今回は、小説「クリムルーレの花」の続編「キャンコロトンの森」の第14章です。
終わりが近づいてきて、自分で書いたクセになんか寂しいです^^;
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第14章 女達
それから、いくらタットがフィーダのそばにいることを願っても、いくら両親がフィーダの旅立ちに反対しても、フィーダは誰の意見もいっさい聞かなかった。
「フィーダは自分のことしか信じてないんだ。良くも悪くもね。」と、タットはシャウィーとアンダリに言ったものだった。「恋人である僕のことさえ信じてくれないんだ。これをすると一度宣言したら、もうフィーダにはそれ以外ありえないんだよ。」
タットの言葉は正しかった。父に猛反対され、包丁を持ち出し、家中を荒らしたその次の日に、フィーダは荷物を全てまとめた。
「やっぱり、本気なのね。」
アンダリは言った。
今、屋根裏部屋には、フィーダ、アンダリ、シャウィー、そしてタットの四人がいた。
「そうよ。」
フィーダはうなずいた。海色の瞳は、若さと野望でぎらぎらと輝いていた。
「両親の許しをもらってないのに?」
「あんな親が許してくれるわけないでしょ。もう行くのよ。行くと決めたら行くの。」
フィーダはそう言うと、タットを見た。タットはため息をついて、こう言った。
「もう分かったよ。好きにしなよ。どこへでも行くがいいさ。」
フィーダは「ありがとう」と言ったが、ちっとも明るい口調ではなかった。温厚なタットが、疲れきり、やつれ、フィーダに怒りを覚えていることは明白だった。
フィーダもタットのそばにいたいとは思っていたが、家なきひとり旅にタットを巻き込むことは嫌だったし、いっそ自分がいなくなった方が、タットも含めたみんなが幸せになれるだろうと信じていた。
シャウィーはといえば、何も言わなかった。このような大事な会話で、シャウィーはいつも黙り込むのである。
それは、あまりに重大な会話にショックを受け、上手く頭が回らないことや、よっぽど自分のプライドを傷付けられない限り、このような会話の中では黙って成り行きに任せておく方が正しいと信じていることなどが関係しているが、今のところはタットと同じで、己のみを信じるフィーダに何を言っても変わらないと分かっていることが一番大きかった。
アンダリは、フィーダが自分の好きな生き方を選んで生きることが、一番いいと思っていた。
しかし、フィーダの選ぼうとしている生き方が、あまりに型やぶりで、あまりに厳しい道なので、彼女が旅立つ前に最後にひとつ、言っておかねばならないことがあると思った。
だから、アンダリは息を吸い込んで、フィーダに向かってこう言った。
「でもね、フィーダ。なにものにも縛られず、どこにも所属せずに生きていくって、ほんとうの自由じゃないと思うの。自由でいるために、自由に縛られているようなものだもの。
どんな生き方を選んでも、結局は何かに縛りつけられて生きていくのよ。」
フィーダは、いくらかハッとしたようだった。
いつものように心は安定せずに揺らぎ、しかし頭は頑固でかたくなだった。フィーダの中のなにもかもがバラバラで、繫ぎ止めるものが何もなく、フィーダは今にも爆発しそうだった。
だが、それをゆっくりとこらえ、考え、アンダリの方を向いた。
「そうね、アンダリ。ありがとう。でも…それでも、私は行くわ。なんて頑固なんだろうと、自分でも思うわよ。だけど、一度心に決めたことを変えることはできない。」
まじめな顔で言いきったフィーダに、アンダリはおかしさがこみ上げてきて、思わず笑ってしまった。
「分かったわよ。あなたって筋金入りなのね。私は納得できないし、タットもシャウィーも、ご両親も納得できてないけど、私にあなたを止めることはできない。誰だってできないわよ。だから私は、もうこれ以上、何も言わないわ。言わなくちゃいけないことは、しっかり伝えたんですもの。」
「ええ、しっかり伝えられたわ。」フィーダは、遠くを見た。「確かにあなたの言う通りかもしれない。ほんとうの自由は、ただ家を出ていくだけで得られる単純なものじゃないかもしれない。
だけど、だからこそ行くわ。ほんとうの自由とは一体なんなのか、広い世界で探してみるの。もしかしたら、いつか、自分の考えが間違いで、あんたやみんなの言葉が正しかったと思う日が来るかもしれない。
でも、いつ来るかなんて誰にも分からないし、永遠に来ないかもしれないわ。それなら私は、そんな日が来るのを待つよりも、自分で答えを探しに行くわ。」
「あなたなりに、ちゃんと考えてるものね。」アンダリは微笑んだ。「正直なところ、私にはさっぱり理解できないけれど。」
