どうも、RuIです。
このところ、新しく仕事が始まり
そのタイミングで高熱や嘔吐・下痢に見舞われ
回復しても頭痛と吐き気が治まらず
病院に行っても原因不明になっているこの頃。
さて、私は今回どうしていいかわからない状態で
日々を過ごしています。
原因は祖母。
前回、書けきれなかった
祖母と父親の関係も含めて
今回、記事を書いていこうと思います。
うちの祖母は父親に過干渉・過保護。
離婚した理由も父親を庇った挙句ですし、かまってちゃん。
何でもかんでも、やりたい病でもあり
やった見返りをいつまでも求めている人です。
大人になり、生まれた実家に戻って気づいたんですが
精神的な環境がおかしい、もしくは悪いと感じました。
うちの祖母の家は
いつも誰かしら、遊びに来ます。
俗にいう、井戸端会議の場なのか。
夕方になってやっと誰も来なくなると
使命感から夕飯の支度を始めます。
そして、ブツブツとこう言い始めます。
「誰々さんが何時までいるから、夕飯の支度が遅くなった」
「誰々さんはいつも長居する」など。
愚痴なのは分かっていますが
毎回毎回、この言葉を飽きるほど聞いていると
夕飯の支度があるからと行って帰ってもらったり
何かしら理由をつけて、返す必要があるのではないかと。
もしくは、今日は何時に父親が帰ってくるから
この時間までと最初の段階でいうとか。
不器用なことは分かっているのですが
小言がとにかく多いのと一言多い。
また、なぜか構ってアピールとでもいうのか
足を手術しているのだが
足が痛い、頭が痛い、怖くなった(方言で気持ち悪い?)と良く言う。
言われるのはいいのだが
これが頻繁になると、こっちとしても
病院に行けばとすすめたくなるし、すすめる。
だが、いかないし
布団ではなくコタツで休む。
それ以外にも、やらなきゃという使命感や
過保護があるおかげで
何々が痛いのにやってるとか言い出す。
こちらとして、やってもらわなくても
子供でもないし、自分のことは自分でやるが
そうはいかない。
これは父親の態度が関係していると考えている。
そして、一番面倒な言葉を口にする。
私はいなければいい、死んだ方がいいと。
この言葉の威力について、私なりの見解がある。
この言葉を口にするのはいいが
言われた側は、常に死に対する恐怖が付いて回るようになる。
言葉というものは不思議で
言霊というように、何かを縛り付ける力がある。
上記の言葉は、死についての呪縛だ。
私は小さい頃から死について考える時があった。
いい子でいる苦しみから逃れられるのは「死」ではないかと。
ただ、死んでも消えても何も変わらないのと
人様に迷惑がかかるという単純な理由で考えるのをやめた。
だからこそなのだろう。
祖母の言葉が嫌いであり、その言葉すら聞きたくないと思う。
そして、その言葉を発するだけで
その場がネガティブになり、他人をも生きる力を失わせる場になる。
私が少し客観的に家族を見るようになって
そう感じ始めていた。
そして改めて、この家族のネガティヴはレベルが高い。
家族と接してることで
自分もネガティヴになっていく感覚に陥っていくのが
また恐怖である。
子供の頃から、その環境で生きてくると
当たり前かのようだったが
彼氏や友達と多くの時間を過ごして来たことにより
家族の素性が見えて来たのも事実である。
幸いにも、私の周りには
ネガティヴよりかポジティブな人たちが多い。
だからこそ、そちらと時間を過ごした方が
人生を有意義に使えると思うようになった。
話は祖母に戻るが
昔からの性格だから、仕方がないのだが
いまは、新しく仕事を始めて
ピリピリする状況になっているおかげで
余計、その行動や言動が目についてしまうのが辛いとこ。
そこを乗り越えるために
自分でできることはやろうと心に思った
今日この頃であった。
では、もう夜も遅いのでこの辺で。
Good-bye
