家庭と子供と自転車と~永遠の初心者~ -5ページ目

帰路につき

東北での応援も終わり、短いようで長く感じた1週間が過ぎました。

私たちは帰ることができるけど、被災地で暮らす人、帰る家を失った人などがいると思うと複雑な心境です。

3日前の夜、私は気仙沼にいました。気仙沼の海岸沿いは、道路が寸断され、家や倉庫が流され、地獄のような有り様でした。主要な道路は自衛隊によって、瓦礫が取り除かれ走れるようになってましたが、アスファルトが流され、砂利道だけになった道を走っているときは、かつてこの場所に舗装された道があったとは思えないくらい悲惨な状況でした。

現地の人が、「この道からは普通、海は見えないんだけんど…松林があってね…何もかんも流された」と仰ってました。

全てを奪った海は、今は嘘のように穏やかで、その姿が余計に残酷に見えました。

その夜、再び地震が東北を襲いました。M7.1とかなり大きな余震で、いつ治まるのが解らない揺れに恐怖しました。

折角、復電していた場所もまた停電になり、「もう、勘弁してください」と切に願いました。

自然は無情です。

しかし、そこに住む人は立ち上がらないと、前に進めない。私たちにできるのは、そうした人たちに立ち上がる為の肩を貸し、前に進むために背中を押してあげるくらいの事です。

ですが、そのような小さな力を欲してる人が必ずいるのでこれからも何か支援をしていこうと思いました

石巻へ

今日は石巻へ行ってきました。

TVで映像はみてましたが、実際に目の当たりにすると、言葉を失ってしまいました。

たくさんの瓦礫、津波が押し寄せた形跡を残す半壊、全壊した建物。陸に横たわる船…

同じ車に乗っていた同僚の誰もが無言になりました

そんな状況のなか、訪問したお客様からは、逆に「そちら様も頑張って下さい」と励ましの言葉をもらい、宮城の人の優しさにとても感動しました。

明日も石巻へ行きます

宮城県登米市

今日は朝から宮城県登米市に行きました

海沿いでは無いので、津波の被害はなかったのですが、地震の影響で道路のあちこちは陥没し、ひび割れ、段差ができていました。

お客様の所を9件ほど訪問し、わが社の機械が正常に作動しているか確認しました。

朝の8時30分頃に出発し、帰ってきたのは20時前でした。

途中、何度も自衛隊の車や、復興支援の車とすれ違い、改めてこの地震の被害を感じました。


明日は石巻市に向かいます。