ルナのたまにブログ
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昨夜、義妹からLINEがきました。


『  この20年いろいろあったよね

   一緒に暮らした一年間が懐かしいな  

   楽しかったね    』  と



震災後の一年間は居候生活でしたが
彼女とは初対面から気が合って友達のような付き合いだったので気も楽でした。


落ち込まずにすんだのも彼女の明るさのお蔭です。


あの頃、お夕飯時は二人で晩酌するのが恒例になっていて・・夫達も呆れていましたっけ。


先月も久し振りで楽しくてお喋りが止まらず、気付いたら4時まで呑んでいました。
(翌日は京セラ、、大変でした)




『  Hちゃん  いつもありがとう

   楽しかったね

   これからの20年もよろしくね!  』




   
                               ↖シュワシュワでした   







今年もこの日を迎えた

神戸から離れて生活をしているとあの時を感じずに過ごしてしまう年もある

でも今朝は4時すぎに目が覚めてあの時が近付くのをドキドキしながら過ごした

20年経った今日、私のあの日を書き留めておこうと思う




5:46  夜明け前の突然の大きな地響きと凄まじい揺れ・・・

夢の中だと思った、何かが墜ちて爆発した恐ろしい夢

大きく揺れるベッドから転がり落ちないよう必死だった

少し揺れが収まると娘の名前を呼びながら真っ暗な家の中を手探りで子供部屋へ向かった

声を頼りにベッドの上にいた娘をつかんだ

すでにライフラインが途切れていて灯りが点かず娘の表情は見えなかった

でも泣くこともなく寝ぼけてるような娘の様子にホッとした



壁づたいに玄関の方へ行き扉を開けて外に出た

真っ暗闇で空と山の境も判別出来なかった

姿は見えないけどご近所の声は聞こえていた

あの時、遠くで起きてる火事の赤い火だけが見えた・・
余震の恐怖と寒さに震えながら空が明るくなるのを布団にくるまって待った

どこかで手を切ったのか、血の臭いがして指先がベタベタする



少し明るくなると家の中を見て回った

靴を履かないと歩けない状態だった・・

食器棚が倒れ電化製品も食器も飛び散っていた

冷蔵庫の扉は開いて食品が落ちていたが倒れずに少しずれた所に立っていた

重いブラウン管テレビもリビングの中央の床に落ちていた

家具のほとんどは元の場所に無かった




身支度を整えて外の様子を見に行くことにした・・

外へ出ると現実と思えないひどい光景が目の前にあった

向かいのビルは倒壊しかけていた

あちこちの家が倒壊して道を塞いでいた

ご近所の人達は冷静だったのか、あまりの出来事に声も出なくなっていたのか街中が静かだった

どこかの潰れた車のクラクションがずっと鳴り響いていた



その後、連絡の取れない夫の実家へ車で向かった

大通りは渋滞もなく普段より空いていた

車のラジオ放送でやっと何が起きたのかを知った

夫の携帯が使えた、東京の父へ電話をするとまだニュースを知らずにいた

無事だから安心してと言って電話を切る



義母と義妹はニューオオタニに避難していた

実家の近所の小学校に一緒に避難しようと決め準備をしに戻った



家で準備をしていると近所の人から火事が広がってると知らされた

外へ出ると、明け方に見た火事の方角に煙が立ち込めていた

この時点では、ここまでは来ないだろうと思っていた

しばらくして車に荷物を積んでいると風が強くなってることに気付いた

炎が煙と一緒に上空まで上がっていた、、ここまで来ると確信した

慌てて娘のアルバムを取りに行った

あの時咄嗟に思いついたけど今でも取りに戻って良かったと思う



午後4時過ぎ・・

家が炎にのみ込まれていく様子を少し離れた場所から夫と見ていた

半年前に引っ越したばかりの家、あちこち探してお気に入りの家具も揃えたマイホーム

バチバチと音をたてて火の粉が飛んでいた
今もはっきりと思い出せる



