教えるというのは、ある内容を相手にわかるように伝えることだとずっと思っていた。それは確かにそうなのだが、何かそれだけでは足りないように思えてならない。何が足りないのだろうか。それは相手の事情だ。相手が教えたときにどう思うか、どう感じるか、どう解釈するか、また、教えた内容がどのように理解されているか、どのぐらい理解されているかそういう相手の事情を考慮しながら教えないと、教えるという行為がただの一人よがりな行為になってしまうと思うのだ。教えるという行いは自分1人ではできない。相手がいる。私の場合それは中学生だが、中学生というのは実に面白い年代で、大人に教えるのとは訳が違う。

 たまに大人に中学生の勉強を教える機会があるのだが、大人の理解力の高さには目を見張るものがある。その理由は内容を受け止めるためのバックボーンが中学生とは比較にならないほど多いからだと思う。もちろん、中学生の中にも大人顔負けに知識も経験も豊富な生徒がいるのだが、基本的には知らないことが多く、経験も乏しい。生徒によって千差万別だ。その千差万別の生徒1人1人の事情を考慮して、または探りながら教えていくというのは何物にも変え難い楽しみだ。