今日おばぁがショートステイに行った。そのまま施設に入居することになる。
あっという間だった。
おばぁの異変に気づいたのは昨年の12月。
その頃、豆太郎も膵炎になって毎日のように病院🏥に通って点滴や注射をした。豆太郎はみるみる痩せていき、わたしはいろんな思いを経験した。
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おばぁは以前からもよく火を消し忘れたりで鍋を焦がしたり、家中を煙だらけにしたり(でも本人は気づいてない)わたしをピリピリさせた。
でも、それどころじゃなく
出かけてって帰って来れなくなっておまわりさんに保護されたり、行きたい場所に辿り着けなくなってタクシーで何万もかけてグルグルまわることになって結局やっぱりたどり着けない、とか認知症の症状が一気に加速した。洗剤一本まるごと入れて洗濯機まわし始めたので洗濯はわたしがする、ってことに決めても洗濯機に服が入ってると反射的にまわしてしまったりして、おばぁの近くにはゴミも洗濯物も置いておけなくなった。
おばぁがおかしい時はなんとなくわかった。目の色が変わるのだ。そして頑なに「行かなきゃ、行かなきゃスイッチ」が入るのだ。そうなるともう誰にも止められない。おばぁから目が離せなくなった。
おばぁは週2回、デイサービスに行くことになった。話したり、ゲームをしたり、少しでも脳に刺激になればいいなと思って。
最初は大変だった。だって、わたしがデイサービスの支度をしても、おばぁが知らぬ間に入れ替えてるのだ。そして、たくさんの荷物🧳を持っていきたがった。あれもこれも。夏のように暑い日も寒いからとおばぁは冬用のコートを着たがった。
デイサービスを楽しみにしていたけど、おばぁの状態はさらに加速していった。時間の感覚がなくて、夜の9時を朝の9時と思いこんで支度し、デイサービスの迎えがこないとつぶやく。真っ暗な中うなだれながらいつまでも座っている。夜中までずっと探し物をしてる。
そんなおばぁを見てきた。
そして、おばぁはとうとう自分の力では自分を支えられなくなった。骨と皮だけ。寝たきりの一歩手前だった。そして、一日中起きてこない日がちょこちょこと増えていった。ご飯🍚も食べなくなっていった。
今でも、本当にこの判断で良かったのかと自問自答する。もっと頑張れたんじゃないかって。もっとやってあげれたんじゃないかって。
でも、この状態になってしまったおばぁに24時間ずっとついてることは出来ない。
デイサービスでさえ、一人のお年寄りにふたりのスタッフが付き添って病院🏥に行ったりするのに、よく1人でおばぁや豆太郎、その他のことをやったなぁと我ながらおどろく。だけど、それをずっとずっと続けるのは不可能だと思った。
誰も幸せにならない
そう思った。
全体の幸せを考えたら...これが最善である。
施設に入れば24時間ちゃんと見てもらえる。家にいたら、見てもらえる時と放置されるときができて、おばぁの命の危機に対処できない。
そう決めてからはもう不退転である。
わたしはおばぁとはまっこうから向き合ってきて、ケンカもしたし、お互い遠慮なんかせずにぶつかったりもした。
「ぜったいにやらないからね!」ってあれほど周囲に釘を刺し続けてきた下の世話(リハビリパンツを交換したり、着替えさせたり)も、さんざん抵抗しときながらその日の午後にはさっそくオムツ交換なんかしてて😂→
くっそ!
やるしかない!
わたしがやるしかないんだ!
と向き合ったときのパワー。
我ながらびっくり。
まぁ、そんなわけで最後はおばぁのお世話を出来てよかった。何も思い残すことはない。なぜなら、常に全力でおばぁと向き合ったから。後悔は何もしてこなかった人ほどするんだなと思った。
事情が二転三転して、ほんとは月曜日に行くはずだったショートステイに今日から行くことになった。
おばぁがそのことをどこまで理解していたかわからない。だけど、スタッフがいないところで息子に「今日は泊まるの?」とか聞いていたから、なんとなく察したのだろう。しかし、記憶は持続しないので不安も持続しない。すぐまた支離滅裂な記憶を話し出す。
だけど、たぶん
おばぁは自分がどこに行くのか察した。
おばぁは一切、抵抗することなく
イヤがることも、わたし達を困らせることもなく、車に乗って手をふった。
このひとの大きさというか、潔さを、偉大さを目の当たりにして やっぱり泣けた。
このくらいのひとでなければ、わたしのエネルギーを受け止めることはできなかったと思う。
そのくらい大きくて、そして深いひとだった。海のように。
おばぁが生きて、この家に帰ることはもうない。別れは突然やってくる。
おばぁは次の誕生日で87歳になるけど、これまでずっと元気でいてくれた事に感謝でいっぱい。だけど、実際に動いてやりたいことをやれていたのはもう何年も前だと思う。病気をしてからは出かけるのも億劫がった。
そうなると何歳まで生きたのか?よりももっと早くにいろんなことが出来なくなってることを、わたしはおばぁから気づかされた。
あんなにいろんなことがあったのに
今はおばぁの偉大さだけが思い出されて、涙がとまらない。
おばぁにわたしの助けが必要だったのではなく
わたしこそ、おばぁが必要だったのかもしれないな