今回は、小説「クリムルーレの花」の続編「キャンコロトンの森」の第13章です。

 

 

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第13章 混沌

 

「私、この家を出ていこうと思うの。」

 

 フィーダの言葉に、みんなは自分の耳を疑った。

 

「で、出ていくって、どういうこと?」

 タットが、うわずった声で尋ねた。

 

「そのままの意味よ。家を出ていって、色んな所を旅しながら、ふらふら生きるつもりよ。」

 

「ちょっと…待ってよ、フィーダ。」とアンダリ。「じゃあ、あなたには住む家がなくなるじゃない。」

 

「そうよ。それこそ私が望むことなの。」

 

 みんなは、よく分からないといった表情で顔を見合わせた。それから、アンダリはハッとして尋ねた。

「…私がこの家に住むことになったせい?」

 

 

 

「いいえ、違うわ。ずっと前から考えてたのよ。自由の身になれたら、どんなに素敵だろうって。家を持たずに、自分の自由だけを求めて放浪するの。どんなにか幸せだろうと思うわ。

 

 私…私ね、そのためにアルバイトを始めたのよ。始めた頃は家を出ていくかまだ迷ってたけど、決心したときにいつでも出ていけるように、お金を稼いでたの。」

 

 

 

「フィーダ。」

 シャウィーでさえ、思わず彼女の名を呼ばずにはいられなかった。

 

 みんなは、とがめるような表情でフィーダを見た。

 

「これは私の運命なのよ。」フィーダは、その顔に向かって必死で抗うように言った。「私には、何かに縛られることが耐えられないの。今まで色んなことを経験してきて、よく分かったわ。私はどこにも所属せずに生きていくべき人間なのよ。家にも、学校にも。それでこそ私なの。」

 

「でも…。」 

 タットとシャウィーはそう言って、眉を寄せた。これが、普通の反応である。そしてフィーダは、こんな反応が返ってくることを分かっていた。

 

 しかし、アンダリはこう言った。

「…そうなのね。頑張ってね、フィーダ。大変だとは思うけど、私はいつでも、遠くから応援してるわ。」

 

 フィーダは少し驚いたようだったが、すぐに喜びの色を表し、笑顔になった。

「ありがと、アンダリ。」

 

「ちょ、ちょっと、アンダリ…。」

 タットは、悲しいなどと思う前に、理解が追いつかないようだった。

 

「あのなあ、アンダリ、フィーダ。」とシャウィー。「お前ら、自分たちが相当めちゃくちゃなこと言ってるって分からないのか? 特にフィーダ。」

 

「もちろん、分かってるわ。」とフィーダ。「それでも私は、自分の運命に抗うわけにはいかないの。」

 

 

「私はフィーダに、この家にいてほしいと思ってる。」とアンダリ。「でも、フィーダ自身がそう言うなら…フィーダがその生き方を望むなら、私は否定したくない。

 

 私だって、自分で自分の生き方を決めて、森の中のあの家を捨てて、この家に来ることを決めたんだもの。だからフィーダの気持ちはよく分かるの。

 

 もちろん、あなたたちとか、ご両親の了承は必要だけど…。」 

 

 

 タットとシャウィーは、顔を見合わせた。

 

 そして、フィーダを愛し、ずっと彼女のそばにいたいと願うタットは、青ざめた顔で深いため息をついた。

 

 

 

 次の日のクリムルーレ家は、まるで火がついたように騒がしかった。フィーダが家を捨てて旅に出るとしつこく両親に主張するので、しまいにラチルドはどうしていいか分からず泣きだし、ケットは青筋を立てて娘に怒鳴ったからだ。


「お前はまだ十六歳だ。ひとりで生きていくなんて無理に決まってる! もうこれ以上わがままを言って、家族をこまらせるな!」


「私はこまらせてないわ。あんたが勝手にこまってるんでしょ!」


「父親に向かってあんたとはなんだ!」


 ケットはそう怒鳴ると、娘の頬を力強くたたいた。フィーダは悲鳴を上げて近くの机に倒れ込み、机に生けていた白いアネモネが床に落ち、花瓶が割れた。


「アネモネが!」


 フィーダはさけんで手を伸ばしたが、割れた花瓶とこぼれた水は、当然元には戻らなかった。フィーダはとうとうヒステリーを起こし、窓ガラスが割れるほどの金切り声を上げたあと、泣きながら父を殴って蹴った。


「あんたがアネモネを殺した! あんたが私のアネモネを殺した!」


 ケットは、やりすぎたと思って青ざめていた。こんなに強く頬をたたいたつもりではなかったのだ。怒り狂って父である自分を蹴るフィーダに、ケットはありし日の妻を見た。


 ケットは、怒りや後悔、悲しみややるせなさで、何も言えずに、何もできずに、ただ娘の暴行を受けていた。


 そこへタットが、水のたっぷり入った新しい花瓶を持ってきて、そこに大急ぎで先ほどのアネモネを入れた。


「ほら、フィーダ! 大丈夫だよ、君のアネモネは生きてる! ほら、ここに入れたから、フィーダ!」


 タットは必死でさけんだが、狂ったフィーダの耳にはまるで届かなかった。やがてフィーダはキッチンから包丁を持ち出し、父に向かって振り上げた。


 家の中の全員が、息を呑んで目を見張った。


「もうやめて!」


 タットはそうさけぶと、フィーダの頭を思いっきり殴った。フィーダは気を失って、その場にバタリと倒れた。包丁が華奢な手から離れ、コツン、と音を立てて床に落ちた。そのそばには、先ほど割れた花瓶の破片と、こぼれた水が残っていた。


 静寂が戻った。


 みんながタットを見た。タットは、はあはあと肩で息をしていた。と、その眉が下がり、瞳が潤んで涙がこぼれた。


 涙はタットの青ざめた頬を滑り落ち、床にぽたんと落ちて染み込んだ。


 タットは、膝から崩れ落ちた。そして、激しく泣きだした。いつも温厚で、優しく、我慢強いタットが、こんなふうに心を乱し、大声を上げて泣いたのは、実の父が死んで以来、初めてのことだった。


 母のラチルドは、息子を強く抱きしめて、すすり泣いた。やがて、アンダリもシャウィーの胸に抱かれ、泣き始めた。シャウィーは愛するアンダリをきつく抱いた。

 

 〜第14章へ続く〜