仲間内で話題になっている映画を観てきた。
 

「TC(Therapeutic community:治癒共同体)」という手法を刑務所の入所者に取り入れ、教育的側面から更生を図ろうというものだ。欧米で効果があると認められているものだが、日本ではこの映画に出てくる「島根あさひ社会復帰促進センター」でしか取り入れられていないようだ。


映画は、4人の若い入所者を中心に経過を追っていくが、最初は罪の意識も薄く、また自身の子供の頃の記憶もなく、そもそも感情とつながっていないように見える4人が、それぞれに自分自身の本当の感情につながったとき、自分のしてしまったことに気づき、他人と自分自身の痛みを感じ、葛藤していく。


自分自身の痛みがわからなくなってしまったから、人の痛みもわからないのだ。自分が本当に欲しかったものがわからなくなってしまったから、生きている意味もわからなくなってしまったのだ。

TC受講者の出所後の再犯率は、非受講者の1/2だそうである。カウンセリングの有用性がこの映画を通じて認知されて欲しいと思う。


映画「プリズン・サークル」ホームページ
ネタバレでも中身を知りたい人向け
この映画も気になるなあ・・・。
映画「グリーン・ライ エコの嘘」

※ この投稿は、2019年9月にFacebookに投稿した記事の再掲です。

このとき、僕はHくんの顔を直視出来なくなっていた。彼は、穏やかにセッションを進めていただけだ。にもかかわらず、僕が勝手にパニックになっているのだ。

どうしたんだ。
自分に何が起こっているんだ。

たぶん、そういう思考が駆け巡っていたせいで、僕は思考の言葉を連発していたのだろう。Hくんは落ち着いて

「そのときの身体の感覚はどうですか?」

と、僕の意識を、思考から感覚に向かうように促す。

僕は身体を落ち着かせることが出来ない。Hくんから身体の軸をはずし、斜めにずらし、前屈みになったり、右側に折れ曲がったりして落ち着かない。身体の中はずっと小刻みに震えている。そして僕が右手で「祓う」動作をしたところをHくんは見逃さなかった。

「その手は何と言っていますか。」

しばしの沈黙の後、僕はこう言った。

「『お前なんかにわかるはずがない!』と言ってます。」

かなり強い口調で言ったと思う。なので、すぐに補足した。

「あ、Hくんに対して言っているんじゃないですよ。
『世界』に向けて言っているんです。」

が、本当はそうではなかった。
もちろんHくんに言っているのではない。
が、世界に言っているのでもない。

僕は「Hくんを通じて、僕が感じている何か、もしくは誰か」に向けて言っていた。

この後も濃厚なセッションが続き、15分なのに、50分もやったような感じで、時間切れでセッションは終わった。

・・・

「どうせわかってもらえない」
「僕は世界を拒絶している」

このビリーフが僕の中に深く根付いていることは自覚している。今回のセッションでも期せずして、僕のこの世界観が表出したのだが、今までと決定的に異なっていたのは、僕の身体が強く反応していたことだ。動物が命の危険にさらされたときに本能的に行動する「Fight or Flight」(相手に立ち向かって戦うか、疾走して逃げるか)反応が自分に起こっていたように思う。ただし戦う選択肢はなかった。僕はあのときただただ「逃げたかった」。

・・・誰から?Hくんから。

最初に言ったようにHくんとはお互い見知った仲だ。セッション中はもちろん、個人的にも彼が僕を脅かすようなことは何もしていないし、利害関係もない。むしろ彼はすでにプロのセラピストでもあり、尊敬しているほどだ。

なので、僕が逃げたかった相手、恐怖を感じていた相手は、Hくんではなく、Hくんに投影していた僕の心の中の誰かだ。心理療法的に言えば、まっさきに思いつくのは「父」だが「どんぴしゃ」という感じはしない。

「どうせわかってもらえない」よりも先鋭な「お前なんかにわかるはずがない!」という言葉は、僕が「わかるはずがない」と堅く信じ込んでいる「相手」がいることを示している。それはいったい誰なんだろう。

(終わり)

 

※ この記事は、2019年9月にFacebookに投稿した記事の再掲です。

ゲシュタルト療法ベーシック講座で、CFOを初体験した。CFOというのは、「クライアント(Client)、ファシリテーター(Facilitator)、オブザーバー(Ovserver)」の略で、要は受講生同士によるセッション体験である。
 

受講生3人一組で輪になってセッション体験するのだが、僕がクライアントになったとき、予想もしなかった体験をした。
 

今回のCFO体験は、1セッション15分という短い時間だったので、クライアントは「軽いテーマ」を出してセッションが消化不良にならないようにしようと決めてあった。そして僕自身も「大したことではない、特に自分として大きな問題と思っていない」テーマを出して、セッションが始まったのだった。
 

ファシリテーターは、Hくん。あけみちゃん講座での同期でもあり、4月からのベーシック講座も一緒に学んできた、お互いよく見知っている間柄だ。ただ、あけみちゃん講座も含めて一緒にセッションをしたことは今までなかった。
 

和室の片隅で、座布団をお尻に敷いて彼の前に座る。何か緊張する。
 

「あれ、セッション初めてだからかな、なんだか緊張するね~」と言いつつ、Hくんやオブザーバーと一緒に笑いながら和やかに始まるセッション。
 

僕が主訴を切り出し、Hくんがゲシュタルト療法の基本に忠実に、「そのとき身体の感じはどうですか?」「その感覚をしばらく感じてみましょう」と、僕に感覚、感情に意識を向けるよう促す。


最初「寂しい」という言葉が出てきた。
「では、その感覚を感じてみて下さい。」
 

僕は眉間にしわを寄せて、ロダンの「考える人」のように右手で額を支えつつ前屈みになる。


「今、何を感じていますか。」と促すHくん。


僕はこのとき動揺し、身体が小刻みに震えていた。頭の中では、何か本能的なものが湧き上がってきていて、その正体をつかもうと思考が高速回転していた。


「身体が小刻みに震えているんです。」
「そうですね。目も、まばたきがすごいですよ。」


いったい自分に何が起こっているんだ。
今思えば、あのとき軽い「パニック」に自分は陥っていた。


(その2)に続く