今は亡き、らいあぱぱ。
真正面から話したことがなかった。

子供たちに病気のことを話したときには
もう、
延命治療はなし。
手術も今はできない。
等々、
すべて夫婦で決めた後で、
なにかを言う余地はなかったし、
当事者が真剣に考えて得た答えに口を挟むのも何か変だ。

すべては
決まったこととして、
ただ、聴いた。

まだ健常者だったらいあままにより
その辺りは本になっています。

「その日は、静かに訪れた」
間所ひさこ作、ポプラ社刊。
すでに品切れ、
当事者にしかわからない部分も多く、
作品としては不出来なものであるがゆえ・・
案の定、重版なし。
ヤフオクとか、図書館なんかで目に出来ることもあるやもしれませんがの。

まあ、家族にとっては大切な一冊です。



病気と薬でまだら呆けとなり逝ってしまった。
今はどうなんだろう?

自分は、まだ死んでないけど・・
ろくな死に方にならないのはどう考えても明らかで・・・
そこそこ面白かったけど・・また生きたいとは思えないし・・
この世を去ってからも自分の意識がなんらかの形で残るなんてのはまっぴら御免。

死んだら終わりがいい。
なにもかも、おわり。

あの世なんていらないし、
見守ったり見守られたりなんてのもしんどいだけで・・・。

ただ、霊的な体験・・なんてのがあるだけに、
いやだけど、死んでも無じゃあないって確信してる部分もある・・。
だったらどうなんだ?
呆けて死んじまったら。
呆けは治ってるのか?
ご都合主義だな。
じゃあ呆けたままさまよってるのか?
いつまでも・・。

答えは出るのかねえ、いつか。


父の日になんにもしなくてごめん。

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お祭りで
じゃんくな焼き蕎麦買いました。
大盛りでしたw
家でなく、外で食べるのが醍醐味っすな。

けど、
空きスペースにたどり着いたとき・・
箸が入ってないのに気づいたよ(ノ◇≦。)

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戻るのも面倒なので
じゃがバター(明太マヨネーズつき)をご購入。
今日は一日ジャンクなフード(まだ、なぞ)
ま、おらにとってはごちそうですがのう。


水がなかったり
電気釜がなかったり
お金がなかったり
薬がなかったり・・・
振り返れば絶対にアウトな状況を
いつも誰かに助けてもらって、
今ここにいます。

オーバーなはなしでなく
もうとっくに尽きてた命だ。

自分が呆けちゃったら
助けも求めないんだろうな。
じたばたあがきながら
今しばらくがんばってみますよ。

自分のことで精一杯。
ごめんなさい、お父さん。