ここ10年の日本サッカーの象徴であった彼が引退すると言うことは、新しい時代になったということであろう。

 オレが一連の引退報道、さらに彼の引退声明をみて思ったことは、とても日本を象徴的にあらわしているものだと思う。

 ブラジル戦の終了後彼がピッチで一人に残った時声をかけたチームメイトは一人、長年代表チームで共に戦った宮本選手だけであったという。以前から彼は日本で孤高とでもいうのであろか、選手間、監督などとの確執が問題視されていた。それは彼からすれば良かれと思っていったこと、プロ意識によって引き起こされてしまったことなのであろう。彼自身が自分の長所を第三者的視点であると述べていたように、ある意味では彼の発言は真実を含んでいたのであろう。

 しかし、社会という枠組みでは必ずしも真実は求められていないのである。特に日本においてはその独特の閉鎖性ゆえに、かえって自分の立場を追い詰めることになりかねないのである。彼がそれでも信念を貫いたのは、彼の真実への欲求(サッカーに対し誠実であった)と強靭な精神力があったからであろう。

 一方で、他の選手がいけなかったのかということにはならないと思う。なぜなら彼らはそういう思考自体をもっていないのであるからである。世の中ではコミュニケーションという力がとても重要視されているが、中田英寿にコミュニケーション能力がなかったのではない、元々現状では理解し合えないのである。彼は上手に伝えることができないと述べていたが、それは非常に困難なことなのである。例えるのならばフランス人に日本語で語りかけているかのごとく、通じないのである。そう言語が違うのだ。

 「悟ることは易いが行いことは難し。」

 「時代が求めるものは必ずしも真実とは限らない」

 彼が最後のピッチや声明でサッカーへの想いを表しているのを見て、個人的にとても熱くなるものがあった。誠実にサッカーを愛し、まさに孤高となった彼に心からお疲れ様と言いたい。そしていつの日か彼が監督としてその理念を将来の日本代表に伝えてくれることを願っています。


 内定がでて社会人になるであろうことが決まった今になって思うのは、将来自分がどうなっていたいのか、ということである。

 就職活動を始めた頃は自分のやりたい仕事でお金を稼げればそれでいいと思っていた。特別お金持ちになりたいとかはなく、普通より良ければいいんじゃないかなってぐらいで、あんまりお金を意識することは就活にいい影響を与えないと考えていたのである。

 しかし今は違う。明確にお金が欲しいし、使われて一千万稼ぐより、使う側になってもっと稼いでいきたいと思っている。

 これはあくまでも自分の主観であるが、日本という国は、今までかつてないほどに社会主義が成功した国なのであろう。一億総中流という言葉にも現れているし、自分の親も就活前に普通に勤めてくれればいいと言った。

 じゃあ年収でいくらから幾らまでが「普通」なのであろうか?

 日本人は貧乏でも生きていける民族であるが、人と一緒じゃないことを非常に恐れる民族でもあるのだろう。このある種閉鎖性が最近になってようやく名実共に資本主義となったことで少しずつ崩れていくのであろう。

 話を将来の夢に戻すが、内定先の社長に言われたことで将来自分がどのような生活をして、どのような結婚をして、どのように子供をそだてたいのか、そして今の仕事を通じて将来どのような仕事をしていきたいかを明確にイメージすることが大事であるとアドバイスをいただいた。それさえできれば、あとは逆算して将来そうなるために今何をすべきかを考え行動するだけでいいのである。

 俺の夢は、35までに今の会社で社長になる。そして会社を国内だけでなく主に海外でスタンダードとなれるようにし、一年の三分の一を海外で過ごす、世界標準のビジネスマンになることで、自分にはもったいないくらい美人でできた人と結婚一男、一女の父となる。55までには会社を別の人間に任せるようにして引退、あとは個人経営の小さくて雰囲気の良い喫茶店で美味しいコーヒーをいれていたいと思う・・・。

 

