過去の魂の器に刻まれた記憶


ふつふつと蘇る記憶


わたしの中には

大きく自分を赦せず


ごめんなさい。と

生きることを望むわたしに

後ろめたさを持ち


償う意識があります


顕在的には認知できていない

記憶の方がほとんどで姿

その記憶に心身は共に反応します


きっと罪を償う気持ちで

拭いきれず思いに

修行僧となった過去もあるのだと思います


もっと前の記憶である

あのとき守りきれなかった

悔しさ

悲しさ

恐ろしさ

儚さ


その時の記憶や学びが

今のわたしの道標ともなってくれたり

いままたその記憶の愛の統合を

迎えているように感じています


それはわたしがしていることではなく

神の意図のままに


わたしだけでなくみんなが

宇宙とひとつにあるプロセス


愛に還る


いまを与えられた

聖なる道にいま歩んでる


いまという瞬間の真実に目醒め生きる


そう誓い覚悟を決め歩み出したいま


記憶は疼きながらも

真実を葬る闇(エゴ)を洗い

いま業を励めることに感謝し

淡々と静寂の中過ごす日々


出逢うご縁に

ずっと縛りつけていた

奥深くにある鎖にが愛に溶け合っていく


この地球で生きるという

喜びの体験をいま

みなさんに教えていただいています

本当にありがとう


お仕事というのは

役割としていま

業をいただいているだけで

たまたまそのときの役割として

時に先生であったりカウンセラー

であるだけであり

与えてるなんてものはなく

神の意図のままに

与えられた結果に過ぎないなと

つくづく思うのです


クライアントさんも

いまともに聖なる道を歩む同士


今はすべていただいた結果だと

脱帽したいま


人の為に生きるのではなく

いま与えられたことに感謝して

業を怠らず生きるとき


もしそれが人の役に立つのであれば

本望だなと


向けるベクトルが大きく変わったように思います


与えられた経験が

誰かの光となるのなら

自身を愛で愛する気持ちに恐れず

全身全霊で生きていきたい


そう思います


みんなの愛に生かされてる

本当にありがとう


愛してます