32話 小豆の甘さ






「あ……かはっ……」
 リミンクの口の端から、赤い液体がこぼれる。
 臀部のすぐ右側を突き抜けて赤く染まった手が、リミンクの内側からさらっていった肉の感触を確かめるように一度強く握られ、ゆっくり開かれた。紫から赤のコントラストを持った塊が、濡れた地面に落ちて湿った小さな音を立てた。
 小豆色のスーツに鮮やかな赤が広がっていく。
 リミンクが視線をわずかに上げると、Men In Bloodの人間だと判断した男が、少年を抱えたまま立っている。その目は、先ほどまでは見られなかった驚きで見開かれていた。
「グッチャグチャにしてあげるから、ちょっと待ってて」
 低空を浮かんでいた悪魔セカンド──的間砂沙──が言って、地面に足をつけた。ゆっくりと、地面についていたリミンクの足が持ち上げられていく。腕の突き刺さった部分に激痛が走り、リミンクを顔をしかめた。地面からハイヒールの靴が15cmほど上げられる。
 何か武器を取り出そうと動かした手が、痛みで痙攣し、やがて力を失って体側に下ろされる。
「……どこかへ──くふ、……行ってくださる?」
 小さく血を吐きながら、その得意な『能力』で脳を支配する言葉を紡ぐ。
「何言ってるの? 逝くとしたらあんたよ? 簡単には逝かせてあげないけど」
 まったくもって、効果はないようだ。
 言い訳をするなら、痛みから声に揺らぎが出た、か。顔も突き合わせていないため、効果は半減などと言うレベルではない。最高のコンディションですら、成功したかどうか分からないものだ。この状況で成功すると考えるほうがどうかしている。
 それほどまでに、打つ手が無い。
 そもそもこの攻撃は、自由度の高い狙撃のようなもので、初撃専門だといってもいい。もしくは、会議や交渉と言う、本来武器を持ち込めない場で持ち込めるという利点がある程度だ。乱戦、混戦、激戦には適さない。
 悪魔との対決などに用いるものではない。
 けれど、上層部のリミンクの力に対する過信が、この結果を招いた。いや、最初から、成功失敗にこだわりが無かったのかもしれない。
 リミンクが進める──現在は進んでいないが──『プランB』と同時進行で、『プランC』が遂行されているのをリミンクは知っている。その『プランC』の成功確率が高いのならば、『プランB』は予備や次善策のようなものかもしれない。
 既に組織はリミンクの利用価値を見限っていて、時間稼ぎと身内の始末を済ませるための任務なのか。つまり自分は裏切られたのか。
 ここでリミンクは気付いた。
 命を断ち切られかねない状況で、何を考えているのか。
 自分はもう、状況の打破を諦めているのか?
 いや、違う。そんなはずはない。
 今さら何を諦めるのだろうか。諦めるというのなら、リミンクはあの場でとっくに諦めている。リミンクは自分で選ぶことを捨て、SCPOという大きな組織に身を委ね、ある種の充足を得ようとした。
 逃げだろう。紛れもない、逃げの一手だ。
 リミンクには人より飛びぬけて優れた能力があり、ゆえに人より大きく可能性に欠けていた。人に命令させることで何でもできてしまうなら、果たして本人の存在意義はなんだろうか。無論司令塔という機能は欠かせないだろうが、ある意味で自主性に欠けるリミンクは、リミンクがリミンクたる未来を見つけられなかった。
 ゆえに、リミンクは、逃げた。
 どこまでも自由であるために、リミンクは大きな閉塞感に苛まれ、自分を組織という枠組みに縛ることで逆に自由を得ようとした。何かを成し遂げる自由を。何かを、叶える自由を。
 成功したかどうかは分からない。任務という足枷に、権力という手枷に、これでもかというほどつながれ、様々な不自由を強いられているが、それこそがある意味でリミンクにとっての自由にはなっている。
 選択肢が多いという、選べない状況。その不自由から脱し、選択肢を狭めた、選べる自由を勝ち取った。──いや、逃げ取った。
 ならば、この場からも逃げてみせる。
 それは決意や決心ではなく、自分自身への任務だ。
 任務を課すと、リミンクの呼吸は落ち着いた。いまだ出血は止まらず、余裕はないが、それでも精神の余裕だけはわずかに回復しつつあった。
 課せられた任務はこなす。──それはリミンクが逃げた先で自ら選択した自由だ。異論や雑念の入り込む余地はない。
 『課すこと』は『枷』。
 枷は一見して自由を奪うが、その実、明確な道筋を与える。別れ道で立ち止まる人間より、一本道を歩く人間のほうが自由なのは言うまでもない。選べないことが最も不自由なのだ。
 リミンクは、悪魔の乱入で完全に崩壊した道筋をすっぱりと諦め、新たな道を見つける。枷によって、瞬時に。
 精神のみは完全に平静を取り戻し、普段のようにとは言わずともそれなりの『能力』を発揮できるだろう。
 だが、悪魔に通用する保証はなく、面と向かえないためにそもそも成功率が低い。
 ならば『能力』を使う相手は自明だろう。
 無論、神保武ではない。戦闘力のない一般人をどう操ったところで悪魔の前には無意味だ。
 そう、Men In Bloodの男──レン・シェード──に決まっている。
 人間は理由を求める。先ほど能力が通用しなかったことには、何かしらの理由がある。そう考えるのが人間的で妥当だ。
 悪魔に関しては不確定要素が多く、難しい部分がある。何せ『精神生命体』などというオカルトじみたことを言うのだ。ならば、いわゆる『精神干渉』のようなリミンクの攻撃が通用しないのもありえる話だ。
 だが、言ってもレン・シェードは人間だ。人間でしかありえない。確かに人間離れしたような動きをしたが、惑星ごとに重力の大きさは地球基準で0,3~3,2倍と幅広く、地球の人間の3,2倍の運動能力を持っていても不思議ではない。それに、Men In Bloodの装備の中には、身体能力を補助するものも存在するだろう。
 リミンク自体は地球とさほど変わらない重力の元で成長したが、大気が薄かったこともあり地球上の人間に比べれば1,5倍ほどの運動能力を有している。だから、あれ自体はおかしなことではない。
 次に、能力が通用しなかったことだが、落ち着いたリミンクには、道具による対策が行われていないことが分かった。
 『少年を離せ。心を縛るのは反則だろーに』という言葉が、神保を見た直後に放たれたことだ。つまり、レンは事前に用意していたのではなく、あの場で『カラクリ』に気付いたということだ。
 ならばその対策も、その場で思いつき実行した即物的なものだろう。可能性はある。今リミンクに見えるのはその道だけだ。
「私を──」
 だからリミンクは迷わずに言葉をつむぐ。
「──助けてくださる?」




