ワールドカップのベルギー戦より悔しいことはありましたか?俺はあれ以来あの瞬間を超える悔しい感情がないんです。今でもあの動画を観ると目頭が熱くなります。
今回は思想の話。自分の中で、自分でしか共有できない記憶があると切なくなりません? 自分だけで背負うにはちと荷が重すぎる記憶というか。なんかいまいち浄化できていない記憶とか。これは悪い記憶だけでなく、良い記憶もしかり。良い記憶すぎて逆に切なすぎて心苦しいみたいな。だから、いまの留学中の記憶も日本帰ったら共有する人いないし、なんか苦しくなりそう。旅行とかいってその写真とか見返すと、楽しい記憶がよみがえるというより、ああ楽しかったなでもこの時間は不可逆的なものであって二度と手に入らないんだな、みたいなメンヘラみたいな思想になる。たぶん生きるのが向いていない。
過ぎ去ってから気づく感情や後悔、失ってから気づく感情や後悔、こいつらが行き場をなくして地縛霊のように取り付いている。流したくもない記憶のビデオ、それもボロボロのビデオを、脳内のビデオデッキで流して、いくら早送りしても消えることのない、切ない、やりきれない、刹那的な、感傷的な、そんなものをどうやって浄化するんでしょうか。私の悩みです。いくら他人にそれを話しても結局は共感してるふりをしている友人の話を聞くので、何にもならない。おれの心を持った俺をもう一体作ってそいつと永遠に話をしていたいです。
そして、それはその時の映像だけではないのです。その時の残像、その時の残り香、それを記憶に残ってる。
記憶に残る香りってなんだろって考えた時にパッと思いつくのは、中学のサッカーグラウンドに初めていったとき。春の匂いと草の青い匂いが混ざって、さらに春独特の太陽と空気がシンクロしてる匂いがまだ記憶に残ってる。うわーー思い出すと懐かしさにやられてエモくて死にたくなる。
あとは、女性の髪の毛の匂い。今仲良いアメリカ人の髪の毛の匂い多分忘れられないと思う。初めて嗅いだ匂いだし、ずっと嗅げる匂い。
気持ち悪いブログだわ。これ。ごめんな。