シリーズものになっている〝おばぁとわたし〟だけども😅
しばらくつづくかもしれない。
なにしろ、わたしはおばぁとの関係性でいろんなことに気づかされてきたし、そしておばぁが居ない今も気づきは起きている。
おばぁがまだ家にいた頃、わたしは野戦病院の看護師かってほど(または超人気店の厨房で働くシェフかってほど)動いていた。
1日3回の豆太郎のご飯はリキッドと消化器サポートのカリカリをお湯でふやかして人肌くらいにあたためて食べさせていた。
それと同時に歯のないおばぁのためにお粥を作り、ヨーグルトやら魚やら食べやすいものを準備して、準備してる間におばぁを起こし、トイレに連れていきリハビリパンツをはきかえさせて、洗濯機をまわす。一度にいくつものことを同時にやっていく。自分は空いた時間にささっとパン🍞を食べて終わり。
なんで倒れないんだろう、わたし
不思議だった。
頭で〝もうダメだ、もうダメだ😖〟ってなっても体はピンピンしていて、逆に体が〝疲れた、もう動けない😫〟と悲鳴をあげても頭が「あれをやらなきゃ!これもやらなきゃ!」と号令をかけ体がむっくと起き上がる。頭と体がバラバラだった。異常事態だった。
で、これはちょっと〝おかしなこと〟になってるとわかったので早く手を打たないといけないと思った。わたしが先に倒れるわけにはいかない。なんとしてもおばぁを安心、安全な場所にバトンタッチするまでは…。そんな感じだった。
まぁ、とにかく
大事な気づきはここからで。
わたしはすごく動いていたのだけど
それはおばぁがいなくなったら解消されると思っていた。おばぁにかける手間が減るんだから普通に考えたらそうだ。
でも実際は…
わたしは、おばぁがいなくてもなぜか忙しなく動きまわっていた。誰も見てないし、咎めるひともいないのにまったく休まない。勝手に何かを見つけてきて。「え!おばぁがいないのにわたしはまだ忙しい!なぜ⁉️おばぁがいるいない関係ないじゃん!😱」って。
何が言いたいのかと言うと
まわりの環境のせいにしてるけどそうじゃなくて、環境がかわっても〝事を起こす〟自分は変わらないってこと。
わたしはこういう人なんだ、ってこと。
だから意識して自分を止めて休めないとぶっ壊れるまで動きつづける可能性があるから気をつけないといけない。
おばぁがいなくなれば、少しはラクになるのかと思った。物理的に。
でも、ちがった。その空いたところにまた何かを探してきて入れる。だから、結局は外側の問題ではないということ。
そこに、その空いた部分にほんとーに自分がやりたいことを入れないと違う何かが入って来てそっちにエネルギーを注ぐことになるよ。大してやりたいことでもないのにね。
それが今回の気づき。