もう0時を回ったので明日は父の日である。

これまで特別なことは何もせず、贈り物の一つも贈ったことのない自分にとって今年の父の日こそ勝負のときだと考えている。

べつに勝つも負けるもないが、ただ学生生活最後の年に社会人としてのスタートを切る前にこれまでの感謝を形にして贈るというミッションを達成せねばならないと思う。

 「親には感謝しなくてはいけない。」

当たり前のことなのだが若き日の俺はこんなことまでも疑ってしまい、何故感謝しなくてはいけないのだ、子供は親を選ぶことはできないんだとまで思っていたこともある。

 就活をすると見えてくることが沢山ある。その中の一つに自己分析というものがある。ようは自分をアピールする為に自分を分析するのだが、これはとても大きなきっかけになったと思う。

 自分の特徴は自由に物事を考えることである。

当たり前のことでも疑うし、なんについても考える・・・。例えば恋愛におけるセックスの定義なんか考えてみたり( ̄_ ̄ i)

 実は自由に・・・ということは自分ひとりではなしえないものであると気づいたのである。自由にものを考えるにも環境が必要なのだ。食べるにも困る家ならこんな余裕はないだろうし、親がサラリーマンでも考え方は変わっていたのだろう。

 話が長くなってしまったが今年こそなにか形にして感謝にしてみようと思う。

明日新宿にでもいって物色してみようと思うが一体何を買ったらいいのだろうか、一般的なネクタイなどは使用しない職業だしなぁ~。

 タバコのカートンじゃまずいよな・・・まだまだ眠れそうにない( ´(ェ)`)


 ある種の人にとっては生涯のテーマとなりうるものであり、自分も例外ではない。これから社会に出る身分の自分としてはこれから先このことでずいぶんと悩む日々が来るであろうと容易に想像できる。

 ある有識者が優れた知性とは対立する二つの概念を使いこなした時にうまれると言った・・・。世の中には多くの矛盾が存在している。最近では「国家の品格」という本でも話題になった情緒と論理性もそうであるし、自分にとって個と社会性もその一つである。

 ある物事について正しいかではなく、多数派に属しているかが未だに重要であるし、社会で生きるということは人の評価で生きるということに近いのかもしれないと考えるようになってきた。大変である・・・。

 就職活動をしているとどのような人が評価されるのかが分かるようになる。就活は無事終わったといえど自分はそんなに評価をされたタイプの人間ではない。ではどのような人が評価されたか、あくまで主観ではあるが述べてみたいと思う。

*現実的な努力ができる人

 

 これに尽きると思う。例えば広告業界を希望した人がいて、「私は一生広告で飯を食べて生きたいんです。」と熱い思いを面接でぶつけたとする。しかし広告業界がどんなものか業界研究も企業研究をできていない人がそんなことをいったとしても、説得力もないし、その熱意が強ければ強い程盲目的に感じられお馬鹿さんな香りがしてしまう。

 ようはその人本人の本質などはあまり見られないのである。いや見ることができないと言った方が良いだろう。それこそ経営者レベルにならないとそこまで見抜くことなどできないのであろう。人間的な器などまったく関係ない。

 目に見える努力が評価され、人に理解されないものに評価を求めてはいけないと考えたほうがベターである。

 では人には評価されないが自分では絶対無駄にならないと信念をもっち行動したことは無駄なのであろうか?いやそうではないのだと思う。ただしそういった経験を使うのは経営者側にまわった時であり、ペーペーな社会人のうちにはむしろ障害にすらなってしまう。


「正しいことをしたければ偉くなれ。」


踊る大走査線にもあったが社会性の中ではこれこそが真理だと22年の人生で知りました。

 社会人としてのスタートは目前に迫っているが自分の中で勝負の時はまだまだ先になるであろう。だからは僕はこれから資格のお勉強をします!まずは10月までに目的の資格をとらなくては・・・。


 

 

ふと思う来年の今頃は働いているのである・・・。

別にだからといってどうこうというわけではないが

今自由に使える時間を大事にしなくてはいけないのだなと思う。

さて何をしよう・・・。資格の勉強、お金を貯めて旅に出る、サークルに顔を出し

テニスに燃える、彼女を作ってみる・・・etc。

どれもやりたいので優先順位をつけてみた。

1位資格

2位お金を貯める

3位テニス

物事に順位をつけ長期的視野と費用対効果、すなわち利益とコスト、それに伴う

リスクを考えることは経済に留まらずある種の真理を含んでいるのだろう。

脱線したが自分に後悔をするのはかっこ悪く美学に反するので現状を楽しみ

日々やるべきことをこなしていこう。