史上最大の汚職官僚の資産は1.5京(億や兆のレベルではない)
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【はじめに:史上最大の富豪とは誰か】
人類が歴史を振り返るとき、「いったい誰が史上最も莫大な財産を築いたのか」という問いがしばしば取り上げられます。近代から現代にかけてであれば、石油業界を独占したジョン・D・ロックフェラーや製鋼業を支配したアンドリュー・カーネギー、あるいはマイクロソフトを興しIT革命を象徴したビル・ゲイツ、アマゾンのジェフ・ベゾス、テスラのイーロン・マスクといったビリオネアたちが「世界一の富豪」として知られます。彼らの資産額は最大で二千億ドル規模にのぼり、現代社会を大きく動かしてきました。
しかし、このような数千億ドル~二千億ドルの資産額が、歴史上の大帝国を支配した君主や、そこから莫大な利益を得た官僚たちの富に比肩できるかというと、必ずしもそうではありません。なぜなら、古代・中世・近世においては、君主個人の財産と国家の財政が明確に区別されていないケースが多く、もしその国家が世界の経済を大きく支配するレベルのGDPを保持していたとすれば、君主や特定の官僚が「実質的に国家予算を私有化できる」ような構造が起こり得るからです。こうした事態を当時の資料や推計で検討すると、現代の大富豪の財産をはるかに上回る天文学的な額が導き出される場合があります。
とりわけ、18世紀後半の清朝は世界のGDPの3割近くを占めるほどの経済大国であり、そこに君臨した乾隆大帝および、その寵臣であったヘシェン(和珅)は「史上最大の富豪」と見なすに十分なだけの論拠を残しています。以下では、それをどのように換算するのかを含め、他の富豪との比較を行いながら詳しくまとめます。
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【第1章 大清帝国・乾隆朝の経済力】
乾隆帝(1711~1799年)は、清朝の第6代皇帝として約60年間にわたり中国を統治し、その治世はしばしば「乾隆盛世」と呼ばれます。清朝は17世紀半ばに明朝を倒して成立しましたが、康熙帝・雍正帝・乾隆帝と続く三代で国家体制を安定させ、領土を大きく拡張するとともに、農業・手工業・対外貿易を高度に発展させました。18世紀末の人口は3億に迫る勢いで、ヨーロッパ各国の人口を合計しても及ばないほどとされます。
こうした人口や農業・手工業の生産力を背景に、当時の清国は世界最大の経済大国でした。推定では、18世紀末に「世界全体のGDPの3割」を清が単独で占めていたという説が知られています。まだ西洋列強が産業革命を本格化する前夜であり、清国の広大な市場と労働力、そして農村部での大量生産力は、諸外国を圧倒する豊かさを実現していました。そのため、当時の世界経済を俯瞰すると、清朝は一極的な経済支配力を有していたわけです。
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【第2章 皇帝の個人資産と国家予算】
清朝の皇帝は、国家財政や租税の徴収などを最終的に支配できる立場にありました。近代的な意味での「公金」と「私的財産」の区別が厳格にはなされていない時代であり、皇帝個人が国庫の資金や領地からの地租、さらには貢納品・貿易利益などを自由に使えるような仕組みがあったのです。乾隆帝の場合、長期にわたる治世のなかで莫大な財を蓄え、王朝の繁栄とともにその富を享受したと推定されます。
仮に現代の世界GDPが約100兆ドルとし、18世紀末の清が世界の3割(=30兆ドル)を占めていたと仮定します。そして、現代のアメリカを例にとってGDPの約20%ほどを「国家予算」とするイメージ(米国の場合、GDP25兆ドルに対して4~5兆ドルの連邦予算)を当てはめると、清朝1年分の国家予算は6兆ドルに相当する数値となります。
さらに、乾隆帝が国家財政と私財をほぼ一体化していたとすれば、その「実質的支配する資産」は、この6兆ドル×在位年数を含む想像以上の数字になり得るわけです。よって、乾隆帝が「世界史上最大の富豪」と評価されることも不思議ではありません。
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【第3章 ヘシェン(和珅)の桁外れの汚職】
ヘシェン(和珅,1750~1799年)は、乾隆帝末期の官僚であり、若くして重用されて数々の要職を兼任しました。歴史記録によれば、彼は賄賂や横領を駆使して膨大な私財を築き上げ、乾隆帝が崩御すると、次代の嘉慶帝によって失脚し、その膨大な資産が没収されます。その際に「国家の歳入15年分に相当する」という言葉で評価されるほどの巨額財産が押収されたとされ、一説には黄金150万両を含む莫大な宝物が出てきたといいます。
「国家歳入15年分」という枠組みに、先のシミュレーションを当てはめると、たとえば清の1年分の国家予算を「6兆ドル」と仮定した場合、それを15年分で「90兆ドル」に達する計算になります。もちろん、この換算にはいくつもの飛躍や推定が入っていますが、概念的には「世界GDPの3割を握る国家の歳入を、それも15年分丸々個人で押さえてしまった」という事実が桁外れであることには変わりありません。
