ゆいレールが好きだ。




牧志から那覇空港に向かう途中、窓の外に見えるコンクリートの建物、特に年季の入った古びた建物を見るのが好きだ。


レールのすぐ側にひしめきあっている人々の生活。蔦がイイ感じでコンクリートを覆っていたり、すこしへたってしまったブラインドが見える。


〝そうか、ここは台風が多いから建物はコンクリートなんだよな〟


そんなことを思ったり。


壺川って、なんで壺川という名前なんだろう?

おもろまちの「おもろ」って何?

「てだこ」はタコ🐙かもしれん…とか、駅名について思いをめぐらす。



でも、一番はやっぱり

ゆいレールから見えるその景色に〝あぁ、ここにも、あそこにも、人々の生活があって誰かの家族がいるんだな〟って。



仙台空港から仙台駅に向かう列車から見える景色とはまるでちがう。特に空港の近くは。

あそこにも人々の生活があった。でも津波で流されて今はポツンポツンと建ってるだけ。





ゆいレールから見える景色がすごく好きな反面、その景色はわたしを切なくもするから厄介だ。


ひとことで言ったら、それは〝分離〟なんだろう。ここはわたしには馴染みのない空間だ、という感覚。わたしはこの景色を新鮮な気持ちで見てはいるけど、でもそれは同時に〝わたしはここに属する者ではない〟を意味する。



自分とまったく同じものだったら

きっと好きも嫌いもない


自分とは違う、って

それが異色だからこそ興味をもったり、分離感が出たりするんだろう





普段いる場所はもう見慣れてつまらないと感じるのに、旅先では自分の本来の居場所が恋しくなるっていうね。




帰る日にやっと快晴かい

#うりずん

#好きな車内チャイムは

#県庁前駅

#てぃんさぐぬ花