Tokyo 1979
50歳を目の前にして
あの頃を振り返ったりする・・・
Amebaでブログを始めよう!

チェスタ・バリー

 新宿歌舞伎町界隈も慣れてくると自分で店を見つけて行くようになった。「チェスタバリー」この店名を初めて目にした時、「中世ヨーロッパの貴族階級」が頭に浮かんできた。

 初めて行ったのは1979年の5月頃だった。K松、K木、H口を誘い、いわゆる今でいう「合コン」てやつ。彼女にも女友達3人連れてこさせた。何かイマイチ盛り上がらなかった記憶がある(メンバーもメンバーだしね)。2時間ぐらいしてお開き。外へ出たところで「サヨナラ」。新宿駅までの道すがらK松が「ありゃあお前、いい女ド。世話女房タイプだド。」と盛んに俺に言ってくる。何故か俺は「カチン!」ときちゃって、その後2週間経たない内に別れた・・・ まったくヒドイ事をしたもんだ。と今でも反省している。

 あれから25年。あの彼女は今頃どうしてるんだろう??? と、時々思い出すが、何の因果か俺の女房になって、あの日のことを話題に出してはチクチク嫌味を・・・ ア~人生とはこんなものなのか?

 DISCO「チェスタバリー」は、コマ劇場の北東角?のタテハナビルの2Fか3Fにありました・・・ もし違ってたらどんどん指摘してください。


チェスタバリーがあったビル チェスタバリーはここ?と思う・・・

ハマトラ

そういえばハマトラで想い出したんだけど、あのハイソックスて2種類あったような気がする。

綿のものと薄い透けそうな生地、あれ何ていうの?いわゆる「アツギフルサポーティー」みたいなやつ。あれ履くと通気性悪くて足が痒くなった記憶がある。

で、綿のものには「ボンボン」が付いてたのあったよね。

紺のハイソックスに白と赤の「ボンボン」 可愛かったなあ~。

先日Yahooで「ハイソックス ボンボン」で検索してみたら、20cmぐらいのひもの先にボンボンが付いてて、すんごくマヌケ。

あんなのもう売ってないのかなあ・・・と思う50前でした。

ハマトラ

「ハマトラ(横浜トラディッショナル)」1970年代後半、山の手のフェリス女学院に通う学生のファッションが発祥とされている。70年代半ばに神戸のOL、学生を中心に生まれた「ニュートラ」がワールドワイドなブランド志向であったのに比べ、地元横浜元町の老舗ブランドを楽しんでいた。

3種の神器といわれるのが「フクゾー」のシャツ・ベスト・巻スカート、「ミハマ」のカッターシューズ、「キタムラ」のバッグとされている。ハマトラの名付け親は「anan」で、1975年に創刊された女性誌「JJ」が火付け役となり、この清潔感あるお嬢様スタイルは全国へ広まった。

まあこんな堅苦しい説明はどうでもいいんだが、当時は私あこがれてました。なんとかハマトラのお嬢様とお付き合いしたいとマジで思い、そりゃああんた涙ぐましい努力をしてましたよ。

今でも地元横浜では、頑なにこの伝統を守る女性(一体何歳だろう?)が少なからずいるそうです。また以前「ハマトラ復活」なんて記事を何かで見たことがありますが、是非大々的な完全復活を私は切に望む!


ハマトラ02 ハマトラ3種の神器

B.D.シャツ

久しぶりにボタンダウンを2枚買いました。今年の夏は”クールビズ”の影響で、今まで着た事のないおじさんや若者までがボタンダウン着ちゃって、ちょっと頭にきてる。「俺は中学2年から着てるんだぞ!」とおもいっきし叫びたい。でも今のボタンダウンは後ろ側にボタンがついてないから、ネクタイが出ちゃってみっともないことになる。5年前に買ったJ-PRESSはちゃんとついてた。ユニクロやトップバリューじゃダメかね。最近家計が苦しいから・・・ みなさん やっぱ無地のボタンダウンはオックスフォードでないとダメですよ~

BTシャツ

芳賀書店

エロ本の殿堂 神田の「芳賀書店」です。当時エロ本の中に「ビニ本」という新しいジャンルが生まれました。単にビニール袋に入ったエロ本なんだけどね。まだ若いからね、夜中に突然欲しくなるんだ。コンビニないし、本屋なんて開いてない。いいものが登場したんですねえ~ 「エロ本自動販売機」ちょっと割高で一冊800円ぐらい。最後の1000円札握り締めて自販機まで走る。暗い街中にそこだけ明るきエロエロ光線を放っている。とにかく選んでボタンを押そうとすると向こうから若い女の3人連れ。思わず少年ジャンプのボタンを押してしまう。ガビ~ん もう買えないんだ。 こんな明るい男の青春 女性にはわかんないよね。

芳賀書店

スクエアビル

新宿が出ちゃったら六本木を出さないわけにはいきません。

「六本木」いい響きだなあ。

ここもやっぱり宮下に連れて行ってもらった。やっぱ我々田舎もんはダメだわ。

初めて行ったのがここ「スクエアビル」の8F「ネペンタ」だ。

いわゆる「サーファーDisco」の全盛時代。新宿に比べハコは小さいが

オシャレな店だった。

1978年7月20日オープンのこの店も90年代初めにお役を終えた。

六本木スクエア_01

東亜会館

1978年初夏 

宮下に初めて連れて行ってもらった新宿歌舞伎町

東亜会館3F「カンタベリーハウスBIBA館」

あの夜、ビルの外壁に各階ののDISCOのネオンが輝いていたが、今はもう一つもない。

DJのしゃべり、飲み放題・食べ放題、ヘンなステップ、ケンカで退場させられる客・・・・・

みんな何処へいってしまったんだろう。


東亜会館2005