※残酷描写が多分に含まれています。苦手な方はお戻りください。

16話 幸せ


 そのころ健二は走っていた。
 雨の中、車道のど真ん中を……。
 人とは信じられないようなスピードだった。
 周りの車は全く進路を変えない。
 健二の真横を通り過ぎても車に乗っている人間は気にも留めなかった。
 まるで見えていないかのように。
「はっはっは~~~。待っててくれ~~。姫神~~」
 陽気に笑いながら言う健二。
 相当大きな声だが歩道にいる歩行者も誰一人として気付かない。
 健二のほうを見ることもない。
 まるで聞こえていないかのように。
「そして、待ってろよ。……健吾」
 健二は妖しく笑いながら言う。
 確実に彼のものではない笑いで……。
 その手に握られている果物ナイフ。
 どの家にでもあるような短いナイフ。
 しかし高校生が持っているのは違和感があった。
 服装はただの制服。
 しかし、その高校生は高校生らしさを失っている。
 そして、その高校生は自分の意思で体を動かしていなかった。
 彼の体は外部からの信号を受けて動いていた。
 脳内に埋め込まれたチップ。
 それが彼の思考を奪い、別の人間の脳を作っていた。
 そのために彼の体は滑らかに動きながらもどこかぎこちなく、まるで人形のような印象を与える。
 彼を制御するのはSCPO、宇宙刑事警察機構。
 健吾が消滅する可能性のあった事件のときから健二の頭にチップは埋まっていた。
 健吾を殺すという任務の姫神に代わるスペアプランとして。
 しかし今の目的は個人の殺害という小さなものではなかった。
 走っていく健二の先の道端に誰かがうずくまっていた。
 何かは病院で患者に着させられるような白衣を着ている。
 着ている白衣にはところどころに血がついていた。
 その服は雨で濡れている。
 服装よりも目に付くのは背中。
 
 背中から突き出た、六枚の黒い翼。

 その誰かは、悪魔だった。
 それだけで健二はその誰かを目標だと判断する。
 悪魔こそが健二の目標だった。
 悪魔の殺害こそが健二の目的だった。
 健二はその体にかかるスピードを一瞬で止める。
「目標を発見」
 健二は誰かに報告するように言う。
『了解』
 脳内のチップに外部から情報が送り込まれ、それは音声として認識される。 
「…………ふっ」
 健二は手に持ったナイフをゆっくり構えそのままゆっくり近づく。
「……ぐすっ」
 少女のすすり泣いた声が聞こえた。 
 健二は少し違和感を持つ。
 健二が探す悪魔には、慈悲が無い。
 一般の市民やSEROの職員を遊びのような感覚で殺した。
 そんな悪魔が泣くだろうか。
 その悪魔は、少女として泣いていたのだ。
「たけし……」
 少女は少年の名前を呼ぶ。
 その言葉を聞いた健二は違和感を感じて立ち止まった。
(たけし? 誰だ?)
 健二は姫神を捜している。
 その姫神は健吾という少年を殺そうとしているはずだった。
 そう、だから健吾は目の前の悪魔に大きな違和感を抱く。
(これは違う。姫神ではない)
 健二はそう思った。
(では、なんだ?)
 疑問に思った健二の頭に音声が流れ込む。
『それはもう一体の悪魔だ。見たところまだ覚醒していない。そちらでもいい回収しろ』
 健二に送られてきた指令は悪魔の回収。
 その指令に沿わないことは何も無い。
 そう思ってもう一度右手のナイフを握りなおす。
 ナイフの先には非常に強力な神経毒が塗ってある。
 SCPOと秘密裏に連携をとっている二つの組織が作ったものだ。
 地球での第二次世界大戦におけるABC兵器。
 そのBとCにあたる二つの組織。
 ‘‘ウイルス’’と‘‘ポイズン’’。
 その組織が作った神経毒は生物兵器であり、化学兵器だった。
 生物の毒や感染症をもたらす菌などと枯葉剤を改良した毒。
 それらは絶妙にブレンドされ、芸術の域に達していた。
 毒の唯一の弱点は熱。
 そのため、空気との摩擦で温度が上がる銃弾に塗りつけることは出来ない。
 しかし、毒の能力は強力で体内に入ると三段階で働く。

