こんにちは、あすなろまどかです。


 今回の記事は、映画『ボス・ベイビー』のストーリーは、全て主人公ティムの妄想だったのではないか? という説についてです。






この記事は、2022年2月23日に書いた記事です。






 「ボス・ベイビーという映画のストーリーは、全て主人公ティムの妄想だったのではないか」という説を、強く推している。








 たぶんこの映画、人より少し感じやすい、想像力たっぷりの男の子(作中でも「妄想癖がある」と解説されている)が、突然やってきた弟の問題をどう対処して、自身がお兄ちゃんになったこととどう向き合っていくか7歳の子供が幼いながらに懸命に考えた結果だと思う。その過程を、じっくりと描き出しているように思えてならない。


 そしてその過程の中で、ティムの豊かな想像力が回想に色を加え、「ボス・ベイビー」や、弟が会社で働いているという「設定」が生み出されたのではないだろうか。





 そう思ったシーンは、ボス・ベイビーがティムの大事なヤギのぬいぐるみ、メーメーの鼻を、わざとホチキスで留めるシーン。あれもティムの妄想だと思う。


 弟がぬいぐるみをホチキスでムチャクチャにしてしまった、というのは現実だと思う。その光景が、想像力豊かなティムには、あのように見えたのではないか。(ティムは弟を疎ましく思っているので、弟を悪者に仕立てたい=ボス・ベイビーがメーメーを故意に傷付けた)




 また、渋い声で意地悪なことを言ってくる弟も、ティムの妄想だと思う。感じやすい子供には、赤ちゃんの泣き声がそういう意地悪な言葉に聞こえる、という描写だと思った。


 何よりの証拠()が、私だ。


 私が8歳のとき、妹ができた。私は、人よりは想像力を持っていて、物事に少し感じやすい方だと思う。そしてそんな私も、ティムと同じように、まだ喋れないはずの妹が意地悪なことを言っているように思えたり、両親が以前より自分を構ってくれないことに必要以上に不安を抱いたりしていた。


 ティムの年齢や性格から考えると、やはり「ボス・ベイビー」は、全てがティムの妄想だったような気がしてならない。そして私は、あの映画がティムの妄想だったことを強く強く願っている。


 なぜなら、もしもあれが現実だったら、7歳の少年にはちょっと厳しすぎてティムが可哀想だし、何よりありえないからだ。(物語冒頭の「僕には空想癖があった」というティムの発言の意味がなくなる)




 でも、Netflixの続編でも、相変わらずボス・ベイビーがいる生活は続いていたし、赤ちゃんが勤めている会社の存在も消えてなかったし(「ボス・ベイビー」という存在が、ティムが両親に構ってもらえない寂しさや怒りから生まれた妄想だったとしたら、映画のラストで両親の愛情を弟と同じだけ注いでもらったあとは、「弟」は家にいても、「ボス・ベイビー」や会社は消えるはず)




 なんかやっぱりよく分からない。そんな深く考察する映画じゃないのかな? これ。