なんつーか、本来の主旨?というか、つらつらと思い浮かぶまま、というか、くだらないことを。


まず昔観ていた深夜アニメ『シャドウスキル―影技―』のエンディングテーマ曲の歌詞を改めてゆっくり見返して思ったことを書きたくなって書いてます。

そのためには歌詞が無いと話にならないのでまず歌詞を。


――――――――――――――――――――――――――――――
夜は闇を連れ 月は輝き 星は幾度大地に流れ落ちる
辿り着くために旅をするのか いつか全て答えは見付かるのか

振り向くな と叫ぶ声が 今もどこかで響く
人は罪を重ねながら 知る悲しみを両手に抱いて生きる

Pride
you're my pride just my pride

自分を守るために 弱さを隠し獣は牙を剥く

for my pride just my pride

教えられた強さは 命を懸けても
愛するものの行くのが 勇気と呼ばれる

I'm gonna take my pride




時代に選ばれ ここに生まれて
与えられた命を探る旅路

この瞬間目を背けて 歩けはしない明日
行くあてさえ見失って ただ立ち尽くし あきらめかけた時も

pride
you're my pride
just my pride

終わらせてはいけない 自分で決めた道が続く限り

for my pride just my pride

激しく傷ついても getting my way getting my aim
深い闇に落ちても 誓いを果たしたと言える
誇りになる
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

繰り返し抜きではここまで。
SPIRIT LEVELの『For My Pride』


さて、何に今更気付いたか、

あくまでも私の解釈に過ぎないですが

歌詞に込められた意味なんですが、

まず "夜は闇を連れ~流れ落ちる"
は年月を重ねていること
"旅をするのか" "答えは見付かるのか"
は人生を旅に見立てていて、
哲学的なこと この世の真理に全て到達できるのか
という 誰何 だと解釈します。

"振り向くなと叫ぶ声が 今もどこかで響く"

には幾つか浮かぶのですが

後ろに掛かる
"人は罪を重ねながら 知る悲しみを両手に抱いて生きる"から
過ぎ去った過去に対する詮索・探求はせず、前へ進め
という、言葉が自分に鳴り響いている

そして掛かる言葉は

失敗をしなければ、新たなことに到達出来ない悲しみを抱いて…
という風にも見えますが

今の私にはもっと違って聞こえました。

振り向いたが最後、生きてはいられない中で
前進するしかない中で
前へ進むために致し方のない過ちを繰り返して、物事の苦い核心に少しずつ近づく

というような苦々しいものに聞こえました。


英語歌詞については後述することにして

その後の
"自分を守るために~勇気と呼ばれる"について。

これは二重の意味が作品の内容上あると解釈しました。

まずは作品としての意味合いだと解釈したものを。

この作品の最後に出てくる主人公ガウ・バンの到達する強さの本質・勇気の本質として語られる
"野獣の本能"を言い換えているという解釈です。

野獣が生きる手段として食べる別の野獣に命懸けで向かう
サバイバルとしての闘争・暴力。
親の肉食獣が子を生かすために奮う暴力・自らも命を失うリスクを払って他の命を奪いに行く際の恐怖を克服するための勇ましさ

これが作品としての意味合いと解釈。

まぁ、詩的な文章は解釈次第で色々な意味合いに受け取られるもので、ましてこうした生き残りや勇敢さについて述べられている抽象的な短文は沢山の創作意欲の源なので、色々浮かぶものですが

はじめて聞いたときは 「日本語としての文法が変じゃない?」
でしたが意図しない不自然さを大人の作り手は基本的に出さないので
"教えられた強さは命を懸けても
愛するもののために行くのが勇気と呼ばれる"

なんか変ですよね。
多分
「教えられた強さは命を懸けても
愛するもののために行くのが勇気と呼ばれる ◯◯◯◯◯」
と試験やクイズの穴埋め問題のようにわざと言葉足らずにしてると考えるのが自然ですね。
足らない から 足らない部分は?!
と思わせるのが作者の意図だと解釈します。
曲の聴き手に気になって考えてもらうと、気になって繰り返し聞きたくなる、観たくなる
ところで 何故?   というのが私の気付いたこの企画・シャドウスキルの企画主の"視聴者への想い"が込められたもので、やたらもったいをつけますが、せっかくなんでわりと最後の方にそれは記します。
因みに全くこの曲を知らない方のために記しますが、この曲はこの手の主題歌の大半と同様、2番構成でサビは一番のものをもう一度
繰り返すので、 ことさらにこれを作者は意識させてます。(作品のテーマなんだから当たり前だけど)

