ただ 夢の中に会いにきてくれたら うれしいな