駿河の国をwebで歩く(60)「江尻宿・魚町」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
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「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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上の古地図のリンクを開いて「江尻宿編」を選択して散歩する。
 

今回は「江尻宿・魚町」へ入る。
 
 

前回は旧東海道から外れて江尻宿からの「久能街道」を巡った。

 

旧東海道の「稚児橋」に戻り、江尻宿周辺を巡る。

 

 

〇稚児橋

 

[清水銀座西入口]


旧東海道は稚児橋を渡ると江尻宿の「魚町」(上町とも呼ばれていた)、清水銀座通りへ右に曲って江戸へ向かう。
周辺を一回り散策してから旧東海道へ向かうことにする。このあたりは江尻城を偲ぶことができる所も多くある。

清水銀座通りへは曲らず直進すると1kmほどで秋葉神社があって周辺には古い史跡が多く見られる。

古地図を見ると秋葉神社が遠く離れて描かれていて、秋葉神社への参道は「辻町」にある。

 

古地図を見ると稚児橋を渡った左手に稲荷神社が描かれている。

 


〇魚町稲荷神社


今も稲荷神社では多くの参拝者を見かける。

 

清水エスパルスが毎年出陣式をこの神社で行う。
神社の境内には大きなサッカーボールがオブジェとなっていた。

神社の脇に謂われが書かれていた。
1568年、駿河に攻め入った武田信玄は、翌年、江尻城を築いた。

その後10年、当時の城将穴山梅雪が城を大改築し本格的な城にした。
城の近くでは江尻宿の問屋場・高札場・本陣等があって東海道を往来する旅人でこの地魚町(上町)は賑わった。

 

 

この神社の先に江尻城があった。

 

〇江尻小学校


小学校の敷地には江尻城の本丸があった。
校庭のどこかに記念碑があるらしいが不審者と間違われると困るので外からながめることにした。

小学校の前の電信柱に二の丸町と看板が付いている。
町名のとおり二の丸があった場所だったらしい。
この他にも昔を歴史を感じる「江尻町」「小芝町」「大手町」などの町名がこのあたりに並んでいる。
 

〇江尻小学校の正門脇に二の丸町の由来が書かれた看板が立っていた。

町名の由来(概略)

二の丸の跡地は明治の頃より、独立した自治組織があり、城にちなみ「二の丸」とよばれ、現在に至っている。
二の丸には城の鬼門除けとして、二の丸稲荷神社が造られ、城の名残の石垣が江尻小学校校舎の南西にあった。



江尻小学校の校庭側に回って江尻城の名残りを探してみたが特別な特徴は見当たらなかった。
巴川の流れは今と違っていて、川の水を引き込み堀にしていたらしい。

江尻小学校から200mほど北へ行くと小芝八幡宮があるので少し足を延ばしてみる。

〇小芝八幡宮

その八幡宮の看板に城の図面が描かれていた。

 

〇二の丸

神社の入口に神社の謂われと江尻城の謂われの看板が立っているので読む。(概略)
江尻城は、1569年武田信玄が遠州の徳川家康に相対するために築城した。
穴山梅雪は、城将となり、1578年に江尻城の大改築を行ったが、1582年家康に降伏し城を明け渡した。
1601年に廃城となったが、その間城将は10人を数え、城下には、初期的な城下町が形成された。
現在、二の丸、大手、鍛冶町、鋳物師町、紺屋町、魚町等の地名に、城下町特有の名が残っている。

 

 

小じんまりした神社だが歴史の重みが見方を変えてくれる。

〇小芝八幡宮本殿


神社の謂われの看板を読む。
小芝八幡宮は、811年の創建といわれ、古称家尻(江尻)の里に建立された。
今川氏に代わった武田信玄が、1569年江尻城(小芝城)を築く際、今までの祠を城内に移し、八幡宮を鎮守の神として祀った。

1601年に廃城後、現在の地に移され、昭和8年本殿を造営し、村社より郷社に昇格、江尻宿九町の産土神とした。
 

 

清水銀座の西入口へ戻り、駅方面を見渡す。

 

このあたりに「問屋場」や「高札場」があったらしい。
 

〇清水銀座西入口(清水銀座通り)


 

旧東海道はここを東に進む。
地方都市の商店街を代表するように閑散としている。
 

かつてはかなり人出も多く栄えていたのだが・・・。
 

清水銀座通りを100m東に向かうと江尻宿の説明版があった。(概略)
東海道江尻宿(18番目)
東海道五十三次を定めるにあたり、それまでの今の北街道が主要街道であったものを改め銀座通りを通すこととした。

1607年、巴川に稚児橋が架けられ江尻宿は上町(魚町)・中町(仲町)・下町(志茂町)の宿通りを中心に西は入江町の木戸、東は伝馬町・鋳物師町・鍛冶町・本郷町から辻村の木戸まで長さおよそ2kmであった。

宿は問屋場を中心に、本陣三軒、脇本陣三軒、旅籠50軒だった。

 


 

旧東海道は清水銀座通りを北に曲がる。

 

清水銀座通りから曲って間もなく江浄寺がある。
  
〇江浄寺


浄土宗「市中山 長光院 江浄寺」がある。

 

「江浄寺」には家康と妻「瀬名」との間の嫡男で、信長の命により切腹させられた松平信康の墓所があるらしい。
 

信康は岡崎に墓があるとの事なのだが、分骨でもしたのだろうか?

 

 

江浄寺の北隣にも寺が並んでいる。

 

〇妙泉寺


日蓮宗「本応山 妙泉寺」だ。
 

写真の奥に写っている建物は日蓮宗「海光山 浄春寺」。

 

街道沿いには寺が多い。
 

古地図にも「江浄寺」や「妙泉寺」「浄春寺」「法雲寺」が描かれている。

 

 

国道1号線(県道54号線)と交差する手前の信号を左に入ったところに有名な鮨屋の「末廣」ある。
 
〇末廣寿司


以前に飛び込みで昼食に入ったことがあった。

予約なしでしたがご厚意で入れてもらいました。

 

止まり木では社用の客が接待で高級のネタを注文しているようだった。

小さなボックス席でいただきましたが場違いな所に来てしまった感が強かった。

 

 

旧東海道は清水駅へ向かう国道1号線(県道54号線)を横切り直進する。

 

今回は江尻宿のうち

「魚町(上町)」

「仲町(中町)」

「志茂町(下町)」

「伝馬町」

「鋳物師町」

「鍛冶町」

 

中心地を進んだ。

 

 

次回は、江尻宿の「辻村」へ進む前に「三保街道」周辺へ寄り道。

 

 

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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