さて2番に移ります

"時代に選ばれここに生まれて与えられた命を探る旅路"
これは
今、生まれてきたこの人生の道すがら

"この瞬間 目を背けて歩けはしない明日"
目の前の現実を見なければ、明日へは進めない
当然ですが、何故当然のことを?答えは先にあるので進みます。

"行くあてさえ見失ってただ立ち尽くしあきらめかけた時も"
この掛かる言葉から前を解釈すると
目の前の現実が"何らか"の理由で見られずにいる
だから 行くあてさえ見失って立ち尽くして
あきらめかけた時も―――

"終わらせてはいけない自分で決めた道が続く限り"
"激しく傷ついても"
"深い闇に落ちても
誓いを果たしたと言える  誇りになる"


もうお分かりかと思います。
今が辛くて先が見えなくっても勝手に自分の道を断つな、
死んではいけない
激しく傷ついても
深い闇に落ちても
                                     誓いを果たしたと言える誇りになる
また伏せ字。

私なりに伏せ字を解釈したものは
激しく傷ついても
深い闇に落ちても
"最後まで自分で決めた道を歩み通すものを見つけたのなら"
誓いを果たしたと言える誇りになる

そして繰り返し pride pride 言ってますが
これはいよいよ、企画主の想いと 私の解釈が正しいなら 深く関わる意味を持ちます。

まず一番の私の訳は
pride                         【誇りよ】
you're my pride       【お前は私の誇り】
just my pride            【(お前こそ)私の誇り】
 

自分を守るために弱さを隠し獣は牙を剥く

for my pride           【 誇りのために】
just my pride          【(お前こそ)私の誇り(だから)】

教えられた強さは命を懸けても
愛するもののために行くのが勇気と呼ばれる

I gonna take my pride     【私は誇りと共に行く】


ただの誇りに、気持ちにいっていると私は解釈しません。

これは聴いている・観ている全ての子どもに対するもの

ひいては  全てのいきとしいけるものへの言葉だと。

いつの時代にもある話だとおもいますが、この作品が作られる数年から学校でのいじめによる自殺が問題になり、社会全体でなんとかしなければという風潮が高まり、国を上げてスクールカウンセラーを各学校に配置したりする流れが生まれ、カウンセラーを目指して大学で心理学を学ぶ大学生が増え、遊びのレベルですが、簡単な心理テストなどが雑誌などにも取り上げられだしていました。

私もその時代を少年として生きて、過去の記事にも記して来ましたが、私自身、酷いいじめを乗り越えて今に至るので、余計によくこの作者の発信したものを拾いやすいのかと思います。

今、大人として生きていると、たとえ自分の子どもでなくとも、
子どもはみんな社会の財産でちゃんと育ってほしい、仲良くしてほしいと心からそう思うようになりました。

かつて私が子どもだった頃の心ある大人たちもそう思っていたように感じます。

放送時間は深夜。無意識に強さを求める中高生はなんとなく見て、触れるなかで、もし、この歌詞が琴線に触れるような傷付く経験をしたものにだけ隠れた意味を伝えるために…

と 個人的な解釈ですがそう感じました。

前半戦の歌詞ですが、この核心が分かると、スッキリと一つに繋がったメッセージとして見えます。

夜は闇を連れ月は輝き  星は幾度大地に流れ落ちる…



長い年月をかけて紡がれてきた命。その中で苦しみ悩みながらも
生き残るために 愛するもののために   我が子のために
全てをかけて戦ってきた。
誇り(我が子)よ  
お前は我が誇り
お前こそ私の誇り

お前と自分を守るために 弱さを隠し 牙を剥く
お前のために
ただお前に  教えられた強さは 
命を懸けても愛するもののために行くのが勇気とよばれる
誇り

お前が行くあてさえ見失ってあきらめかけたときも

我が子よ
お前こそ私の誇り
我が誇りよ

終わらせてはいけない 自分で決めた道が続く限り

お前のために  お前 が 激しく傷ついても 道を見つけろ
目標を見つけろ
深い闇に落ちても  それが
誓いを果たしたと言える 
誇りになる。


繰り返し繰り返し pride 誇り と呼び掛けていたのは観ている、聴いている人にだったんですね!

だから題名もFor My Pride  "我が誇りへ"!!

前半戦の私的な苦々しい現実は必ず生きていれば存在するものですが、だからこそ ただ獣が生き残りのために戦うように
ただ ただ 自分を奮い立たせ、自分の誇りと呼べるもの を守るために 身体が朽ち果てるまで戦い抜く!


