質問!
皆さん!今、何食べたいですか???
このブログを見た時点で、構いません!
何食べたいですか?
先日、ある方と食事しまして・・・
その際・・・自分は・・・なんだか、ハンバーグが食べたくて・・・。
とあるステーキ屋さん?ハンバーグ屋さん?に行きました。
“たまに、ステーキとか食べたくなるんですよね~![]()
贅沢じゃないですか
”
“そうかな~。焼肉の方が、贅沢だと思うけど・・・。”
ステーキが贅沢と言ったのが、自分です。
今となっては、両方とも贅沢な事に気付きましたが・・・子供の頃は、そう思ってました。
自分の家の近所には、焼肉屋さんがありまして・・・なにかあると、そこへ食べに行ってました![]()
そのせいか、妙に身近な食べ物の感じがしていて・・・。
でも、ステーキとなると、なかなか行けないんですよね~。
しかも、フォークとナイフを使うじゃないですか![]()
なんか・・・贅沢してる
という感じなんですよね![]()
今も、頻度的にはその当時と変わらずでして・・・ステーキを食べに行く機会って、あまりないんですよね![]()
そうそう![]()
今というわけではありませんが、自分が一番食べたいのは・・・
“はじめ人間ギャートルズ”にでてくるマンモスの肉です
旨そうだな~![]()
(ちなみに、はじめ人間ギャートルズの音楽はかまやつさんが担当してました
)
節分!
こんにちは、nobuです。
今日は・・・節分ですね~♪
・・・
・・・
・・・
というわけで、まずは、節分とは?
節分(せつぶん、またはせちぶん)は、各季節 の始まりの日(立春 ・立夏 ・立秋 ・立冬 )の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことをも意味している。特に江戸時代 以降は立春(毎年2月3日 ごろ、うるう年は2月4日 ごろ)の前日のことを指す場合が多い。以下、立春の前日の節分、およびその日に行われる各種行事について述べる。
歴史
過去
節分の行事は宮中 での年中行事 であった。延喜式 をひも解くと、宮中ではこの日、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾ったもの。もともと、この節分の鬼 を払う悪霊ばらい 行事は、平安時代頃から行われている「追儺 」(ついな)から生まれた。
近代以降
近代から、上記に述べた年中行事が廃れ、節分当日の夕暮れ、柊 の枝に鰯 の頭を刺したもの(柊鰯 )を戸口に立てておいたり、豆撒きをしたりするようになった。一部の地域では、縄に柊やイワシの頭を付けた物を門に掛けたりするところもある。これは、季節の変わり目には邪気 (鬼)が生じると考えられており、それを追い払うためである。
各種行事
邪気 を追い払う為に、この節分には古くから行事が執り行われている。
豆撒き
豆を撒き、撒かれた豆を、自分の年齢(数え年 )の数だけ食べる。また、自分の年の数の1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないというならわしがあるところもある。豆を撒くことには、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある。寺社が邪気払いに行った豆打ち の儀式を起源とした行事であり、室町時代の書物の記載事項が最も古い記載事項から少なくとも日本では室町時代以降の風習となっている。初期においては豆は後ろの方にまくことが始まりだった。
使用する豆は、関東・東海・西日本・北九州では炒った大豆
(炒り豆)である。北海道・東北・北陸・南九州では 落花生
をまく(大豆よりも回収し易く、殻ごと撒くため地面に落ちても食べられる、等の利点がある)。
豆を撒く際には掛け声をかける。掛け声は通常「鬼は外、福は内」であるが、地域や神社によってバリエーションがある。鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としている。家庭内での豆まきで、「鬼」の付く姓
(比較的少数だが鬼塚
、鬼頭
など)の家庭もしくは鬼が付く地名の地域では「鬼は内」の掛け声が多いという。特色ある節分祭・節分会
も参照。炒った豆を神棚に供えてから撒く地方もある。
節分の時期になると、多くのスーパーマーケット では節分にちなんだコーナーが設けられ、その中で福豆(ふくまめ)として売られている。厚紙に印刷された鬼の面が豆のおまけについている事があり、父親などがそれをかぶって鬼の役を演じて豆撒きを盛り上げる。しかし元来は家長たる父親が鬼を追い払うことで権威を示すものであった。[1] そのため父親が鬼の役をするのは間違いともいえる。
小学校では5年生が年男・年女にあたる。そのため、5年生が中心となって豆まきの行事を行っているところも多い。神社仏閣と幼稚園・保育園が連携してる所では園児が巫女 や稚児 として出る所もある。大きな神社仏閣では、節分の日に芸能人・スポーツ選手・等が来て豆をまくようなことも行なわれ、イベント 化しているとも言える。
以前は豆のほかに、米、麦、かちぐり、炭なども使用されたというが、豆撒きとなったのは、五穀の中でも収穫量も多く、鬼を追い払うときにぶつかって立てる音や粒の大きさが適当だったことによる。また炒り豆を使用するのは、節分は旧年の厄災を負って払い捨てられるものである為、撒いた豆から芽が出ては不都合であったためであるという。
ついでに、恵方巻も!