この結果、ヘシェンは「歴史上のいかなる個人富豪をも凌駕する」レベルに到達し得るわけです。現代のビリオネアが数千億ドルの資産を持っていると言っても、ヘシェンが推定90兆ドルに近い額を握っていた可能性があるとすれば、その差はあまりにも大きいと言えましょう。
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【第4章 他の大富豪との比較】
しばしば「史上最大の富豪」として挙げられる例に、アフリカ西部マリ帝国のマンサ・ムーサ(14世紀)や古代ローマの初代皇帝アウグストゥス(オクタビアヌス)、近代アメリカのロックフェラー、カーネギーなどがいます。これらの推定資産は下記のように言われることが多いです。
- マンサ・ムーサ:3000~4000億ドル相当
- アウグストゥス:2000~4000億ドル相当
- ジョン・D・ロックフェラー:3000~3400億ドル相当
- アンドリュー・カーネギー:3000億ドル前後
- マイクロソフトのビル・ゲイツ、アマゾンのジェフ・ベゾス等:ピークで2000億ドル近辺
これらを見ると、「数千億ドルクラス」にとどまっていることが多く、数兆ドルのオーダーにはなりません。一方、清朝の巨大な経済規模を背景に乾隆帝やヘシェンが個人として動かせる富が数十兆ドル級だとすると、桁が一段も二段も違うといえるわけです。
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【第5章 現代の経済知識で読み解く意義】
そもそも、18世紀末の清朝において、現代のような厳密なGDP統計や国家予算の概念が存在していたわけではありません。しかし、あくまで「もし現在の統計手法や米国型の財政規模の比率を当てはめたら」という思考実験によって、乾隆帝とヘシェンがいかに常識外れの富を集積しえたかを定量的にイメージできるわけです。
この手法は、古今の経済環境や政治体制の違いを踏まえる必要があり、誤差も大きいとはいえ、歴史上の強力な君主や官僚が私的に享受した富を現代人に理解させるうえで有効です。そして、そのロジックを簡潔にまとめると以下の通りとなります。
- 当時の清国は世界GDPの3割を担う規模(約30兆ドル相当)
- 現代のアメリカ並みにGDPの20%を国家予算にできると仮定 → 年間予算6兆ドル
- ヘシェンの不正蓄財は「国家予算15年分」 → 6兆ドル×15 = 90兆ドル
- これはロックフェラーやカーネギーなど近現代ビリオネアの数千億ドルをはるかに上回る
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【第6章 結論:1位が乾隆帝、2位がヘシェン(和珅)】
以上の推定計算と史料上の記録を総合すれば、**「史上最大の富豪」**としては、まず「大清帝国・乾隆大帝」を挙げるのが極めて自然だといえます。清朝全体の膨大な経済力をほぼ個人で支配できる立場にあった以上、乾隆帝が国家そのものを私有化に近い形で利用していた点は否定しがたいものがあります。
さらに、その次点として「ヘシェン(和珅)」が挙がります。ヘシェンは一介の官僚でありながら、乾隆帝の寵愛を背景に国家機構を私物化し、横領・汚職でとてつもない財を蓄えました。その額が「国家予算15年分」と史料に記されているなら、現代換算すると数十兆から90兆ドルになる可能性があり、マンサ・ムーサやマイクロソフト創業者のビル・ゲイツなどと比べても圧倒的なレベルです。
もちろん、この種の換算は推定値が連続するため、各段階でかなりの誤差や仮説を含みます。しかし、乾隆朝の清国が世界史的にみて飛び抜けた経済大国だったこと、そしてヘシェンの汚職が「史上前代未聞の規模」と形容されるほどであった点を考慮すれば、「1位は乾隆帝、2位はヘシェン」というランキングも十分な説得力を持つと言えましょう。
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【あとがき】
他にも、マンサ・ムーサ(マリ帝国)やアウグストゥス(古代ローマ初代皇帝)、近代のロックフェラーやカーネギーなどは、歴史書や経済誌で「史上最大の富豪」としてよく紹介される例です。しかし、清朝が世界GDPの3割を保有しつつ、官僚が国家予算15年分を私していたというスケールは、それらをも上回る桁違いの巨額と考えられます。
こうした推計は歴史の楽しみ方の一つとして、古代・中世・近世の人物がどれほどの権力と富を持ちえたのかを再認識させる契機となります。「ロックフェラーの3000億ドルですら、大清帝国の1年分の予算には遠く及ばない」と考えると、そのインパクトは大変大きいのです。人類史上、清朝の全盛期がいかに巨大な経済圏を形成していたかをうかがい知るうえでも、乾隆帝とヘシェンの比較は興味深い事例と言えるでしょう。