駿河の国で寄り道(36)「久佐奈岐神社」(ヤマトタケルその6) | れいんぼうの部屋

れいんぼうの部屋

釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
https://ameblo.jp/rai-trout/theme-10112228739.html

今回のテーマは「駿河の国の見どころ」。

 

「駿河の国の見どころ」での前回は「ヤマトタケル」にちなんだ地、「焼津神社」を訪ねた。

 

「ヤマトタケル」は各地にいろいろな伝説が伝えられていて、静岡の周辺にも関連した見どころが多い。

 

 

今回は「久佐奈岐神社」を訪ねる。

 

国道1号線から清水の東名ジャンクション下を通り抜けた所に久佐奈岐神社がある。

 

〇久佐奈岐神社鳥居前

鳥居に「東久佐奈岐神社」と書かれている。
 

 

〇参道

 

〇久佐奈岐神社 拝殿

由緒書きを読む。

式内久佐奈岐神社
鎮座地 清水市山切字宮平101番地
御祭神 大和武尊
合祀  弟橘媛命  吉備武彦命
    大伴武日連命  膳夫七掏胸脛命
<由緒>
 庵原川流域は古代には廬原の国と呼ばれ、その政治的中心となったのが、庵原古墳郡の立地する丘陵に囲まれたこの平野です。
 当社は人皇第12代景行天皇の時代(西暦110年、約1884年前)に詔勅により皇子日本武尊が東征の途中この地に本営を設けたとされる旧跡の地にあります。
 創立年代は古くして不詳ですが、東征の副将軍として活躍した、吉備武彦命が後に其の功績により、廬原の国を賜り、尊の縁り深いこの地に社殿を造営し日本武尊を祀ったのが創祀とされ、その後お供として東征に随行した姫、弟橘媛命を初め諸神を合したものと考えられております。
 文献上の記録では風土記に第13代雅足彦(政務天皇)の元年(西暦133年、約1861年前)に官幣を奉るとあり、異本類聚六国史に清和天皇、貞観元年(西暦859年、約1235年前)久佐奈岐神社従2位を授くとある。延喜式(平安時代初期の儀式や制度を定めた律令の施工細則)神名帳には廬原郡三座(久佐奈岐神社・御穂神社(三保)・豊積神社(由比))と記されており、式内社であります。
 昔は有度の草薙神社に対し、東久佐奈岐神社、あるいは東久佐奈岐大明神等と称えられたこともありましたが、明治6年郷社に列せられてからは、今の社名となっております。
<御神体>
 本殿に四柱の御神像が鎮座されており、これは朝廷より賜わった貴重なもので開披してはならないとの言伝があります。
  平成6年11月吉日

 

〇久佐奈岐神社の本殿

 

本殿には柵があって、普段は入れないようなので写真だけ撮らせてもらった。

 

久佐奈岐神社には境内社が祀られている。
 

〇境内社

<境内社>由緒書きの続き。
稲荷社  宇迦之御魂命
白髭社  武内宿弥
天満宮  菅原道真
雨之宮  天之水分神 国之水分神
津島社  須佐之男命 稲田比女命
金比羅社 金山彦命 大国主命
今宮社  素鳴命  稲田比女命
九万八千霊社  東征軍の御供の諸神
事比羅社  金山彦命  大物主命  少彦名命 
雨之宮社  志那都比古命  志那都比賣命


 

今日は「ヤマトタケル」ゆかりの「久佐奈岐神社」を訪ねた。

社務所も無い小規模な里の神社ではあるが、歴史も深く古の繁栄を感じさせてもらった。

 

 

駿河の地域には「ヤマトタケル」にかかわる多く伝説が有り、ゆかりの地を巡る。

 

 

次回「駿河の国で寄り道(37)」は「草薙 天皇原周辺」。