恵方巻
恵方巻、恵方巻き(えほうまき)は、節分 に関西地方 で多く食べられる巻き寿司 。「恵方寿司」とも呼ばれる。
節分の夜にその年の恵方 (歳徳神 の在する方位 )に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら[要出典 ]太巻きをまるかじり(近畿方言 では「まるかぶり」)するのが習わしとされている。
商売繁盛、無病息災、願い事が叶う、その年必ず幸運が訪れる、厄 落とし等の意味を持つともされる[要出典 ]。七福神 に因んで、かんぴょう 、キュウリ 、シイタケ 、だし巻 、うなぎ 、でんぶ 等七種類の具を入れて、福を食べるという意味合いもあるらしい[要出典 ]。
起源には色々な説があるが、その一つが大阪・船場で行われていた「丸かぶりすし」を元に広げられたと言われる[要出典 ]。
発祥
恵方巻の起源はいくつもの説があり定かではない。その一つに江戸時代
末期から明治時代
初期にかけて、大阪
・船場
の商人による商売繁盛の祈願事として始まったという説がある[要出典
]。 節分の日は暦の上で春を迎える立春
の前日にあたるので、一年の災いを払うための厄落とし、年中行事として行われた。また豊臣秀吉
の家臣・堀尾吉晴
が偶々節分の前日に巻き寿司のような物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているという説もある。
その他にも恵方巻の発祥地の候補には、和歌山
(紀州
)、滋賀
(近江
)等があるがいずれも確かなものではない。以後恵方巻の習慣は、昭和
初期の大阪では船場の商人の間で行なわれていたようで節分の「丸かぶりずし」の広告
チラシも作成された。しかし、「一気に丸かぶりしなければいけない」ということは、海苔の販促として恵方巻を売り出した、「たこ昌」の代表取締役である山路昌彦の作り話とも言われる。
大阪での復活
戦後 に一旦廃れたが、1973年 から大阪海苔問屋協同組合が作製したポスターを寿司屋 が共同で店頭に貼り出し、海苔を使用する巻き寿司販促キャンペーンとして広められた。翌1974年 には大阪市で海苔 店経営者等がオイルショック 後の海苔の需要拡大を狙いとして節分のイベントで海苔巻きの早食い競争をはじめたこと、1977年 に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀 で行った海苔の販売促進行事などが契機となって、復活することとなった。
はい
節分って、歴史がありますよね・・・![]()
(Wikipediaさん、参照です。)
小さい頃、豆まきするの楽しかったですね![]()
うちは、福豆を撒いていたのですが、その日だけは福豆が美味しくて・・・。
歳の数しか食べられないと聞くと、がっかりでした![]()
次の日は・・・。
次の次の日は・・・。
次の次の次の日は・・・。
どういうわけか、節分の日にしか食べたくないんですよね![]()
まぁ~、“鬼は外~
福は内~
”
・・・
・・・
・・・
可哀想なので・・・“いい鬼は内~
福も内~
”ということで![]()
祝!
って、まだですが・・・![]()
きちんと更新するよになり、あと少しで一ヶ月です![]()
よ
凄いよ
nobuちゃん![]()
(オードリーのかすがの感じで、読んでください)
そして・・・今月もあと1日![]()
もう2月ですか・・・お![]()
バレンタイン・デーなんて催し物もあるようで・・・。
チョコを、ちょこっとお待ちしております![]()