っと気まますぎな感じで失礼しました。



〇〇に当てはまる言葉は放送禁止用語の

サイコパスを指す単語です。

昨日のラスベガスの銃乱射事件についてラジオ番組
アメリカ流れ者で映画評論家の町山さんが触れてて

アメリカで何故銃が未だに所持できるか
についてと、今回の件など興味深いことをお話されていたのでご紹介します。覚えてる限りで頑張ります。


アメリカ合衆国は建国のされ方が
イギリスによる支配からの独立で今のアメリカ政府の礎はその革命軍が銃を手に勝ち取った自由のため、憲法の中に
もし、政府が悪かったら、銃を手にまた政府を打倒するためのものとして
銃を持つ権利がまだ保たれている
というのが根幹にあり

政治を支配してるのが、全米ライフル協会という政治家の選挙活動を斡旋してる組織・ロビー団体であり
事件のあったラスベガスのあるネバダ州はその影響が凄く強い地区であり、マシンガンを人種に関わらず所持できてしまうのだとか(町山さんも実際にネバダ州でマシンガンを撃った経験あり!)


さらっと書いちゃいましたが、とんでもないことを平然と組織力で成立させてますね!!笑えん。

続きます…
ライフル協会は政治派閥に関係ない所謂 超党派の組織であり、必ずしも保守党の共和党に協力するわけではなく
オバマさんが当選した時もライフル協会の人も改革派の民主党側の大統領候補のオバマさんを助けてます。

いずれもアメリカの政治の世界ではいかにライフル協会を自分の陣営に協力させるかが選挙を勝つために不可欠なほどの力があり、

銃関係でライフル協会には毎月ヒット映画の君の名は。の興業収益と同じぐらいの金額のお金が入ってくるそうな…

実は以前にも銃乱射事件で何の罪もない人が大勢殺されてます。
華氏911を製作したドキュメンタリー映画監督のマイケル・ムーア監督が映画にもしたコロンバインの銃乱射事件の時も政府は全く銃規制の対策はせずに規制したのは犯人が聴いていたマリリン・マンソンの音楽を流すラジオ局の放送を止めさせただけでした。

とにかく、銃による金儲けと、政治団体のライフル協会が結び付いているせいで、

異常な人間が危険な動機でも

ラスベガスのホテルに何日もかけて何丁ものマシンガンを日に分けて運び込み、今回のような事件が起きてしまえる状況です。

そのお金儲けにいったいどれだけ銃の犠牲者をだすきなんでしょうか?

一部の人間のウマメシのために、何故生け贄のように罪もない人たちの命を奪う商売を続けるのだろう。
銃の所持の自由と
罪もないひとが幸せに生きる権利

どちらが大切か比べるに値しない。

自由は人の幸せのためのものなのに。

亡くなった方々に心よりご冥福をお祈り致します。
タイトルは願いです。

ホントにいま、世の中のムードが悪いです。
私もメディアの多くにウンザリしてて、ちゃんと作られた番組以外は不愉快で発狂しそうな程の怒りを感じるので最低限しか報道も見ません。
多くが細かいことをあげつらういじめのようなものだし
延々みて愚痴を言っても何一つ問題が解決するでもなく、自分の人生がよくなるわけでもないので。

たしかに世の中は色々あります。
でも、それは度合いがちがうけどいつの時代もです。

そして、いま、つらい状況でもなんでも

とにかく歩みを止めずにやり続け、生き続けてください。
やったことは必ず形に、なります。
でも、愚痴をいったり、そうしたものを見てると
その時間は前進できない。
下手をするとそのせいでやる気をなくしたり、ネガティブに、なったりして、かえって行動できなくなることさえあります。
だから、とにかく行動、前進、努力、ポジティブに。
愚痴をいってると、愚痴を言いたい人が集まり、愚痴愚痴を延々いうことになる。どんどんダメになる。
だから、ただ、行動する。
そして、明るくする。辛くても。
なぜか
それは明るくしてるだけで、良い人や良い結果を呼び寄せるから。本当に。
それは誰も不景気な顔の人には嫌だから。
わざわざ元気のない人によってきて声をかけるのはお人好しか、人の弱味に取り入ろうとする悪魔のような輩かどっちかです。
そして、明るさは他人に広がって行くので、それだけで良いムードを生み、良い流れが生まれる元になります。

だから、とにかく明るく行動してください。
状況が悪いならそれにとどまりたくないなら、自分から良くなればいい。明るく。嘘でいいから明るく笑顔で。そのうちに明るさも笑顔も自然と生まれてしまう状況になる。
だから明るく笑顔でただ行動!

テンションあげるものに触れて明るくなればいい、楽しめばいい。
人生一度きりなんだから、楽しんで!

考えるのは余裕ができてから。

まずは生き残って!

ってだれにいってるんだろ?


もちろん、世の人の全てに、もちろん、自分にも!