神様no.(ナンバー)

神様no.(ナンバー)

タイトル変えようと思って開いたらこの文字でなぜか保存( ゚Д゚)
・・・修正しようかと思いましたがこれも何かのメッセージかもと
このままにしました。

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あけましておめでとうございます。

 

大掃除できたでしょうか。

なぜか同じことが二回あがっていた。(内容変えたはずなのに・・・)

意味がある、ということに(笑)

 

いいこと起きないかなぁ。

いい思いできないかなぁ。

 

人は思う生き物です。

悪い事ではありません。

私もあると思いますが、なんていうのでしょうか。

いやしいことだと教わったので

無意識にブレーキがかかります。

(かといって質素、清廉潔白な生活をしているわけではありません)

 

でも、ばくぜんと、常に、やみくもに

なにをみても、だれをみても

 

「いいなぁ。ほしいなぁ」

 

とはまったく思いません。(こっちはほんとです)

ものすごいブレーキがはたらくといいましょうか。

 

卑しい。下品。

これも神様は大きらい

 

卑しい人。下品な人ってどんなひとでしょうか。

ほしがるひと?ことばが汚い人?

 

いいえいいえ。

 

自分がそうだと自覚がまったくないひと

 

です。

かんがえてみてください。

この言葉ってあまり自分を表現するときにつかいません。

自己紹介で使いますか?

自己紹介は人前で自分を簡単に知ってもらうことばです。

これにあてあめると、自分がどう見られたいのか、見てほしいのか

よくわかります。

 

例えば

「私は引っ込み思案で」「人前にでるのが苦手で」→かまってちゃん、わがままです。

「話すのが苦手」「あまりかんがえたことなくて」「ぶきようで」→プライドが高い。

「〇〇だけがとりえ」「〇〇がいいねといわれます」→無意識な人依存。保身が強い。

「えー・・・じばらくもじもじ、わらってごまかす、きょろきょろ」→自分大好き、自分が損することが大きらい。人を利用することしか頭にない。

「わたしは、生まれは〇〇、学校は、〇〇を経て・・・(自分歴史が多い)」→中身が空っぽ。虚栄心の塊。肩書、性別で人をみる。

 

これがすべてではないですし、当てはまらない人もいるかもしれませんが

傾向はかなりあてはまるので、いきなり自己紹介ってよくわかるのでおもしろいですよ。

 

話がそれました。

 

卑しく、欲深い

 

これは私も含めどの人間にもあてはまる。

 

なぜなら、人とはそういう生き物だからです。

 

愚かな生き物だから、神様は失敗を許してくださり

誰でも祈りができるように神社があり、訪れることを許し

どんな態度でも、願いでも何も言わずに聞いて(叶えるかどうかは、別)くださるのです。

 

私たちはどうでしょう。

相手をえらび、態度に文句をいい

内容にケチをつけ・・・・

 

一人の人間、一つの物、出来事、ことば、考え、場所・・・・

 

どれだけの我をおしつけているでしょうか。

そうして手に入れたものでさえ、まだ気に入らないという事もあります。

 

自覚のない人は魂を磨くことはできません。

正しい道へ行く、使命をいただく

しあわせになるための暮らしもできません。

 

神様、魂の話に関心の高い方は様々ですが

生まれながら、そのような感覚、教えがある方ではなく

 

興味がある、占い、風水、運気などをきにされるかた

 

自分はおろかでも、欲深くも、いやしくもない。

どちらかというと、常識もあるし、慈悲もあるし、おもいやりもある。

と思っているのです。

 

そしてそういう方は

「自分はそういう(尊い、清らかな)人間だからこそ、神様への興味関心が高いのだ」

と思われているから、修行はまったく進みません・・・・。

 

いい?神様には、私はおろかだった、欲深かった

必ずそういうのよ、といってもまずここで言葉がでない、思えない、つまる

嫌になる。方がほとんど。

 

私は人をみると様々なものが浮かびます。

メッセージのようなもの降りてくる、というのでしょうか。

 

見えるものをお伝えする、した方がいいことをお伝えする

浮かんだことをお伝えする。

いわゆる、こうするといいよ、これはさけたほうがいいよ

〇月に〇〇があるかも。

 