 一つ目、対象の全ての神経を麻痺させる。
 二つ目、一時的に神経を回復させる。
 三つ目、全ての神経を死滅させ、対象を殺害する。

 このような複雑な毒を作り出したのには理由がある。
 非常に凶暴で危険な原生生物にこの毒を打ち込み、連れて帰る。
 その生物を敵の陣地に放す。
 神経が回復した生物が敵地で暴れまわる。
 そしてその生物はやがて死滅する。
 これで自分達が巻き添えを食らうことなく相手だけを攻撃することが出来る。
 SCPOはこの方式でMIBを壊滅させようと考えてこの毒を開発した。
 そんなときに悪魔の登場だ。
 絶好のチャンスだ、とSCPOは考えた。
 全ての原因はSCPOから宇宙上の利権を全て奪っていったMIBにある、というのがSCPOの大義名分になっている。
 地面をけって走り出す健二。
 悪魔に接近することに恐怖は無かった。
 恐怖や躊躇、任務の邪魔になる感情は全てカットされていた。
 悪魔との距離はさほどない。
 すぐにその距離はゼロになる。
 悪魔は驚いたように立ち上がった。
 そのまま思いっきり右手のナイフを腹の辺りに突き出す。
 が、刺さらない。
 刺さらないどころか悪魔の体にわずかも傷をつけることは出来ない。
 体内に入れば悪魔にも効果があったであろう毒も皮膚を越えられないのであれば意味がない。
 悪魔の翼が動き、ナイフは落ちた。
 そして、手首も落ちた。
 ボトッと道路へ肉が落ちる。
 しかし健二は痛みを感じない。
 任務を果たすことだけが健二の存在意義になっていた。
 左手でナイフを拾ってもう一度悪魔に突き立てる。
 勿論、ナイフが刺さることは無い。
 そして翼は左手さえも奪っていった。
 またも手首から先が落ちる。
 両手を失い、健二には皮膚から神経毒を打ち込むことが不可能だと判断された。
 チップによる痛覚神経のカットと人格の支配が同時に終わる。
 健二は自我を取り戻した。
 その健二が最初に感じたのは、激痛だった。
「アガァァァァァァァァ!! 痛い。痛い!」
 叫びは、悲痛だった。
 苦痛だった。
 健二はとにかく叫んだ。
 叫びでもしないとどうにもならない痛みから。
 いや、叫んでもどうにもならない痛みから。
「今度はどこを切られたい?」
 悪魔が言葉を発した。
 健二は叫ぶだけで、何をすることも無い。 
 その姿に悪魔は悦に入った表情を浮かべた。
 悪魔は健二の腹を二枚の翼で貫く。
「ガッ! 嫌だ。止めろオ!」
 更なる痛みに歪む健二の顔を、悪魔は愉しそうに見ている。
 殺すのを愉しむのではなく、傷つけるのを愉しんでいた。
「嫌だ! 死にたくない! 姫神、姫神イ!」
 健二は涙を流す。 
 顔をぬらす雨と混じった涙は頬を伝い、顎から落ちた。
 その涙は健二の腹を貫く翼に小さな水音を立てて落ちる。
 悪魔はその程度のことは気にも留めない。
 そしてさらに追い討ちをかける。
「もっと苦しみなさいよ」
 健二の腹の中の翼がうごめいた。
 健二は内臓をかき乱され、意識が飛びそうになる。
 しかし、飛ばなかった。
 飛んでいてくれたらどれだけ楽だっただろうか。
 悪魔は残った翼で健二の足を切り落とす。
 足は膝から上しか残っていない。
 けれど健二は地面に転がることすら許されない。
 腹に突き刺さった翼が健二の体を支えていた。
 切断された手首と足の断面からは血が滴り落ちる。
「姫神、姫神、姫神……」
 健二は何かの呪文のように繰り返していた。
 絶望しかないような状況で、健二は小さく笑っていた。
 姫神の名前をつぶやき、姫神を思い出すときだけ、健二は笑っていることが出来た。
 決して報われない運命でも、自分の思いは届かなくても。
 そんなことは関係なかった。
 彼女がどこかにいるということだけで、健二は幸せだった。
 悪魔はひどく不機嫌な顔をする。
「詰まんない」
 悪魔はそれだけ言って、翼で健二の首をはねた。
 宙を舞った健二の頭は車道に落ちる。
 その頭を車が轢いた。
 ボゴッという鈍い音と共に健二の生首は低空を飛んでいった。
 そして、地面で数回バウンドして転がると歩道との段差で停止した。
「たけし……そう、あいつだ……。あいつを殺せば……」
 悪魔は気付く。
 そして、にたぁ、と微笑んだ。
 次の目標が決定する。
 目標の名前は、たけし。
 それだけ分かれば十分だった。
 
 そして、悪魔は翼を大きくはためかせる。

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