旅について。

友達が1年間の交換留学を終えて帰ってきた。

英語をはじめとする言語をある程度習得して帰ってきた。

留学で遊びも勉強も心置きなく経験してきたらしい。


その話の中でおもしろかったことは、デンマークという国のこと。

社会保障体制がしっかりと確立されており、全ての国民が

等しく良い生活を保障されているという。

移民難民にも寛容で、国の居住権(?)をとってしまえば、

国民と同じ保障が受けられるという。

しかしそれだけ国が保護してくれるということは、自分が

何か道を切り開いていかなくても生きていけるということ。

人の間のつながりは希薄で、個人主義が確立しているらしい。

したがって人との折衝があまりなく、ちょっとうまくいかないことが

あればふさぎこむ。

人生の目標を見つけることが難しく自殺率も高いという。


日本という国は本当に社会の保障体制に関しては何も確立されて

いないなぁと切に思う。

高い税金を搾取され、その使い道は不透明。

ペイに対して納得のいくバックがされない。

それが一部の富める人をさらに優遇するお金に変わってしまっている

という現状が真実ならば、これほど不合理なことはない。


さらに、日本は二極化が顕著に現れてくる。

今までのように、国がひとつとなって方向性を模索しまい進する時代は終わり、

僕たちは、個人の確立を突然強いられるようになった。

新システムに対応できる力のある人間にとっては、上の層にいける確率は

高まった。しかし旧システムの考え方を脱却できない人は、下の層に

とどまる他なくなった。


デンマークのように全ての人に等しく保障を提供する国でさえ自殺は起こり、

かといって日本のような外資崩れの競争社会におかれては、

ほとんどの人が疲弊してしまうだけで終わる。

どっちがいいか、悪いかという価値観の二元論で収まるものではないことは

百も承知なのだが、どこか歯がゆい感覚が残る。


ただ自分は、今の日本がおかれている現状に対して、何も知らず

意見することが出来なかった。それが悔しくもあった。

そしてそのようなわが国に対する認識や理解がなくとも、

平然と生きていける今の社会はやはりどこかおかしい。

違和感を感じる。


今まで生きてきて初めて、海外に行って見たいと思った。

そして日本のこと、わが国のことをもっと理解しなければならないと強く思った。


そして、言語の壁、気質の壁、文化の壁を乗り越えてきた友達は

とてもかっこよく見えた。

外国で得るものもあったけど、日本においてきたものもあると彼は言った。

それでも学生時代に悔いはもうない、と彼は言った。


学生時代に悔いはないか?