 森に降り立ったレンは、リミンクと対峙し、見事に神保武の奪還に成功していた。
 『バリア発生のときの外向きの力を、足に下から当て、大きくジャンプしてリミンクを飛び越えたことを「全力疾走」などと嘯いて』。
 確かにレンの身体能力をもってすれば、相手に数秒の隙があれば走って後ろに回るぐらいは訳ないが、森の中で『落ち葉や土を巻き上げずに走ること』は不可能だ。すると移動位置の推測をされて簡単に反撃に転じられてしまう。
 だからこその演出だ。
 相手の精神を掌握して戦うタイプの人間には、勿論力技で対抗する手もあるが、それでは無駄な労力が必要だ。だが、相手の精神を折れば、その時点で戦いを終わらせれる。最小限の労力で。
 拳銃から銃弾を放てば、たいていの一般人が黙り込むようなもの。圧倒的な力を見せつけ、終わらせる。
 そのもっとも効率的な方法で、レンが戦いを終わらせたそのとき、
「こんにちは」
 と、陽気で妖気な声が響き、新たな戦いが始まった。
 規模が違った。一人の少年を取り合うような戦いとは訳が違う。
 『悪魔』がいる戦い──だ。
 レンとリミンクの戦いも、ひいては悪魔がかかわる戦いではあるが。
 大規模な戦いの襲来に、視覚聴覚をカットしていた手抜きをやめ、レンは臨戦態勢にならざるを得なかった。五感を研ぎ澄まし、目の前の敵の一挙一動に神経を集中させる。雨の雑音をフィルターにかけてカットする。
 ゆえに──リミンクの言葉はレンの脳の芯まで響き渡った。
「私を──助けてくださる?」
 疑問系での、命令。
 さっきまでは肌で感じていた言葉を、脳で感じ、レンの『本能』が書き換えられた。
 レンの行動は早い。もともとレンは優秀なのだ。目的があって、迷うようなことはしない。
 駆け出す。
 さっきまで手の中にいた神保武はとっくに足元に寝かされている。
 土を蹴り上げ、落ち葉を巻き上げ、これが本物の全力疾走。
 数秒ののち、レンは悪魔の懐に潜り込んでいた。
 軽く跳び上がりながら、リミンクの胴をつかむと、
「返してもらうぜ」
 足を悪魔の下腹部に打ち込みながら、リミンクの腹に突き刺さった腕を引き抜く。できる限り傷を残さないように、まっすぐ。
「ううっ!」
 リミンクが苦痛にあえぎ、レンはリミンクをお姫様抱っこに抱えなおしながら、バックステップで悪魔から距離をとる。
 悪魔は驚いたように一度目を丸くすると、ニヤッと笑いレンを視線で射抜いた。しばし観察するようにレンを見てから、レンの腕に抱えられているリミンクへと視線が移る。
「面白いことをするのね」
 その声はリミンクにかけられたものだった。が、リミンクはまるで無視する。
 リミンクはレンの上体をまさぐり、わざとらしく腕をレンの首に回すと、耳元へ唇を近づけ、
「おろしてくださる?」
 ささやくように命令する。
 命令はレンの神経を直接揺さぶり、レンは仰々しい仕草でリミンクを地面に下ろした。
 リミンクは小さく笑い、レンと悪魔から離れるように一歩ずつ歩いていく。すでに命令を果たしたはずのレンがリミンクに対してアクションを起こさないのは、予備洗脳状態にあるからだ。
 たとえば、さきほどの『私を──助けてくださる?』という命令には、二通りの解釈ができる。
 狭義では『今回の一時的なチャンスを脱すること』。広義では『リミンクを半永久的に手助けすること』。
 命令に、広義のニュアンスをわずかながら含むことで、長期的に『リミンクの不利益になろうとはしない』予備洗脳状態になる。リミンクの学校時代、机の周りに蔓延っていた男子生徒がその一例だ。
 その状態にある人間は、いわば奴隷のような状態になり、命令されれば普段より迅速に対応し、間違ってもリミンクに楯突くことはない。
 しかしレンとしては、その状況に違和感を抱くこともなく、ただそれが当たり前だと思っている状態だ。
 リミンクが離れていく足をとめ、振り返る。その手には瞬間移動装置。
「では、ご機嫌遊ばせ。王子様」
 にっこり笑ったリミンクが上機嫌に声を発する。
 その声を聞いて、ふざけるなとばかりに悪魔が声を上げた。
「あんたは私が殺すのよ!! 逃げるなんて許さないわっ!!」
 爆発的に加速し、リミンクへ向かおうとする。その間には支持待ち状態のレンもいるが、悪魔は何の気なしに切り裂いていくだろう。
「後は存分に戦ってくださいまし」
 リミンクが指を思いっきり鳴らすや否や、虚空へと姿を消した。
 突撃してくる悪魔をレンはギリギリで避ける。
(──戻った)
 レンの予備洗脳状態は解けていた。指を鳴らしたのがキーだったのだろうか。
 悪魔の攻撃をやり過ごし、洗脳状態も無くなって、落ち着いたレンは気づく。

