「その曲ばっかり聴いちゃう時期」って、ある。
今は、森田童子の『たとえばぼくが死んだら』ばっかり聴いちゃう時期。まじで1日何回聴いてるか分かんない。
https://www.youtube.com/watch?v=817-MDcen9U
この曲を聴くと、必ず山田康雄さんのことを考えてしまう。やっぱり私の中で、死と山田さんは密接に結びついているようだ。死に関連することやものに触れると、いつも山田さんを思い出す。
けどそれって、なんか失礼だよなあ。私は亡くなってる山田さんしか知らないけど、1995年の3月まで確かに生きていたわけで。私は生きてたころの山田さんを見ようとしていないのだ。聞くのは当然、生前の山田さんの声なのに、それによって想いを馳せる相手は亡くなった山田さん。それも変な話だよなあ。
山田さんの声を聴くと、中学生だったころの空気?みたいなものをブワーッと思い出す。ちょうどあのとき、山田さんの魅力にズブズブにハマってたからね。
山田さんがマイクの前で、どんな表情をして、どんな息遣いで、喋ったり歌ったりしているのかという場面も、まるでその場で見ているように思い浮かぶ。でも今はもう、あまり苦しくない。幸せな気持ちになるだけで。
ああ、なんの話がしたかったんだっけ。とにかく私は今、ちょっと疲れてて、でも山田さんがいるから幸せで、森田さんの曲しか聴きたくなくて、山田さんのことばかり考えている。