今回は、小説「クリムルーレの花」の続編「キャンコロトンの森」の第9章です。

 

 

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第9章 甘酸

 

 その頃、アンダリはひとり、キャンコロトン家の屋根の上にいた。そこにあおむけに寝転がり、亡くなった父や母のことを考えながら、音楽のような鳥たちのさえずりを聞いていた。

 

 アンダリは体を起こした。

 

 

 

 アンダリが屋根上に行くと言ったとき、シャウィーはアンダリがいなくなることをたいへん寂しく思って、「俺も行く。」と言った。

 

 アンダリはとても嬉しかったが、どうしてもひとりになりたい気分だった。

 

 そのことを伝えると、シャウィーはいかにも不満げな顔をしながらも、たった一言、「分かったよ。」と言ったのだった。

 

 

 フィーダと喧嘩し、楽しかったとは言えない誕生日が終わった今、アンダリは少し心を痛めながら、何もせずに自分の人生について考えていた。

 

 この十八年間、どんな人生だっただろう。どんな思い出があるだろう…。

 

 

 アンダリの記憶は、幼少の頃をたどっていた。

 

 

 

 母はいつも優しい。アンダリは毎日、母の愛に包まれて一日を終えた。   

      

「ゆっくりおやすみ。もしも遠く離れても、母さんはあなたを愛してるわ。」 

 

 

 母はアンダリが眠る前、必ずそう言ったものだった。その頃には、母もアンダリも、母が余命幾ばくもないことを知っていたからだ。

 

 アンダリは母の温もりに幸せを感じながらも、そう遠くない母の死を思い、夜はひとりで泣いた。

 

 

 会ったことのない父のシェイは、いつもアンダリのベッドのそばの写真立ての中で微笑んでいた。

 

 母は娘のアンダリにだけではなく、亡き夫にも毎日愛を伝えた。アンダリも母と一緒になって、遠くの父へ愛を届けた。

 

 

 アンダリの毎日は、母と父の愛と温もりと、何気ない幸せで満ちていた。

 

 死期の近い母と亡き父との生活だったが、身体がどんなに遠くへ離れても、心は繋がっているとアンダリは信じていた。だから、不幸ではなかった。

 

 

 夕方になると、母は必ずアンダリと散歩へ出かけた。森の中、あるいはラネス海道。アンダリが美しい夕景色を指して無邪気に喜ぶと、母は優しい微笑みを向け、アンダリを抱きしめて言った。

 

「いつもありがとう。」

「なんで?」

 

 アンダリは首をかしげて、母に尋ねた。

「私、お母さんに何もいいことしてないのに。」

 

 母はふふっと笑うと、アンダリの頭を優しくなでた。

「そんなことないのよ。あなたがあなただから良かったの。」

 

 その言葉の意味を、幼いアンダリは理解できなかった。しかしアンダリの心の中に、母の想いと大いなる愛は伝わっていたので、聞き返すことなくうなずいた。

 

 アンダリには、いつも優しく穏やかな母の温かい愛が注がれていた。

 

 

 次の日になると、また母の愛情が注がれる。アンダリは母に幸せを与える。そんな毎日が当たり前だった。

 

 

 アンダリがもう少し大きくなると、母は父の元へと旅立ってしまった。

 

 最初のうちは深い悲しみに暮れていたが、だんだん見えない母の心がアンダリに馴染んできて、また満たされた日々がやってきた。

 

 

 家でひとりでいることが多くなったアンダリだが、両親がいないことで孤独を感じることはほとんどなかった。

 

 母に愛されて育ったアンダリは、人を愛すすべを知っていたので、友人が大勢いたのだ。学校に行くと、アンダリは親しい友人たちに取り囲まれ、笑顔に満ちた、充実した生活を送った。

 

 

 「やあ、アンダリ。」「アンダリ、おはよう。一緒に勉強しよう。」「今日、家に行っていい?」「みんなでどこか行こうよ!」

 

 

 クラスメイトからさまざまな言葉をかけられると、アンダリは自分がどれだけ友に愛されているかを知り、嬉しくなった。

 

 アンダリがいる場所が、どこでも彼女の居場所だった。世界は広く、バラ色に輝いていた。この先も、ずっとこんな幸せが続くのだろうと思うと、喜びで涙と笑顔がこぼれてくるのだった。

 

 

 アンダリには、大切なものが数えきれないほどあった。両親はそばにいる。友人もいる。信頼できる親友も、愛する恋人もいた。

 

 だから、彼女は他に何も求めなかった。娯楽の本にも、映画にも、シーディーにも興味がなかった。それらの娯楽は、それ自体を楽しむものではなく、友人たちと共有するためにあるものと考えていた。

 

 

 だから当然、亡き父であるシェイ=キャンコロトンが出演している映画や歌にも、それほど興味を示さなかった。 

 

 アンダリは、金にも興味がなかった。金で何かを買わなくても、大切なものや、両親や友人からの愛は、いつも彼女の心の中にあったからだ。

 

 

 彼女の人生は、まるで美しい絵画がいくつも飾られている美術館のようなものだった。近しい家族の死がいつも間近にあったが、それをほとんど気にせず生きてきた。

 

 たとえつらいことがあっても、生まれつきの穏やかさと、両親からもらった愛情と、大切な友の存在とで、ひとつひとつ乗り越えてきたのであった。

 

 

 

 そんな過去を思い返していると、アンダリはだんだん温かい気持ちになってきた。

 

 ふいに、自分の誕生日をめちゃくちゃにしたフィーダの顔が脳裏に浮かんだが、美しい思い出に浸ったばかりのアンダリには、怒りの気持ちは湧いてこなかった。

 

 

「ああ、人生って、なんて素敵なんでしょう。人生はいつも色とりどりの絵の具でいっぱいなのね。」

 

 満足と喜びと幸せで満たされ、アンダリは微笑みながら、飛んできたスノーボールを優しくなでた。スノーボールとともに歌を歌い、口笛を吹いた。 

 

 

 それからアンダリは、屋根の上に立ち上がると、近くの木になっているリンゴに手を伸ばした。

 

 いつも持っているポケットナイフを取り出し、木から切り離し、一口分を切り取った。果汁が実からこぼれ、屋根の上にぽたりと落ちる。

 

 期待で胸をいっぱいにして、その場にそうっと座りながら、リンゴを口に入れた。とても甘くておいしかった。

 

 

 そしてアンダリは、スノーボールにもリンゴを与えながら、こう言った。

 

「これからの十八年間も、きっととても素敵なものになるわ。」

 

 〜第10章へ続く〜