こんにちは。

連載記事の4回目です。本日が最終記事になります。

 

ご興味のある方は、初回から読んでみてくださいね↓

 

 

 

 

今回の記事を書くに至った経緯

私は、幼少期からずっとスピリチュアルや不思議な世界が好きで、ずっと真理を知りたい、素晴らしい世界で生きたいと、幸せを追い求めてきました。

 

エネルギーワーク、占星術、数秘術、フラワーエッセンス、内観…、色々勉強しましたし、聖典やスピリチュアル系の書物もたくさん読みました。

 

そして、早く悟りを得たり、次のステージに行きたいあまり、焦りすぎて、一時期、スピリチュアルをやりすぎてしまったんです。そして、混乱した状態になってしまいました。

 

 

でも、幸か不幸か、そういう混乱した状況を経たお陰で、少しだけ人生の核心に近づけたんです。

 

今回は、混乱を乗り越える過程で気づいたことについてシェアしたいと思います。

 

 

 

今までずっと、“自分”が不在だった

私は、過去の人生において、スピリチュアルが大好きで、神様が大好きでした。

 

それ自体は悪いことではないと思うのですが、神を信じていれば、いつか素晴らしい未来に出会えると思って、いつも「いつかどこかの世界」を拠り所にして、ずっと頑張ってきたように思います。

 

現実を否定していたようにも思います。

 

 

もちろん、自分ではそんな自覚はなくて、
私は現実を大切にしているし、自分自身と向き合っているし、自分の人生に責任を持っていると思っていました。

 

 

でも、混乱した状態になって、ようやく分かったんです。

 

 

私は、いつも、どこか違う世界を目指していて、"今ここ"において、自分が不在だったとことに。

 

そして、いつか神様が何とかしてくれると、"自分の人生に責任を持っていないこと"にも気付きました。

 

 

今、どうなったか…

私は今、現実の世界を大切に、今の幸せを大切に生きています。

 

そして、自分の人生に責任を持つようになりました。

 

 

結果を望みながらも、結果に執着せず、毎瞬、毎瞬、自分が納得する選択をしながら、生きようとも決めています。

 

もちろん、生きていれば良い時も悪い時もあるけれど、今が一番、落ち着いた人生を歩んでいます。

 

 

世界で唯一無二の、自分という素材・存在を受け入れて、誰と比べる訳でもなく、今を生きる。

 

そんな今が一番しっくりきます。
 
 
 
これからも、『良く生きる』ということを目標に頑張っていこうと思っているので、何か気付きがあった時にはシェアをしたいと思います。
 
連載記事は以上です。
 
ありがとうございました。

連続記事の3回目です。

本日は母のことを書きたいと思います。

 

 

私の母は典型的な過干渉の毒親でした。

 

母本人は無自覚で、自分は良い母親だと思っているのですが、
子供の事はなんでも決めてしまい、思い通りにならないとキレるような、そんな母親でした。

 

 

私は子供の頃から母のお陰で苦労しっぱなしでした。

 

若い頃の私は、人が信頼できず、人間関係リセット癖があったり、かと思えば、自分を理解してくれる人に対しては必要以上に依存したり、とにかく人間関係が壊滅的でした…。

 

母の呪縛から自由になりたい、という気持ちも異常なほど強かったです。

 

毒親関連や自己啓発の本を読みまくったり、スピリチュアルに必要以上に依存したのも、母のことに必要以上に囚われていたからです。

 

 

前回の記事で書きましたが、答えを見つけた今、少し母への捉え方が変わりました。

 

今、母のことをどう思っているかというと、正直、母のことは、好きでも嫌いでもなく、普通です。

普通というか、捉われがなくなってきてフラットに感じるようになりました。

 

許してない訳ではないけれど、母にされたことは覚えているし、かといって恨んでいる訳でもなく、、という感じです。

 

 

以前は、母のことを完璧に許したい!、母のことをもっと愛せるようになりたい!と、必要以上に頑張りすぎていた気がします。

 

でも今は、好きでも嫌いでもなく、単に【家族だな】【母だな】と思って生きています。

 

母とは、顔を合わせる度に文句は言われるけれど、子供として、介護とか、最後までできるだけのことはやろうかなと思っています。

それは自己犠牲の感情ではなく、家族だからですね。

 

自己犠牲にならない範囲で、最後までやれるだけのことはやります。

 

それに、母のことはまだ諦めてはいなくて、母が死ぬ日を迎えるその日までに、もっとお互いのわだかまりがない状態で仲良くできるなら、そうしたいなと思っています。

でも、それが叶っても叶わなくても、私は今はどちらでも良いです。

 

最後の最後まで、結果を望みつつ、でも結果に執着せず、自分が納得できる生き方をしようと思っています。

 

本日のシェアは以上です。

前回の記事では、ここ2年半の間に、スピリチュアルで回り道をして、新たな気付きを得たという話をしました。

今日はその気付きについてシェアします。

 

私事の記事になりますが、お付き合いいただけると嬉しいです。

 

 

で、その気付きというは、

【人生とは?】という問いの答えです。

 

 

私は、人生とは、
「結果を望みながらも、結果に執着せず、一瞬一瞬を悔いのないように生きること」
だと思うようになりました。

 

 

「一瞬一瞬、自分が納得する生き方をする」と言い換えても良いかもしれません。

 

 

もちろん、人間やるからには、ある程度は結果を出したいですよね。

 

結果を出したいし、幸せになりたい。

そう思うのは当然です。

 

 

だから、
「幸せな人生になるように意図する」「責任を持つ」、
それは大切なことだと思います。

 

そうやって生きれば、ある程度人生に結果はついてくるとも思います。

 

 

でも、やるだけやっても駄目な時があるのも、それもまた人生。

 

その時に、「まぁ自分はこれだけやったから良いかな。満足かな。」と、納得できる生き方をすること、一瞬一瞬満足できる生き方をすること、それが【人生】ではないかなと思うようになりました。

 

それに、責任を持って行動しても失敗する時というのは、必ず何かしらの学びがあるし、たとえ失敗しても次のステージにつながっているものですよね。

 

 

 

私は、過去は違った考えを持って生きていました。

 

過去の人生で私は、
“成功すること”が幸せになることだと思っていました。

 

“成功”とは、何かを得ることや、完璧な状態になること、
トラウマや心の傷などを“全て”クリアにして、キレイな状態になることだと思っていました。

 

でも、私は、それがそもそも間違いだったということに気付きました。

 

前提条件が間違っていたんです。

 

 

【生きる】というのは、
成功することでも、何かを得ることでもなく、完璧な状態になることでもなく、
”見返りを求めず、自分自身を生きる”ということだと思います。

 

でも、見返りを求めないというのは、自己犠牲ではありません!

 

 

自己犠牲は苦しみを産むので、与えすぎるのでもなく、受け取りすぎるのでもなく、その場、その場によって、調和した、ふさわしい生き方をする、ということだと思います。

 

 

そうやって、与えられた生を受け入れて、
この世界に向かって、精一杯自分を表現し続けること、
調和したバランスの良い場所で、世界に向かって自分を与え続けることが、無償の愛で生きるということだと思います。

 

最後の方は、私の体験を基に、主観で語っているので、もし間違った発言をしていたら申し訳ありません。。

 

 

今までずっと答えを探し求めていましたが、
答えの一つにたどり着いたと思っていて、

あとは【実践編】に入ろう!、と思っています。

 

日々を生きていく中で、また考えが変わることもあるかもしれないので、その時には、また新しい気づきをシェアしたいと思います。

 

 

本日のシェアは以上になります。

次回へ続きます。