それから実家の近所の小学校体育館で数日間過ごし、明石に居る親戚の家にお世話になった

心のこもった温かい食事、布団で寝る幸せ

ライフラインの揃った生活の有り難さ、数日ぶりにお風呂に入った時に涙が止まらなかった



先の事が何も見えない状況と余震の不安は続いたけど、家族全員が無事だったことが何よりだった

あの地域だけで何軒焼失したのか、、

記録として残してある自宅周辺の写真には、ビルの骨格だけが焼け残っていて木造家屋は跡形もなく燃え尽きていた

後日、小学校に安否を知らせに行くと
クラス名簿には生死、連絡先を記入するようになっていた

我が家も焼失していたから心配していたと友達が泣いて再会を喜んでくれた

あの火事で知人が倒壊した家から出られず救助されないまま亡くなったと聞いた

娘の友達は家族全員が家具の下敷きになって亡くなっていた



あの日から20年
先月、久し振りに神戸へ行ってきた

住んでいた地域は道路が新しく整備された後、家が建ったからまったく馴染みのない街になっている

でも火災の無かった地域では、いつもの喫茶店が今も営業してたり、いつものお好み焼きのおばちゃんが元気に頑張ってた


今回、震災後に復興を願って毎年催されているルミナリエを初めて見てきた

市庁舎の上階からの眺めは真下にルミナリエ後ろに神戸港とベイエリアの夜景が広がるとても美しいものだった












9年間を過ごした神戸、あの日が無かったら・・・・

今もあの家で暮らしているはず

神戸市須磨区のあの家で・・・・




そして我が家の20年目の過ごし方は、至って普段通りだった


それも我が家らしいと思う


先日、ジェジュンをJYJを愛する方々と楽しい時間を過ごしました


ドラマファンミ後にLAに戻られる素敵な方を囲んでのお食事会


初めての方々なのに、JYJペンさんはみなさん優しくて和やか~♡


周りにJYJペンの知り合いがないので、初対面で意気投合できる貴重な出会いでした


ファンミの貴重なお話、ドラマの感想、ジェジュンへの熱い想いでいっぱいの幸せな時間はアッと言う間で。。。


その足で空港に向かわれる方のお見送りに。。。

9人で手を振る光景に、リムジン職員さん?から「どういう方ですか?」と。。。

お答えになった方の「素敵ブロガーさんです♡」に。。。???の反応にツボりました

時間があったら9人でジェジュンの事から素敵ブロガーさんの事詳しくお教えしたのに(笑)



ジェジュンから繋がる一期一会の出会いですが、この先もご縁が繋がり続きますように☆


よろしくお願いします。。。(*^_^*)


花○○さん。誘ってくれてありがとうございました

つ○さん。お店の手配ありがとうございました

お会いした皆さま  ありがとうございました


次はJYJコンサートですよね!きっと!!

日本公演の発表が待ち遠しいです♪




舞い上がってて、初ボムスだったのにお料理や店内のサジンを撮るのを忘れました




きゃーコーヒーカップソーサーまで可愛いドキドキ~~~と慌ててカメラあせる







お会いした皆さんにいただいた品々。。。美味しくいただく前にカメラ








ジェジュンでいっぱいの1週間‥‥( ´艸`)



もう1日中‥‥WWW ♪

 1番なんて選べないジェジュンワールド~凄いwww!






日本語でのインタビュー記事‥‥ELLE JAPON ♡

  ジェジュン‥‥オトナだね、オトコだね。。。

  頼もしいジェジュン‥でも無理はしないでねwww







ソウルでのコンサート‥‥あと1時間で始まるねwww 

                         

この時のために準備してきたんだもの、みんなの記憶にいつまでも

残る素晴らしいライブになると思う‥‥日本から成功を祈ってるね


ジェジュンFighting!!!




そして横浜で逢える日を楽しみにしてるからね♡♡♡


ジェジュンは日本語曲がない事を気にしてるけど、

ハングルで歌うジェジュン大好きだよwww