安倍総理はアメリカ型研究制度を導入すべきである。
安倍晋三氏が総理に復活し、第二次安倍内閣がスタートして早一ヶ月が過ぎようとしている。最優先課題は経済の再生である。金融政策、財政出動、成長戦略を三本の矢にたとえている。
私としては金融政策については異論のあるところなのだが、それはさておき、安倍総理が経済再建に苦悩される姿がテレビに映し出されるたびに、私の脳裏には、日本の大学教授たちの無能と怠慢に対する怒りがこみ上げてくる。別に内閣参与に参加されている、浜田教授のことではない。日本の国立大学に巣くう、無能かつ怠惰なる教授たちのことである。
安倍総理はいつも疑問に思ってはいないだろうか、何故、米国には300人ものノーベル科学賞受賞者がいるのに、我が国には16人しか存在しないのか? そのうち1人は米国籍を持つ米国人となっており(シカゴ大学 南部教授)さらに、3人(根岸、利根川、下村氏)が米国在住なのかと言うことに。
米国在住日本人研究者がノーベル賞を受賞する理由、それは、米国の方が、才能ある研究者にとって研究をしやすい環境があるからである。何故、米国の方が研究環境が良いか?その理由は
実力主義にある。
米国の研究者はプロ野球の選手と同じ給与体系のもとに働かされている。そこには日本の大学のような年功序列、終身雇用はない。
米国の大学教授の給与は研究費に内含されており、研究費を取れないと言うことは給与を貰えないことを意味する。研究費を取るためには、独創的な発想と革新的研究テーマを全米科学財団、フォード財団、カーネーギー財団などのファンドに提案し、審査を受けなくてはならない。その審査は覆面で行われ、だれが審査委員なのかは秘密である。日本のようにコネや情実がそこに入り込む余地はない。また、大学は教授が取得した研究費の数割を大学維持費としてピンハネする、これをオーバーヘッドと呼ぶが、オーバーヘッドの割合は一流大学ほど高く、MIT、やハーバードになると七割に達する。教授と研究スタッフは残りの三割で研究費、スタッフ給与、実験設備費を工面しなくてはならない。すなわち、研究費を取れない無能な研究者は大学を解雇される、自身の生活も成り立たなくなる。
それに対し日本の大学では、研究費は給与と別枠となっているから、研究費を取れなくても、給与さえ貰えれば良いという怠け者が大学に跋扈し、才能ある若手研究者の芽を摘む。研究能力のある若手が育つと、自分の立場が危うくなるからである。
日本で研究していてノーベル賞をもらった科学者は幸運にも、このような無能な上司を教授に頂かなかった、きわめて幸運な人たちなのである。上司に恵まれない、若手研究者は米国へ研究亡命するしかなくなるのである、1985年の私がそうであったように。(この辺の事情については拙著”戦勝国は日本だった”に詳述してある)
もしも、日本も明治期から米国型のように、実力主義の研究体制を持っていれば、米国と同じように300人以上のノーベル賞受賞者を輩出していたと思う。13人の国内受賞者を除く287名は、年功序列、終身雇用という、日本型研究体制に巣くう劣悪大学教授に潰されてしまったのである。何たる、国家損失であろうか。
常識的に考えて、才能を売る商売に年功序列などあるはずがない。もしも年功序列、終身雇用を野球選手や音楽家、画家に与えたら創作意欲を失い、若手の芽を摘むことを職業とする輩が多数発生することであろう。研究者はプロの芸術家、スポーツ選手と同じなのである。実績に対して給与が支払われるべきなのである。そうでないと、日本の教授たちのように、若手研究者の芽を摘み、新規産業の発生を抑えて、国家経済を停滞、減縮に導く科学者ばかりとなる。
大学世界ランキングで日本の大学は壊滅状態となっている。ベスト100に入っているのは東大と京大だけ、ベスト50になるとゼロとなる。それ故、政治家は日本の大学の体たらくを非難して、文科省に大学のレベルを上げろと、尻を叩くが、返ってくる答えは決まって
「研究費が足りない」
である。
結論から言えば、研究費が足りないのではない。
才能が足りないのである。
才能のない、凡庸なる研究者に幾ら予算を与えても、良い研究結果など出てくるはずがないのである。
