人生で最も大切な日がふたつある。それは、

生まれてきた日と

生まれてきた本当の理由を知った日

 


わたしは、ずっと親の敷いたレールの上を歩いてきたんですけど若いころ(20代)は、それがイヤでした。
親の猛反対を押し切って、親を心配させながら自分の意思を貫いて行動したことが、過去にひとつだけあります。そのとき、わたしは大切なものを失いました。
 

1年の留学から帰ったあと半年間せっせと働き、お金を貯めてまたオーストラリアに戻りました。でも、そのときの理由はもはや留学ではありません。

「反対を押し切ってどうしても行くのならば、お前はもう死んだことにする」と父から言われました。親と絶縁状態でオーストラリアに戻ったのです。

 

母は心配して、こっそり仕送りなど送ってくれましたが...そのときのわたしは見るも無残、ボロボロです。体調も崩しまくるし、遠い外国の地で頼りにできるひとも、相談できるひともいない。肉体的にも精神的に不安定で、とうとうキッチンドランカーにゲロー
あのときのことを思い出すと、また涙が涙毎日、ふと悲しくなるのです。それでも日本に帰れないじぶん。

ある言葉を相手から引き出すまで帰れない。
その言葉は、そのときのわたしを自由にする言葉でもありましたが、同時に...わたしをひん死にするものだったんです。

そしてとうとう、わたしはその言葉を半ば無理やりに相手から引き出しました。帰りたかった。
ようやっと帰国できる頃には、もう少しの力も残ってませんでした。「1人では帰れない...」と泣きながら母に国際電話をかけ...そのあとはもう、スゴかったですよねあせる
父が、母と弟の2人をオーストラリアに派遣しました。しかも、救援要請してから、わずか1週間後には部隊到着!娘を救助するために2人も海外に派遣してよこすなんて、スゴイ父でしょう!?
父はこのチャンスを逃さなかった...「(娘の)気が変わる前に!すぐに、すぐに行って連れ帰ってきなさい!チャンスは今だ!by 父」


...帰れなくなるオトナもどうかと思いますが汗
そのときのわたしは本当にボロボロだったんですね。あんなに勢いよく飛び出してきたのに...「1人では怖くて帰れない」という。ひん死の状態だった、とイメージしてください。

 

 

日本に帰国して、わたしはある異変に気づきました。
当時、家で飼ってたマロ(犬)が、どこにもいないのです。
「マロは?ねぇ、マロは?」

マロは、わたしが帰国したその月のはじめに病気が見つかって、わたしが帰る前に亡くなっていたのです。母はその話を帰国するまで心配させないように伏せていました。「なんとかあなたが帰国するまで持ちこたえてくれたら、と思ったんだけどね...」

 

 

わたしは目が腫れあがるほど泣きながら、毎日マロのお墓参りに行きました。それはなぜかと言うと、このことは親にも友だちにも、その当時は言いませんでしたが

マロは、わたしの代わりに逝った

ということを、なんとなく気づいたからです。心当たりがあるんですよね。わたしがオーストラリアでどれだけ体調を崩してきたか...血尿まで出したんですからね。検尿用の紙コップが真っ赤になったんです。100%血!便器に飛び散る血、まるでスプラッターえーん

 

「あぁ、マロはわたしの代わりに死んだ。わたしのせいだ、わたしが殺したようなものだ。もっと早くじぶんのバカさ加減に気づいて、白旗をあげてたらマロは死ななくて済んだのに...」

 

 

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ひとは生まれたときに、どういうレールに乗ってるか、どういう特質を持って誕生したかなど、ちゃんとあります。
そして、それこそが生まれてきた理由を知るヒントになります。そこに当てはまらないものには感性はかすりもしない。ワクワクしないのです。それを知ってるひとは成功してたり、流れがスムーズ。
つまり「本来のじぶんを生きてる」というやつです。
 

だけど、
「本来のじぶん」を生かし切れてなかったり、外れてたり、バランスが崩れてたりすると
「そうじゃないよ」といろんなものを見せられます。ちなみに見せてくるのは他の誰でもないじぶんであり、じぶんってことは、ご先祖様でもあり、全体でもある。
最初それは、感情や感覚として現れます。例えば「イヤな気分、不愉快、苦しさ、悲しさ」など。


そんな心の悲鳴をムシして突っ走りつづけると、今度は体調に不具合を起こして知らせようとします。
 

それでもまだ「本来のじぶん」に帰ろうとしないと...
次は大切なものを身代わりにして、目覚めさせようとします。それがひとによっては会社の倒産、事故、健康、大切なひとの死など、身代わりをたてるのです。
ふり幅が大きい人というのは大体このパターンで、思いっきり衝撃的なことを経験して目覚めることになります。

 

 

 

わたしは、親の敷いたレールに乗っていることで守られていたんです(わたしの場合で、すべての人にはあてはまりません)。
さらに知ったのは、ひとはみんな何代か前のご先祖さまの生まれ変わりらしいということ。その意思を受け継いでる可能性が高い。

実はずっと守られていたんです。

これもなんとなくなのですが...わたしはずっと「守られてる感」が
ありました。
お墓参りに行くときは大抵「ありがとうございます。おかげさまで、みんな守られています」何よりもお墓参りに行けないと、なんだかやるべきことをやってないようで気持ちが悪いのです。



わたしの代わりにマロが逝った。
そのときのわたしは、その事に気づいてた。
そして、なぜそれがマロだったのかも今になってわかった。


だから、わたしは「今度こそ天寿を全うしてほしい」という思いで、その名前に豆太郎を守らせるようにしたんです。→コチラ

豆太郎が、マロの生まれ変わりだったらいいな。そうじゃなくても...マロの分まで豆太郎との一緒の時間を楽しむ。

 

 

重要なのは、もってる特質を知り、バランスよく使うこと。
バランスよく使うためには、まづじぶん自身を知っていないといけないと思います。そして、バランスというものは実は意識しただけでも効果はあると思います。
そのことに「気づく」「気づいてる」という状態でもだいぶバランスをとり戻します。

 

 

そんなわけで


生まれてきた理由を、まだなんとなくだけど
知ったような気がしました。



最後に

では、どうしたらいいのか?っていう話になると思います。

感覚的にわかりやすいのは、ゴキゲン状態。
もちろんゴキゲンばかりではいられないときもあります。じぶんの好きなことをしてるハズなのに...っていう。そのときは、バランスが崩れてる可能性もありますひらめき電球

ゴキゲンは、その状態に満足してるということ。つまり、本来のじぶんらしさが出てる状態だと思われます。
そのためにもじぶんを知る、相手を知る必要があるのですね。

 

 

わたしの「しくじり」が少しでも誰かの役に立てばイイな。


 

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