2019.2.24 日曜日

とうとうお別れの日

この日は6時半頃に起き
泊まっていた5人で
近くのスーパー銭湯へ行った

せっかくのスーパー銭湯だけど
長居は出来ないので、さっさと洗って出た

会場に戻り、喪服に着替え化粧をし
みんなが来るのを待ってる間
妹と姪、娘がコンビニへ朝御飯を買いに行った

折り紙を一緒に買ってきてて
これに手紙を書いて鶴を折ろう!
妹の提案だった

感謝の気持ちを綴り
天国に居る子供達を探すんだよ
また一緒になろうね
みたいな事を書いた

私の家族も9時過ぎに来た
息子はまだ体調が優れないと
部屋で横になっていた

精神的にやられていたのかもしれない
結局、息子は手紙を書けなかった

旦那の兄家族も来て手紙を書いてくれて
鶴を一緒に折ってくれた


12時半から始まる葬儀に向け
10時頃から親戚が集まりだした
友達や仕事関係の方々も

何回も連絡は試みたものの
結局、旦那の兄(長男)は来てくれなかった


12時半になりお葬式が始まった
旦那の人生最期の大事な大事な式

喪主としてきちんと務めなきゃ!
とゆう思いが強かった

親戚のお焼香が終わり
旦那と私が出会ったきっかけとなった友達に
友人代表として、最後のお焼香をしてもらった

本当に最期の最期の時

棺にお花を入れる前に
大好きなビール350ミリ2本分を紙コップに移し入れ
さっき折った鶴の手紙をみんなで入れ
私の手紙と家族4人で写ってる写真だけは
手に持たせた

親戚の方にお花を入れてもらい
参列者の方にも順番に入れてもらった

そして、いざ棺の蓋を閉める直前に
娘が嫌がってしまった

大声で泣きたいのを我慢してる声で
棺の横に座り込み、旦那の顔を見ながら

パパー、やだよー
うぅー、パパー、パパー

それを見ていた大勢の参列者の方が
みんな泣いていた

娘の気が済むまで待っていた

もういい?大丈夫?
ちゃんと見送ってあげよう

うん
パパー...パパー...

お花に埋め尽くされ
顔しか見えなくなった旦那に
私は最期のキスをした


葬儀社の方に
なんて声掛けますか?と聞かれ
ありがとう!でと答えた

そして近い親戚みんなで
ありがとう!!
と声を掛けながら蓋を閉めた


そのまま火葬場へ

火葬をしている間に精進料理をいただき
旦那の遺影にもビールと料理をお供えをした

写真の中の旦那はとってもいい笑顔


毎日来てくれてた旦那の叔父さんに
今までほんまにありがとう
大変やったと思うけど、ようやってくれたね
見てて、ちゃんと愛情が伝わってたで
これからは自分の人生やから
好きな事したらええけど
子供達と頑張って行かなあかんで
でも叔父さんの事は忘れんといてや笑

この叔父さん
旦那とちょこちょこ仕事を一緒にしていて
病気を知ってからは
毎日、毎日来てくれた

私の事も本当の姪っこみたいな扱いで
可愛がってくれて
お通夜、お葬式も、この叔父さんが
色々と手配してくれた

とってもありがたい存在だった


火葬が終わる予定時間前に戻り
火葬が終わるのを待っていた

電子掲示板に終了案内が出て
火葬場に向かった

出てきた旦那は骨がキレイに残ってた
これは本当に旦那なのか?

火葬場の方が
お若いので
かなりキレイに残ってらっしゃいます
とおっしゃった

旦那だと証明する物が残ってた

1月にやった背中の手術
その背中に入っていたであろう
ボルトの刺さったプレートがあった

こんな物が体に入ってたなんて
痛かっただろうな

旦那の頑張った証しとして
このプレートも持って帰ってきた


足から順番に、みんなでお骨を拾い
大きな骨壺と小さな骨壺2つに収めた
小さな骨壺には<喉仏>も収められた

残ったお骨は火葬場で供養して
きちんと処分されるとの事

私は全ての骨を収めるものだと思っていた
でも一部分ずつしか収められなかったし
骨壺が2つ?なんでだろう?と疑問に思いながら
聞ける雰囲気ではないので
そのまま疑問を飲み込む事にした

