どうも、非魔神です。


日本語には「恩着せがましい」なんて言葉があります。


頼んでもいないのに手を貸して、


結果暗に見返りを求めたり、


わずかな手助けに対して、


大げさに成果を強調したり。


元々の行為自体は良からずとも悪しからず、


と言ったところだったろうに、


その後の行動如何で大きなマイナスになります。


では、これは、


行動の後の行動が拙かったのでしょうか。


僕の考えでは、多分違います。


そもそも、善行に走った心がけが善ではなかったんです。


善でない心情から善行を生み出しても、


結局悪い結果しか呼ばないんです。


たとえば私の身近にいるある人は、


他人の些細な『サボり』が気に入りません。


集団で活動する上で当然のことをしないのが、


気に入らないというのです。


一つ例を挙げるなら


「使い切ったトイレットペーパーを補充する」とか。


彼の生活圏内では、


それすらちゃんとできない人が多く、


(できないというよりはやらないでしょうけど、


そんなものは同じですね)


いつもそれを行うのは彼だというのです。


他人に責任を押し付ける行為を許せない彼ですが、


それと同時にこんな発言もします。


「自分はこんなにちゃんとしてるのに……」


もうね、この時点で、さっきの『やらない人達』と


『彼』は、同レベルまで落ちてるんですよ。


「自分の行動の責任を他人に押し付ける」という点で


『彼』と『やらない人達』にはまるで差がない。


ただ善を行いたいだけなら


善を行ってない人が何だと言うのか。


自分がやっていることを周りがやらないのが、


ただ気に入らないだけなのに、


そこに、まるで「みんなのため」であるかのように


大義名分を備え付けるその様を、


僕はこれをこそ『偽善』と呼びたい。


一見善行と思われるもので


周りに悪影響を及ぼす。


その実どこまでも「利己的」な行為を


あたかも「利他的」に見せかけることで


自分の行為の影響を無尽蔵にばらまく。


あぁ、気に入らない。


くたばってしまえばいいのに。

















    今日も非魔神で暇人でした。