 上体をまさぐられた際に、暗号化されたワープポイントのキーワードを奪われていたことに。

 そのワープポイントは、MIBの下部組織のアジトへの、直接転移ができる。
 つまりリミンクは、さきほどの転移で、SEROの内部へ潜入したということだ。
(……やってくれたな)
 レンの任務は神保武の奪還と牽引だけだが、それでも、自分が所属する組織の不利益に、進んでなろうとはしない。わずかながらポリシーに反する行動だ。
 悪魔の初撃を避けてすぐに少年の元へ行き、抱えたものの、悪魔とどう戦うのか──もとい、悪魔からどう逃げるのか、課題は山積みだ。
「ふざけるなっ! ふざけるなっ!! ふざけるなっ!!!」
 悪魔は、リミンクがいなくなった辺りの地面を思いっきり踏みつけていた。毎回足が土に埋まるほどの威力で、そのたびに空気が震え、水をたたえた木から水滴が強雨のように降り注ぐ。
 悪魔の首が、ぐるりとこちらを向いた。
「アンタ……あの女の行った先を知ってるわね?」
 確かにビンゴだ。
「教えなさい。教えないなら、教えるまで拷問してあげるわ」
 ニヤッと笑う、悪魔。
「それは嬉しい提案だな」
 リミンクの笑顔のほうが魅力的だった、なんて場違いなことを考えながら、レンは気取って言葉を返した。


───────────────────────




サブタイトルが軽くふざけてるのは仕様です。←


そろそろバトルっぽいバトルを書きたいっ!


感想、お願いします!