このような「こうすれば、大丈夫」的なものは素直におこなってくれます。

あとは「聞くだけ」も。

なんか見える?って質問が一番苦手です。みえますよ、あなたの卑しい品のなさが、といいたくなるので・・・)

 

 

自分は愚かで欲深い生き物だという自覚があるからこそ

これが少しでも芽をださない生き方をしたい

正しく、きれいでありたい

 

そう必死にもがき、悩む。

この選択は神様は美しい、清らかだとおもわれるだろうか。くぅ・・・わかりました・・・

損したー!!と騒ぎながら選ぶことが魂を磨く修行のひとつなのです。

そう、神様は賑やかなのが大好きなので、

欲と闘うお姿も笑ってみてくださっているのです。

もちろん。結果も。

 

損得勘定ばかりして、

愚かな行為に対する迷いも、自覚もなく

一見平和にみえる善人ぶった行いは

 

おもしろくもなければ、美しくもない。

神様はただただ、

「汚いもの見せられた、二度とお前のつまらん汚い行為みにきたるかぁ~」

となるのです。

 

人は愚かで。欲深い生き物。

だからこそ、せめて生き方は

清らかで、正しくありたい。

 

こう素直に思うことができてやっとスタートラインなのです。

魂を磨き、運を味方につけるための準備ができた、というところでしょうか。

 

そして、これを一瞬たりとも忘れることなく

心がけ暮らしていけば

何もしなくても自然と関わる人が変わり、物事がかわり

 

こうありたい、こうなりたい あれがほしい

磨き始めのころ思っていたことが

いつのまにか手に入っていたり、その立場になっていて

 

そうなって「あれ?そういえばそんなこといってたな」

わすれたころにすべてそろっていたりするのです。

 

昔そういえば、こうなりたいといってたなぁ。これが本当の「叶った」なのです。

 

続き。

 

いい事だから、そうでないから

本来、選ぶことができるのは 神様に選べと言われたときだけ。

 

でも人間は目の前に起きたこと

お金、出世、ラクできるなど、欲で選択していくから

神様のお導きと全く違うものになっていくのです。

 

全てに意味があるからこそ。

 

いいことがないのではなく、

それ以外のことを

ことばにし、一心に疑いなく思うから

叶っているだけなのですよ。

 

神様は人間がかわいいのです。

なので年末

大掃除しながら一生懸命話しかけてくれる人がいたら

 

今年はどうの、あーだこーだいいながら、

それを言う言葉と念が強く迷いがなければ

それが届いていきます。

なんかいっとるぞよしよしきいてやろう、そうしよう。

となり、

 

「おまえが言った一年にかえてあげよう」

 

答えはひとつ。とはこういうことです。

 

大掃除という一年のほこりをはらう行事。

行いと心がけを悪くすることは

 

「積んだ徳を無しにしてください」

 

と天にいっているようなものです。

これはそこに住む人全員に。

自分だけしなかったから、なんてことはありません。

 

複雑になったかた。大丈夫です。

 

雑巾と水の入ったバケツ1つもって。

一生懸命拭き掃除、磨き掃除すればいいだけです!

 

どんな人でも道は開けていきます。

 

良いお年をお迎えくださいませ。

 

年末です。

ひさしぶりになります。

 

掃除について。

やり方を知らない方が多いなぁ、と感じたため。

今回はこの内容にします、

 

掃除は神様が必ず見ています。

拭き掃除、掃き掃除。

こうして魂磨きもさせていただいていること、

知っていますか?

 

お寺で朝起きてまず拭き掃除を行うのにも意味があるのです。

 

服装。

汚れても、濡れても、気にならないスタイルで!

これを優先(濡れない、汚れない)する時点で神様は掃除しているとはまったくおもいません。

 

雑巾あらい。

雑巾を洗うときに肘手前まで濡れてもいい恰好。

手首より上が濡れない洗い方は論外です。

 

窓を開けて

窓は開ける。寒くても空ける。

神棚のあるお部屋は必ず開けてください。

(カーテン閉めっぱなしなんて最悪です)

 

玄関

人を介して様々な念や気が入る場所です。

今日は触れませんが「玄関開ける前」「開けた後」

と分けることがあるくらい、重要な場所です。

ほこりひとつないように。

磨き上げてください(ドア、床、靴箱、サン、すべてです)

 