あるのなら、貪欲にいこうよ。


今自分が所属している団体について。

とてもフリーだと思う。

組織だってなくて、やりたいと思った人が周りを巻き込んでイベントを作る。

やりたくない人は別にやる必要はない。


今の段階で、自分は就活支援をする気にはなれない。

自分で100%の力を発揮して就職活動をしたとは思えないからだ。

そんな状態で下の人たちに対して、何もしてやれることはない。

100%出し切れなかったのは自分の怠惰が原因である。


就活支援をしたいというよりは、その場を通じて出会ったやつらと

何かがしたい、という思いのほうが強い。

就活って公式化できないし、万人による万人のアプローチの仕方があるし。

だからこそ、就活に対する思いは人によって温度差があって然りだと思う。


さらりと就活を終えた人。

早くから動いて、就活の恩恵を得た人。

動いたにもかかわらず、自分の意に反した結果になってしまった人。

内定に満足できない人。

まだ内定にまでたどり着いていない人。

もう08年度の就活生は動き出している。


数人が言っているように、勉強会を開催したいとかいう思いは

俺には特に無い。

やってみて気づくこともあるというけど、今はやりたいという思いがないから

やらない。

それだけのこと。


違った形で、何かを作り出していきたいのだ。

このブログを書きながら、つくづく自分には文才がないなぁと思う。

読んでくれる人のことを考慮した書き方などができればいいのだが、

ここでは自分の思いのたけを誰にも邪魔されずにぶちまけようと

思っているので、意図のない文章になっちゃうんだろうな。


特に伝えたいことがあるわけではない。

なんか書きたいなぁと思うことがあって、それについて書き始めたら

いつの間にやらしまりのない思いつきの文章が出来上がってるってわけ。


それでも進歩したと思うところは、文章に対してかっこつけなくなったってところ。

思想や社会学に劇的にあこがれていた時期があったので、そこにでてくる

カタカナ言葉を使いたくて仕方のない時期があった。

そういう言葉を選んで表現すればかっこいい文章がかけると思っていた。

他の学生と自分を差別化できると思っていた。


でも今はそこにはアイデンティティをおいていない。

だからこそ思いのたけを簡単な表現でぶちまける。


昔は他人との比肩を嫌い、他の人が書かないような難解な言い回しをすることで

自分を認識してた。

でもこれって結局、他の人と自分を比べてるってことだよな。

肩書きとか、所属しているものとかで自分の位置を相対的に決めてしまうのは

自分の悪い癖。

それからの脱却のために、今は自分の思いを吐露することで

自分と客観的に対峙している。


「結局は自分」

わかってるんだけど、日々忘れがちになっちゃうこの真理。

人と比較することをやめて、自分に絶対的なものをもつことができれば

それはひとつの成長。


今はこの成長がのどから手が出るほど欲しい。渇望。

今までお金を払って(正確に言うと両親に払っていただいて)