奴らは自分の給与は保証されているから、研究成果が出ない理由を,科研費が足りないからだと文科省に上奏する。文科省の役人は予算総額を増やしたいから、総理に研究予算が足りないからだと報告する。総理大臣はその殆どが、先端科学研究の経験などないから、予算を増やせば良い結果が出てくるものと勘違いして、予算を増やす。しかし、その結果はと言うと、結局何も出てこない。文科省は予算が増えて喜び、アホ教授は高価な実験設備で遊べたことを納入業者と共に喜ぶだけである。
凡庸なる演奏家に高価な楽器を与えても、出てくる音楽はやはり凡庸なのだ。一方、天才的演奏家は安っぽい楽器であっても、それなりに弾きこなし、高い芸術性を表現する。
「弘法筆を選ばず」と言うことである。
安倍総理が成長戦略を練る姿を見るとき、山中教授のIP細胞、スーパーコンピュータ”京”、メタンハイドレード、などネタの少なさに驚き、戸惑っている姿には同情を禁じ得ないが、その原因は、政府が科学研究の世界に実力主義を導入せず、旧態然たる体制を放置して来た結果である。
これは余談になるが、私の母校である北大農学部では、教授が韓国系中国人の留学生をハラませ、子を産ませて助教授に採用すると言う、信じがたい人事が平然と行われている。しかも、その教授の研究実績は皆無に等しい。旧帝大でこのような実態である。嘆かわしい限りである。
米国では新たな研究開発は何も企業や大学でなくても行える。私が米国陸軍で研究していた頃、ある女性研究者が数学部門に出入りしていたが、その女性はその研究所に在籍していた元職員で、出産のため退職し、自宅で研究をしていた。専門が数学であるから、元々実験費用がかかる分野ではないが、それでも、全米科学財団から年間5万ドルの研究費をもらっていた。このように米国では、家庭の主婦でも、研究才能が認められると、政府ファンドから研究費を貰えるのである。
日本人は何故、米国ではマイクロソフトやアップルと言ったガレージカンパニーが発達するのかについて、疑問を持つだろうが、そのからくりは、上記のごとく、たとえガレージに作業場、研究施設を設けた企業、個人でも才能が認められれば、研究費が下りてきて、新たな産業分野を開き、研究能力のない人物は退場しなくてはならないという体制が出来上がっているからである。スティーブン・ジョブスもビル・ゲーツも創業時は自分の生活費が内含された研究費をどこかのファンドから貰っていたはずである。
日本経済は製造業によって支えられてきたが、その元ネタはすべて米国の研究成果であった。テレビ、トランジスタ、IC、液晶、インターネット、パソコン、カーボンファイバー、ビデオデッキ、GPS、宇宙ロケットなど米国による発明は枚挙にいとまがない。日本は米国の発明品を後追いして、商品化実用化し発展してきた。しかし、90年代以降、米国の発明は枯渇してしまい、日本は独自に革命的発明を行わなくてはならないのに、発明ネタがないのだ。だから、日本の製造業は停滞してしまった。
発明ネタがなくなった原因の多くは、大学教授の無能である。悪貨は良貨を駆逐すると言うが、日本の大学ではそれが行われてきたのである。民間企業は基本的発明を商品化することは出来るが、基礎研究まで期待するのは無理である。その役割は大学が負わなくてはいけないのであるが、日本の大学教授の多くはIPS細胞のノーベル賞受賞に便乗しようとした森中某みたいな奴らなのである。
私は北大の元総長と議論したことがある。何故、資質に欠ける人物を教授にするのかという私の質問に対して、彼は次のように答えた。
「確かに安濃君の言うとおり、北大の教授連中の半分は教授にふさわしくない連中である。しかし、そんな奴らでも、定員の穴埋めの役には立っている」
今、成長戦略の策定に当たって、総理が行うべきことは、
米国型研究体制を我が国に導入し、実力主義の研究体制を構築することである。
そのためには、全米科学財団(National Science Foundation)と連携した、研究財団を設立し、米国のように、生活費が含まれている研究費を研究者に支給し、才能のない研究者には大学から退場願うことである。
日本独自の研究財団を作ったとしても、その運営を日本人に任せては駄目である。日本人に任せれば、またコネ人事、コネ採用、天下り先に落ち込んでしまうからだ。米国の研究財団と合同で運営し、審査は米国の科学者も交えて行うべきである。
安倍総理が成長戦略の要とすべき重要な方策の一つは米国型研究体制の日本への導入であり、
科学研究の世界での新たな日米同盟である。