2月28日(木)

 

AM2時過ぎ。

病院に到着。

暗い廊下を進む。

 

その後、メールはない。

向かっていることは知っているので、

どうなろうが知らせることもない。

 

部屋に入るまでなにもわからない。

 

妹がいて(弟夫婦は家で待機)母がいて・・・。

亡くなってたら弟もいるね、逆によかった。

 

落ち着いた、ようだ。

だがそうなるまでの諸々は十分に感じ取れる。

 

そのまま朝まで手を取って。

時々限りなく脈が落ちる。

苦しまないでほしいと言いながら、

まだ生きててほしいというわがまま。

 

ながいながい夜が明けて・・

何の根拠もないのに、朝になれば安心な感じがするのはなんだろうか?

 

そう言えば月末か。

席を外して銀行へ行かせてもらう。

家賃を払わないと、だね。

 

あれ?

なんか記憶がおかしいな。

このへんどうしたんだっけ??

 

そのまま病院にて

夕方、弟夫婦が母の仕事や友人関係の諸々手配して病院へ。

自分だけなんにもできないでおたおたしてるだけだな。

 

弟夫婦の帰宅と並ぶタイミングで

実家で少し休ませてもらうことに。

西武特急の新型車両ってこれかあ?

窓でかすぎてやだなあ。

母の部屋はもうずいぶん前から身の回りの整理がされています。

父がなくなって3年はほんとに危なく見えました。

父もそうでしたが、母も献体登録をしています。

事件死、不審死でなければ遺体は病院から会に引き渡されます。

そのまま長期保存され・・・

解剖実習などのために利用してもらいます。

この間、2年くらいはあるでしょうか・・・・。

 

火葬、葬儀はその後です。

父の場合はまだ一般人だったので許された流れでしたが

母は児童文学作家の立場があるので、出版社や絵描きさんや・・社会とのつながりが大きく、告別式はしないといけないようですが・・・。

その辺も、弟夫婦が動けるようで・・・・。

 

いざとなったら開ける箱が開いていました。

残されたものがうろたえないように。

とうに覚悟をしています。

 

それがいつなのかはわからぬままに。

 

あらためて見ると

部屋中覚悟でいっぱいでした。

 

いつぶりかでTVを眺めた。

 

世界とは

せいぜい身の回り数メートルの範囲なのだと感じずにはいられません。

 

数時間寝込んでしまいました。

いつの間にか部屋には暖房が入れられ、

毛布をかけられていました。

枕元にはペットのお茶も・・・。

妹が一度戻ってたようです。

 

これが敵だったらおらの命はありませんな。

まったく気づかなかった・・・・。

 

最終電車で改めて病院に向かいます。

お夜勤はまたもお休みです。