レヴィ=ストロースは、神話との類似性に関連して、音楽について次のように述べている。
「音楽は、通時的には旋律が、共時的には和音があり、一つひとつの音は、前後の関係の音とともに、同時に発せられる他の音(無音も含む)とも関係をもっている。
同様に、交響曲の総譜も、縦軸と横軸のある2次元な表現方法をとる。
時間は、不可逆で一次元的であるが、音楽は、この「時間」の制約を克服する一つの方法として、通時的、共時的に関係をもった諸要素が互いに共鳴したり、対立したりする、複雑であるが論理的な全体をつくりあげる。
つまり、音楽は、過ぎ去ってゆく時間を否定するために必要な「時間」というわけで、過去、現在、未来はすべてひとまとめにされ、同じ論理の型に入れられる(時間の統合機能)。
ラベルのボレロなどは、一つの典型例である。」
(板橋作美他著「レヴィ=ストロース」清水書院)
※時間の統合機能については、フッサールの「生きた現在」参照。
それでは、フッサールの「生きた現在」を引用しましょう。
「われわれがあるものを知覚するとき、視覚に応じて、”現に見えている”部分の地平に、隠れている部分(「すでに見た、あるいはまだ見ていない部分」)が知覚の働きの中に共に与えられている。
このことは、音楽のメロディの知覚の場合にいっそう明瞭である。
過ぎ去った楽音は消失してしまったのではなく、現に聞こえている楽音をまさにその楽音たらしめているものとして、保持されている。
そうでなければ、メロディを一つのメロディとして知覚することはできない。
今は、点的な今ではなく、過ぎ去ったがまだ「生き生きしている」たった今を彗星の尾のように持っているし、同様にまだないすぐの今持っている。
前者を「過去把持(記憶、想起)」、後者を「未来把持(予見、期待)」といい、これらに、「現にある現在」から構成されたのを「生きた現在」という。」
(加藤精司著「フッサール」清水書院)
学生の頃は美学などの講義で、現象学が出て来たものでした。
音楽を解釈することでは、認知心理学から大脳生理学の領域にも成っていくでしょう。
解答はまだないのですが「生きた現在」からは、ラーマナ・マハリシなどのインド思想家から連なるような、現代のエックハルト・トールやフランク・キンズローの「時間」に関する主張を思い起こします。
存在するのは現在だけで、過去や未来は記憶の中以外には無い、と言うこと。
各国が協力して行っている大規模な量子論のための実験が進むと、時間が存在しないことの証明がされるとも言われています。
音楽は時間の芸術とされていて、音から音への経過によって空間に構築される建築物と表現されることもあります。
「音楽とは何か」と考えている時に、ちょっとヒントになりそうな資料を探してる中で見つけたレヴィ・ストロースとフッサールなのですが、皆さんにも良い資料になればうれしいですね。
「音楽は、通時的には旋律が、共時的には和音があり、一つひとつの音は、前後の関係の音とともに、同時に発せられる他の音(無音も含む)とも関係をもっている。
同様に、交響曲の総譜も、縦軸と横軸のある2次元な表現方法をとる。
時間は、不可逆で一次元的であるが、音楽は、この「時間」の制約を克服する一つの方法として、通時的、共時的に関係をもった諸要素が互いに共鳴したり、対立したりする、複雑であるが論理的な全体をつくりあげる。
つまり、音楽は、過ぎ去ってゆく時間を否定するために必要な「時間」というわけで、過去、現在、未来はすべてひとまとめにされ、同じ論理の型に入れられる(時間の統合機能)。
ラベルのボレロなどは、一つの典型例である。」
(板橋作美他著「レヴィ=ストロース」清水書院)
※時間の統合機能については、フッサールの「生きた現在」参照。
それでは、フッサールの「生きた現在」を引用しましょう。
「われわれがあるものを知覚するとき、視覚に応じて、”現に見えている”部分の地平に、隠れている部分(「すでに見た、あるいはまだ見ていない部分」)が知覚の働きの中に共に与えられている。
このことは、音楽のメロディの知覚の場合にいっそう明瞭である。
過ぎ去った楽音は消失してしまったのではなく、現に聞こえている楽音をまさにその楽音たらしめているものとして、保持されている。
そうでなければ、メロディを一つのメロディとして知覚することはできない。
今は、点的な今ではなく、過ぎ去ったがまだ「生き生きしている」たった今を彗星の尾のように持っているし、同様にまだないすぐの今持っている。
前者を「過去把持(記憶、想起)」、後者を「未来把持(予見、期待)」といい、これらに、「現にある現在」から構成されたのを「生きた現在」という。」
(加藤精司著「フッサール」清水書院)
学生の頃は美学などの講義で、現象学が出て来たものでした。
音楽を解釈することでは、認知心理学から大脳生理学の領域にも成っていくでしょう。
解答はまだないのですが「生きた現在」からは、ラーマナ・マハリシなどのインド思想家から連なるような、現代のエックハルト・トールやフランク・キンズローの「時間」に関する主張を思い起こします。
存在するのは現在だけで、過去や未来は記憶の中以外には無い、と言うこと。
各国が協力して行っている大規模な量子論のための実験が進むと、時間が存在しないことの証明がされるとも言われています。
音楽は時間の芸術とされていて、音から音への経過によって空間に構築される建築物と表現されることもあります。
「音楽とは何か」と考えている時に、ちょっとヒントになりそうな資料を探してる中で見つけたレヴィ・ストロースとフッサールなのですが、皆さんにも良い資料になればうれしいですね。
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