学びの場を得ていたのに、

これからはお金をもらいつつ、学びながら、

成果を出していかなければならないんだなぁ。


今まで生きてきたシステムの枠組みががらりと変化するんだろうなぁ。

お金を貰うからこそ、その組織に対して結果と

成果を出さなければならないのは当然のこと。

社会人というのはやっぱりプロだ。


そう考えると大学院に行くという選択肢は、

学生と社会人の間にあるようなものなのかも。

院生として、論文や研究という有形のものを

一定以上の標準で結果として求められるし、

学部生のとき以上に積極的に学びに行かなければならないし。


あと一年もしないうちにプロになるんだなぁ。

と思うとなんともいえないなぁ。

まずは社会とコミュニケートしていくことからはじめよう。

人より体験経験が劣っていると感じているから。

昔から抱いている思いのひとつに

「スペシャリストよりもゼネラリストになりたい」

というものがある。


この発想の発端は高校、浪人時代に遡るのだが。

理系を選択しながら、理系として進むレールに

何の魅力も感じず、なまじ文系のことに対して

憧れを持っていたということが始まり。


とにかく理系として学べる学問に対して面白みを感じられず、

ひとつのことをコツコツと極めるということが

性に合わないんだなぁということは漠然と感じていた。


実は、スペシャリストよりゼネラリストになるほうが

はるかに難しいということはうすうす感づいていたのだが、

それでも憧れは消えなかった。


飽き性でひとつのことに熱中できず、いろんなことを

知りたいという僕の特性が、ゼネラルなものへの系統を

知らず知らずのうちに誘うのだろう。


何かに熱中したことがないというのは痛手なもので、

結局はそれを早く見つけた人が勝ちだと思う。

けどそれは確実なものでなくてもいいわけで、

自分が「これ」と暫定的に決めて、

それに打ち込んでいるうちに、それが自分の生業と

なるのかな。なんてざっくりと思う。


今でもゼネラリストになりたいという思いは消えない。

けどそれだけじゃ漠然もいいとこ。

何かに目標を定めたほうが、頑張れる度合いも違うし

伸び白も大きい。


ゼネラリストは生涯をかけて追い求める目標としておいて、

まずは目の前にあることを妥協することなくこなしていくしか

ないことがわかった。

そういや就活をはじめたころは、会社のことなんか

何も知らなかったよなぁ。

そもそも就職をするという選択をした時点で、

会社とはいったい何ぞやという根本について

理解をしておかなければいけなかったんだなぁ、と

今になって思う。


ところが、この会社というもの、めちゃくちゃ曲者。

会社とはなにか、とか存在意義に始まり、

ビジネスモデル、組織論、戦略論、などなど

数多ある会社の要素をすべて理解するのは至難の技だ。


これから飛び込もうとしている世界は、

幾多もの先人のプロが作り上げ、日々生成変化を

繰り返している、とても厳しい世界なのだ。


なぜ働くのか。就職活動を始めてからいくつもの

理由を練り上げ、作り出した。

それらはほとんどが仮初めだったように思える。

結果がでて、改めて考えてみることで、自分の理由は

理想論に過ぎないことを重々悟ることとなった。


やる気だけで変わるほど組織は甘くないし、

今まで怠惰の限りをつくしてきた自分がそこでやっていけるのか、

やっていくだけではなく成果を出せるのか。

わからないことだらけだ。


もっとシンプルに考えればいい。

そう思うことはいくらでもある。

けどそうはいかない。

やり直しはきかないと思っているから。


結局今一番欲しいのは、

不自由を感じることがないくらいの、

物質的な対価。

就活してたときには全く出てこなかったもの。

でもそれも大事。

身の回りの物質的なものが貧窮していれば、

精神的な面での充足も事欠くことになってしまうと思うからだ。


要は軸となるものを、現段階の考えでいいから

バシっと決めてしまうことだ。

そして、自分が行くことになりそうな部署について

勉強することが必要だ。


と、頭の中でもやもやしている部分を吐き出してみたら

よけいにぼやぼやっとしてきた。


どっか今の自分を壊して

ブレイクスルーの境地にたどりつきたい。


就活を始めた当時に持っていた

あのキラキラしたものを思い出せ。

きっと、とても大切なものだったんだ。

どこの会社に行っても同じ。

のびるやつはのびる。のびないやつはのびない。



闘う集団に入って勝ち癖をつける。

勝ち癖のこびりついたやつはとてつもないパワーを生み出す。



信頼は一瞬にして失われる。

口だけならやらない。

意思決定には時間をかけるな。



期限までにしなければならないことを出来ないやつは

使いようがない。



今の組織がおもしろくないなら、自分で考えて

おもしろくしていけばいい。

現段階で面白さを感じさせなくさせている原因は何か。

探り当てろ。



以上。

久々に社会人の方とお話をした。


ひとつ心に響いたことがあったのでそれを記しておく。


「どの会社に行っても、どんな仕事を選んでも関係ない。

社会人になるまでわからなかったことだが、今はそういえる。

そして自分の出来ることを仕事としてしながら、同時に

自分ができそうだと思ったことにも貪欲に取り組め。

出来ることの幅を広くして、目の前の仕事をきちんと

こなしてから文句を言おう。

究極的には何が仕事であっても同じ。

要は取り組む姿勢と結果を残すことである。」


まさに今の自分がそれを実行できていないからよくわかる。


就職活動をうやむやにしたまま、日々のしなければならない

ことをないがしろにし、適当にすごしている。

口を開けばえらそうなことばかり言うくせに、

行動と結果が全く伴っていない。


たとえば卒論。明日がひとつの山場だというのに

学校にも行かず、家でだらだらした時間をすごしている。

そして全然進展していない。


卒論の内容には興味がない。でも興味のあるテーマを

見つけられなかった自分が悪い。

何より社会に出たら、自分の好きな仕事が出来る可能性は

限りなく低いし、好きだと思っていた仕事でさえも、

仕事となれば苦しいことのほうが多いだろう。


LMI、RHRMの社員さんが共通していっていたことを思い出した。


「仕事の9割以上はしんどいこと。でもそれを克服して結果を出したときは

何にも変えがたい喜びがある。それを味わうために仕事をしている。」


「仕事なんてしんどくて当たり前だし、会社に入ってからいままで事なかれ主義

だった、自分の無力感を痛感して私が何度も泣いた。でもそんな心境でも

仕事をこなしていくうちにだんだんと結果を出し、周りからも認められた。それが

うれしくて今も仕事をしている。」


現段階で、学生という身分の今でさえ出来ていないことが、社会人になって

突然出来るわけない。

気の進まないことでも取り組んで結果を出すくせをつけておかないといけない。


目の前にある仕事を精一杯取り組んで結果を出す。

今からやります。明日に向けて。

堕落していて本当に申し訳ない。


あきらめない!

望みはあるぞ!!

とある人の言葉。


とかくラッパーは自分のことをデカくみせがち。

かくいう自分もラッパーだ。

けど自分はグレたり、喧嘩したりしたこともない普通の人だ。

そんな自分が自分を過大に表現しても、何も伝わらない。

自分のせいいっぱい、飾ることなくありのままに伝えることだけを

心がけている。


そんな彼の歌はとかく印象に残る。

誰もが経験してきたことを、素直に、自分の言葉で放つ。


誰もが書けそうな詩だけど、それは確かに彼だけの表現である。


なるほど、こういうのをかっこいいというのか。


ありのままの自分で、背伸びせずに、表現すること。


とても簡単だけど難しいこと。

なーんかしっくりきた◎