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わたしの原動力は、「怒られたくない」ところにある。怒られないためには、サービス残業もするし、10時間くらいかかることを6時間でやらなければならないから、とにかく必死で走り回っている。そう、体力仕事なので、知識や技術が身につくことはない。年々、体力が衰えていくわけなので、こんな仕事を10年後も続けていたいとは思えない。でも、わたしが一緒に働いている方たちは、わたしよりも10以上年上の人たちばかりなので、わたしの未来を見ているようにも感じる。

結局、絶対にやりたくないこと•やれないことは、続かない。わたしは、自分の仕事を作ることよりも、まわりにおびえながらも走り回っているほうを選んだのだ。頭の中では、こんな仕事を続けるくらいなら、努力して自分に価値をつけて独立したい!なんて理想を抱きながら、やっていることと言えば、おままごと程度の中途半端な創作ばかり。本気じゃないことくらい、自分がいちばんよくわかっている。

わたしは、「怒られたくない」からやるのであって、わたしが何もしなくても「怒ってくれない」状況では、怠けてしまう。わたしが、文章を書かなくても、ギターを練習しなくても、絵を描かなくても、誰も困らないから、怒られない。当たり前のことだ。文章を書く人は書きたいから書くし、ギターを弾きたいから弾くし、絵を描きたいから描く。それがようやく仕事になったときは、「怒られたくない」というより「仕事を失いたくない」になる。アルバイトのように、時給は保障されていない。簡単に仕事はなくなる。だから、より努力する。

わたしは、どちらを選ぶのか。もちろん答えは決まっている。このままではいやだ。
しかし、小学生から今に至るまでずっと、「怒られたくない」から宿題をして、勉強をして、周りに合わせて、大学の単位を取って、仕事に遅刻しないで、仕事を怠けないで、やってきた。やりたいから、楽しいから、認められたいから、一位になりたいから、やってきたことなんてなかった。だからこそ、難しい。でも、10年後、20年後の自分を思い浮かべたとき、どちらになりたいか、と周りの大人を見て考えると、28才の今が、ラストチャンスなんじゃないかと思ってしまう。これ以上、「今年もできなかった」をくり返すと、もう無理だ、に変わってしまう気がする。

やりたいことなんて、ふわふわしすぎていて、しぼれない。20才から今まで、あれもこれも中途半端にやってみたが、わからなかった。やりたいからやるんじゃない。絶対にやりたくないことをやらないために、何でもいいから一つ決めて、やる。その覚悟が必要なのだと思う。

「なんでこんなことやってるんだろう」「これがわたしの本当にやりたいことなのかな」「心がときめかない」「わたしのやりたいことは別にあるはず」•••うるさい、やれ。それをやれ。やりきるまでやめるな。自分の言い訳に迷わないで、びしっと言ってあげることでしか、自分は変わらない。