NG玄関。

置物、額が埃だらけ。

靴箱しめたままそうじ。

ドア(扉)枠のサッシの掃除してない。

ガラス、鏡、(本来輝くもの)が曇っている。

布をやたら敷いている、かぶせている。

 

他にもありますが、私がみて「ぎゃっ」となる玄関をざっとあげました。

 

 

水ぶきを必ず。ほこりと悪い気はセットです。

 

気は角(かど)にたまります、

どんなちいさな凹凸でもできるだけ ふきそうじ、してくださいね。

 

玄関×ほこり=運気大暴落です。

 

 

掃除の間はこんな心と姿勢で。

 

一年を振り返りながら。

無事にこの家(会社)で暮らせたことにまず、感謝しましょう。

 

絶対したはいけない。

掃除をしながら悪態をつく、

一年をネガティブな総まとめ(あーろくなことなかった、とか)

 

 

神様全部聞かれています。

掃除をしているいい子のいう事は聞いちゃうのです。

「そっか・・・ロクな一年ではなかったか。おまえがそう思うならそんな1年だったことにしよう」

と、評価がかわってしまうこともあります。

(これのなにがいけないのか。その年に良い行い、積んだ徳、切り開きかけた運気、ぜーんぶちゃらにされてしまうからです)

 

 

悪い言葉、汚い言葉をいいつづけるとどうなるか。

掃除している姿がみるみる変化。

 

神様から見たら

汚物を塗り付けているようにうつってしまうので

やらない!

気づかず

神棚なんかそのまま手を合わせたときには

 

なんやあいつ。にどとくるかぁ!

となります。

 

こうなると新年すぐ行う事は

神様に謝り、足を運んでいただけるよう

お願いからはじめなければなりません。

 

大掃除に悪い行いをするということは。こういうこと。

汚物小屋に毎朝手をあわせ、天照様に

「さぁ、こちらがご用意した場所でございます」

とやるようなものです。

 

ケンカ、暴言、罵倒しない。

お返事は大きく。それ以外は黙って。

 

でもにぎやかに行うのです。

どんがらがっしゃーん、お水パシャパシャみたいな感じで(笑)

 

 

もし、してはいけないことしちゃったら。

ごめんなさい、気づいた時、迷わず、すぐに

素直に謝りましょう。

 

神様はすごく速い。

神様は選択に迷いはまったくありません。

答えは常に一つしかお持ちになりません。

こちらが

あ!」と人間がおもったときには

もうとっくに終わったことになっています。

 

素直に聞く。疑問をもたず、まずそうする。

 

口ごたえが大きらい。

迷う。答えを出さない。

決断しない。質問ばかりする

他の方法にしようとする

これはすべて神様は「口ごたえ」ととられます。

 

あいまいにすることを「言葉を濁す」といいますね。

そうです。そんなことばは濁って臭い。

 

とはいえ、難しい人もいますし、内容によっては

できない方もいるとおもいます。

 

とはいってもこたえはひとつできない!そんなときこのことばを使おう。

神様が決断だされるのをのばしながら、

自分は答えをひとつにする時間を作るために

 

しまった」とか「あぁ~っ(下げちゃだめよ!ため息厳禁)!」

ということばや呼吸のような音をもらしましょう。

ロングブレスでね(説明がむずかし・・・)

 

どゆこと?

またの機会に。

 

 

 

いい事だから、そうでないから

本来、選ぶことができるのは 神様に選べと言われたときだけ。

 

でも人間は目の前に起きたこと

お金、出世、ラクできるなど、欲で選択していくから

神様のお導きと全く違うものになっていくのです。

 

全てに意味があるからこそ、一生懸命話しかけてくれる

人間がかわいい。一年をどうしたかったのか

なんかいっとるぞ、よしよしきいてやろう、そうしよう。

 

「おまえが言った一年にかえてあげよう」

 

それだけ。答えはひとつ。とはこういうことです。

 

大掃除という一年のほこりをはらう行事。

してはいけないことをするということじゃ

 

「積んだ徳を無しにしてください」

 

と天にいっているようなものです。

これはそこに住む人全員に。

自分だけしなかったから、なんてことはありません。

 

複雑になったかた。大丈夫です。

 

雑巾と水の入ったバケツ1つもって。

一生懸命拭き掃除、磨き掃除すればいいだけです!

 

どんな人でも道は開けていきます。