ロシア軍の爆撃に怯えながら駅の地下に避難してる人たち、空襲警報のたびに避難場所に向かう気力もなく、とうとう自宅にとどまってる人たち。


あの日を思い出す。


福島の原発がメルトダウンして放射能がどうのこうの言われていた時、同じ職場だった彼女はいち早く仕事を辞めて旦那さんと小さな子どもと札幌に避難した。お別れの挨拶をする間もなかった。大使館や領事館の助けを借りて自国に帰る外国人もたくさんいた。そして、日本に残ると決めた外国人も。


でも、わたしを含めたほとんどのひとは逃げる場所がなかった。そこにいるしかなかった。


だから、ウクライナ🇺🇦の人たちの気持ちがわかる気がする。隣国に避難する人もいるし、出国して自分の国に帰る人たちも。そして、残るひとも。


余震がつづく中、いつでも飛び出せるように服を着たまま寝た。眠りはいつも浅くて、心身共に緊張状態が続いていた。

いつ終わるのか、いつまでこれが続くのか。

〝今ここ〟にとどまれず思いをはせた未来にまったく〝いつまで〟〝あとどのくらい〟という目処がつかなくて、そんなとき絶望だった。ウクライナの人たちは今まさにそんな心境だろうと思う。


だけどあのとき、世界の人たちがわたし達を思って発信してくれたメッセージや、ここからわずか数時間で行ける場所は平和なのだ、無事なのだと思いを馳せることは救いだった。


大丈夫、大丈夫、まだ大丈夫な場所がある。



〝今ここ〟にいてほしい。

そして、どこにいても心は自由だと。

爆撃の中でもウクライナのひとが心の平和を保ちつづけられますように。どうかどうか。