後から聞いたりネットで調べたら
東日本と西日本の違いらしく

東日本では全ての骨を収めるが
西日本では一部の骨を収めるのが一般的らしい
なので、骨壺の大きさにも違いがある

そして2つに分ける意味も
小さい方は本山納骨用らしい

難しい事はよくわからないので
住職に聞いたところ
特に決まりは無く
小さい方は家に置いておく方が多いですよ
とおっしゃってた


お骨上げして
そのまま初七日の法要へ

無事、初七日の法要まで終え解散となった

色々なお金を清算し
叔父さんにお礼を渡し
小さくなった旦那と共に家へ帰った

仏壇の横にスペースを作り
亡くなった子供達の横に安置した

自分がここでお焼香されるなんて
思ってもいなかっただろうなぁって

とにかく、色々と大変だったけど
やりきった安堵感でいっぱいだった

自分がやれる事は、精一杯やったつもり



余命宣告されてからは覚悟していたし
なるべく後悔しないように接してきた

亡くなった後も
自分がしっかりしなきゃと思って
気丈に振る舞い
取り乱して泣く事もなかった

後悔をしていないかと聞かれれば
していないとは言い切れない


旦那はずっと家に帰りたいと言ってたけど
みんなに迷惑が掛かるからと遠慮してた
自宅療養に切り替えようか葛藤した

家に帰れたのは
亡くなる1週間前の数時間
家で最期まで...の
希望は叶えてあげれなかった

結局1人では怖くて
大事な所で逃げてしまった

私がもっと頑張れば出来たんじゃないか?と
これは、最大の後悔


もう1つ後悔...というよりは
してあげたかった事

お風呂が大好きだった旦那

ケンカしてても
暗黙のルールで必ず一緒に入ってた

お風呂場は、家の中で
唯一2人になれる空間なので
ここでコミュニケーションを取ってたと思う

毎日、毎日
今日の出来事や仕事の愚痴など
色々な話をした


12/24に入院してからは
徐々に痛みも酷くなり、手足が不自由になり
シャワーもお風呂も入る事が出来なくなった

毎日、毎日、身体を拭くだけで

何回もお風呂に入りたいって言ってた

余命宣告された時、医師に
お風呂に入れてあげたいと伝えたら
希望を叶えてくれようとしたけど
旦那は拒否した

お風呂には入りたいけど
こんなに痛いのに我慢してまではいいや...

結局、亡くなるまで
1度も入る事は出来なかった

本当に入れてあげたかったな





旦那が亡くなった後に
ベテランナースの友達と話してたら
旦那はある意味、特殊な人間だったみたいですてへぺろ

ベテランナースなので
それなりにお見送りをしてるけど

亡くなる2時間前まで話しをして
1時間前まで意識があるなんて
見た事も聞いた事も無い
nyarunの事とお喋りが大好きな
旦那さんらしいけどね!
最期の最期まで
nyarunと話して居たかったんだねラブ

と言われました笑

最期まで、私の声届いてたかなぁ照れ


これからも旦那は
子供達と一緒に天国から
見守ってくれている事を信じてますラブラブラブ

星空星空星空星空星空星空星空星空星空星空星空星空星空星空星空星空星空星空


なかなか書けなかった最期の記録

忘れないと思うけど
記憶が曖昧になる前に
書かせていただきました

当時の事を思い出して
涙が勝手にどんどん溢れてきて
目がパンパンに腫れちゃったり笑

全然進まなかった~えーんアセアセ

ここに残しておけば
旦那と私がどんなふうに過ごしたか
忘れないでいられるラブ

ブログを書いてて良かったと思いますおねがい

そして応援して頂いた皆さんには
本当に本当にパワーをもらえました!!

辛い時、ブログを書いてなかったら
旦那ときちんと向き合えてなかったかもしれないてへぺろ

皆さんの応援があって
最期まで頑張れました音符
本当に感謝です爆笑


ありがとうございますチューチューチュー