中国の故事に〝人間万事、塞翁が馬〟という言葉がある。
わたしはこれを昔、韓国の友達から聞いた←どうでもイイ情報(笑)
東京オリンピックのチケットが発売になった時、SNS上では「くっそー!1枚も当たらなかった😂」と泣きを見たひとがいた。これは一見、不幸に見える。(あとコミカルにも)
だけど、その後SNS上には「当選したのはイイけどチケットの支払いで来月60万も引き落とされることに!😱」というひとが現れた。
このふたり、なんて極端なんだろう。おもしろすぎる。
それを周囲で見てる人は最初のひとの話を聞いて「うわ、かわいそう💦」と思ったろうし、次のひとの話を聞いて「当たりすぎても大変だな💦」と思っただろう。
何枚かのチケットに当選してホクホクの人たちがいた。
例えばわたしはオリンピックの開会式🎫狙いだったけど開会式は当然ながら倍率も金額も高い。
「ぜんぶ当選したらどーしよう💦」が、いろんな意味合いをもった。が、開会式🎫ハズレる😂
この時のわたしはきっと悲しかった。
しかし、その後
2020年1月。完成したばかりの新国立競技場🏟に両親と一緒にラグビー🏉観戦に行くことに。オリンピックを前にした新競技場のお披露目でもある。しかも席はスペシャルシート。わたしはオリンピックの開会式にはハズレたけど、それより早く新国立競技場に入り、その圧倒的迫力や雰囲気、歓声がどう響くのかetcいろんなものを先取り体験した。しかもオリンピックの開会式だったら、こんなに良い席には座れなかったはずだ。
その後、コロナが蔓延して今となってはオリンピックの開会であの会場が盛り上がることはなくなった。
開会式🎫のチケットにハズレたアンラッキーなわたしは、あのとき開会式のチケット🎫が当たったひとよりラッキーになった。
ほかにもそう。両親や家族みんなのためにギリギリまで奮闘して取ったチケット🎫当たったのは、ぜんぶ人のために取ってあげたものだった。自分が希望したのはぜんぶハズレた。そのときのわたしはアンラッキーに分類されただろう。
「なんで人のものばかり?😂」
だけど結局オリンピックはほとんどの場所が無観客になった。残ったのは地元開催のサッカー⚽️のみ。しかも、それはお兄ちゃんも4枚もっていたのだけど再抽選でハズレる。結局、わたしが最後の最後の締め切り5分前になんとかうちのひとの希望のサッカー⚽️を申し込んであげようと奮闘していたあのチケット(うちのひとの直前の思いつき〝行けたら行きたいな🙂〟を叶えるべく一度申し込んだ全ての競技をいったん全部キャンセルして再入力し直す。しかも締め切り5分前)。
そう、あのときヤツは…猛ダッシュでスマホに打ち込むわたしを尻目にランチの焼肉を食べていた。何の努力もせず、軽々しく〝行けたらイイな🙂〟と言い放ったそのチケットも当選し、そのチケットが最後まで残った。
つまり、何が言いたいのかと言うと
〝人間万事、塞翁が馬〟
その時どう見えるかは問題じゃない。
わかるのは最後だ。
ひとのために取ったチケット🎫しか当選しなかった。しかし、それらさえも無効になった。だけど最終的に残ったチケット🎫に、わたしの席があった。
しかし、これもまた〝塞翁が馬〟で。
ちょうどサッカー⚽️観戦の日...台風💨が上陸するっぽい😩
再抽選で落選したひとと、当選したひと…
まだまだわからない(笑)最後までわからかない。今となっては払い戻しも出来ず、びしょ濡れになって観戦するのか、もしかしたら落選して家で快適に見てた方がいいのか。
コロナ禍になり、わたしが体感として感じるのはこの〝塞翁が馬〟状態が加速してる。状況がコロコロ変わるということ。だから、あきらめるな。
どうなろうとも、状況は一変する。ガラリと。
だから、何事も決めつけない方がいいよね。そのときは「これでイイのだ」と手放す。でも、決めつけない。
まぁ、令和の年号がもつ意味合いもそんな感じだった→コチラ
外国、または外国から入ってきたもの。変化が加速する。それと和合する。こんな感じのキーワード
わたしがサッカー⚽️観戦に行くその日が台風直撃の日だったとして。
それはそのときにはサイアクなことに見えるかもしれない。だけど、果たしてそうなのかな?
〝塞翁が馬〟では何がどう転ぶのかは最後までわからない。