フィーダも、切なそうに笑った。
アンダリは、もう一度息を吸い込み、こう言った。
「もしあなたが本気で出ていくなら…お金のことだけどね、アルバイトで稼いだお金じゃ足りないと思うの。」
フィーダはアンダリを見た。
「あなたは、花屋さんで一生懸命働いていたそうだけど、とてもそれだけじゃ足りないわ。」
「そうね。」
フィーダはこまった顔をして、いらいらして頭をかきながらも、正直に認めた。
「だからね、フィーダ。あなたに、これをあげようと思うの。」
「え?」
フィーダの前に差し出されたのは、
「え。」
大金だった。
「ちょっと、どうしたの? これ。」
フィーダが驚いて尋ねると、アンダリは、ちょっとはにかんで答えた。
「お父さんが稼いだお金よ。」
フィーダの目は見開かれ、そして潤った。
「私、こんなのいらないの。」アンダリは熱心に言った。
フィーダは一瞬間、どうするべきか悩んだが、少し悩むとあっさり答えを出し、再び口を開いた。
「いえ、受け取れないわ。気持ちだけで嬉しいのよ。」
しかし、アンダリはなお、食い下がらなかった。
「私、ほんとうにお金はいらないの。お金は使うためにあるもんだわ。使わないのに貯めていたって、ただの紙切れに成り下がるだけだもの。」
そこまで言われて、フィーダは納得することができた。愛する俳優が汗水垂らして稼いだ大金を簡単に譲り受け、フィーダは金を手に入れた。その事実が、嬉しいけれどどこか悲しくて、フィーダは複雑な気持ちになった。
「ありがとう。」
フィーダがお礼を言うと、アンダリは何も言わずに微笑んだ。
それから、ふと部屋の壁を見たアンダリは、
「フィーダ、ポスターは? 大事なものなんでしょう?」
と尋ねて、右半分しか顔のないシェイ=キャンコロトンのポスターを指した。フィーダはそちらの方に目をやり、胸が痛くなった。シェイの麗しい銀髪は、アンダリの長いつややかな髪と全く同じ色をしていた。
フィーダは、「ああ…」と声を漏らしながら、何かを懐かしむように、ポスターをじっくりと眺めた。やがて、意を決したように、ほとんどさけぶように、こう答えた。
「持っていかないわ。」
この答えには、三人のうちの誰も、どれほど驚いたかしれなかった。
「ほんとにいいの?」
アンダリは、思わず聞き返した。すると、フィーダは切なそうに微笑んで、こう答えた。
「アンダリのパパでしょ。」
「でも、フィーダのシェイでもあるでしょう?」
アンダリは、間髪入れずにそう聞き返した。
フィーダは何も言わずに、ほとんど泣きそうな目でうつむいた。
すると、アンダリは「これ。」と何かを差し出した。なんだろうと、フィーダはアンダリを見た。
それは、無地の赤いハンカチだった。こんなものがどうしたのだろうと、みんなはハンカチを見て不思議に思った。
すると、アンダリが説明をしてくれた。
「お父さんが生きていたとき、お父さんはずっと大切にこのハンカチを持ってたんだって。お母さんがお父さんに作ってあげたらしいの。
お母さんは、お父さんが死んでからも、ずっとこのハンカチを大切にとっていたわ。
フィーダ、あなたにあげる。」
フィーダは、信じられないという顔でアンダリを見た。
「ほんとにいいの?」
「フィーダに持っててほしいの。」
そう言って、アンダリは微笑んだ。彼女の優しさで胸がじんわりと締められながらも、フィーダはこう尋ねた。
「アンダリ。あんた、どうしてこんなに私に良くしてくれるの? 私、あんたに何もいいことできなかったのに。」
「そんなことないのよ。」アンダリは首を振った。「人ってそうだと思うのよ、フィーダ。ある人に、ほんとうに強烈に惹かれるときって、優しくされたときなんかじゃないわ。そんな生ぬるいもんじゃないと思うの。もっと、魂が自然と引っ張られていく感覚よ。私はまさしくそうだったの。あなたに引っ張られたのよ、フィーダ。」
「私に?」フィーダは自分を指して、心底驚いたような顔をした。「あんたに何かをしてあげられた覚えがないのだけど。」
「だから、人ってそうだと思うと言ったのよ、フィーダ。あなたがあなただから良かったの。」
そう言って、アンダリは微笑んだ。フィーダも微笑んで、シェイの赤いハンカチを受け取った。
「ほんとうにありがとう、アンダリ。」
そう言って、フィーダはアンダリの若葉色の瞳を見つめた。フィーダの海色の瞳には、透き通った綺麗な涙が浮かんでいる。
アンダリも、フィーダの瞳を見つめ返した。今、フィーダの心の中は、アンダリの大いなる愛で満たされているのだった。
窓辺に飾られた真っ赤なアネモネと黄色いカモミールが、屋根裏部屋の四人を見守るように優しく揺れていた。
〜第15章(最終章)へ続く〜