今夜は自宅にいます。
明日のためです。
生きているものの都合を最優先にすること。
母の言葉です。
2月26日(火)
夕刻。
動きあり。
妹からのメール。
週末に母が入院した旨、
HCU(中枢神経、呼吸、循環、代謝の失調や、重度の急性臓器障害を呈し、厳密な呼吸・循環管理や急性血液浄化療法などの専門的な治療や看護をする高度治療室)にて人工呼吸器使用の為麻酔があるため会話はできないが、年齢的にも万一の事はありうる・・・面会時間は過ぎているが受付通せば入れるとのこと。
母は何度もいろんな病気で入退院してきたけど
そのほとんどの場合・・・
或る程度落ち着いたり、退院してかららいあには知らされることがほとんどで・・・まあ蚊帳の外状態?なんだけど・・・
今回は違う流れを感じます。
お夜勤お休みします。
先の事より今の事・・だよな。
うえええ・・・?
所沢東口、こんなになってるのか。
この前、駅ビルができたの知ってびっくりしてたけど・・・
外から見るのは初めてです。
駅前も広々しちゃって・・・
何年前でしたっけ?
母はここにも入院していました。
改築中・・だったのか、当時は過剰なほどの入院患者でいっぱい。
病室に向かう間にも糞尿の匂いやうめき声などがあふれていて・・・いい記憶はなかったけど・・
すっげえきれいになった。
面会を果たす。
意識はないはずだけど、うっすら目が開いていて(眼球は動かないし、色も変わってるけど)らいあを認識した・・・とらいあは勝手に感じている。
一瞬「こんなになっちゃった」と泣きそうな表情に変わった・・・と確信したけど、思い込みかも知れない。
母と同居の長女、
その隣に住む次男夫婦は
もうこの状態に丸二日以上向かい合ってるのでらいあとは多少事情が違う。
容体が急変したら連絡すると家に帰されていた。
みんながいないことで逆にちょっと安心したが重篤なことにかわりはない。
一度実家によって話をきくつもりでいたけど
ぎりぎりまで母のそばにいて(看護師さんがあとで次男が来る・・みたいなことを言ったので待っていたけどガセ・・・)翌日あらためて来ることに。
自分の薬も持ってきてなかったし・・・
なにか事情があったけど、この辺からすでに正しい記憶がない。
ひとりだけ横浜なんで
なにかあってもすぐにはこられない。
そこを離れることは永遠の別れになることと覚悟が必要だ。
明日来よう。
また明日。
きっと明日もある、まだ。
999号、いました。