今回は、小説「クリムルーレの花」の続編「キャンコロトンの森」の第8章です。
もくじ&主な登場人物はコチラ↓
前回の第7章はコチラ↓
第8章 辛酸
次の日、フィーダはひとり、クリムルーレ家の屋根裏部屋にいた。
ベッドにあおむけに寝転がり、壁に貼られたシェイのポスターを眺めながら、ケニー・ロジャースの『The Ganbler』を流していた。
「いつ耐えて、いつ戦うか。戦いでは金のことは考えるな…。」
『The Ganbler』の歌詞をつぶやきながら、やがてフィーダは体を起こした。
フィーダがクリムルーレ家に帰ると言ったとき、タットはフィーダがひとりで帰ることをたいへん心配して、「僕も帰るよ。」と言った。
フィーダはとても嬉しかったが、どうしてもひとりになりたい気分だった。そのことを伝えると、タットはいつものように優しく微笑んで、たった一言、「分かった。」と言ったのだった。
アンダリと喧嘩し、色々な人たちとの折り合いが悪くなった今、フィーダはずっしりとした重い心持ちで、何もせずに自分の人生について考えていた。
どうして私はこうなのだろう。どうしてこんなことになってしまったのだろう…。
フィーダの記憶は、幼少の頃をたどっていた。
母の機嫌はいつも悪い。その日も、フィーダは母に頬をたたかれた。
「うるさい、うるさい! あんたはなんで静かにできないの!」
フィーダは頭を抱え、泣きながら何度も謝った。しかし、母にその声は届かず、皿やコップがどんどんフィーダの頭をかすめて割れていった。
父のケットは、仕事でいつも遅く帰ってきた。母はケットにも暴力を振るい、激しく泣いた。ケットはいつも母の背を優しくなで、母の名を呼び、一生懸命なだめた。
「大丈夫、大丈夫だよ。落ち着いて、いとしいフィービー。ほら、フィービー、大丈夫だから。」
フィーダがその様子を見て立っていると、ケットはフィーダをにらんで、「お前はあっちに行ってなさい。」と言った。
フィーダは、泣きながら自分の部屋にこもったり、近くの花畑に行ったりした。
やがて夜になると、ケットは必ずフィーダのいる所に来てくれた。フィーダの部屋、あるいは花畑。
フィーダが真っ赤に腫れた目を上げると、ケットは優しい微笑みを向け、フィーダを抱きしめた。
「いつもごめんな。」
「ううん。」
フィーダは首を振って、父に尋ねた。
「ママ、なんでいっつも怒ってるの?」
ケットはため息をつくと、フィーダの頭を優しくなでた。
「色々あるんだよ。ママはね、大変なんだ。」
そう言うだけで、ケットは何も教えてはくれなかった。フィーダも、子供心に聞いてはいけないことなのだと悟り、やがて聞かなくなった。
次の日になると、また母の暴力が始まる。ケットは母をなだめる。フィーダは母から逃げる。そんな毎日が当たり前だった。
もう少し大きくなると、父と母は家にいないことが多くなった。最初のうちはそれを疑問に思っていたが、だんだん、母のヒステリーに父が付き合っているのだと分かってきた。
家でひとりでいることが多くなったフィーダは、父がいない孤独をさまざまな方法で埋めた。本を読み、テレビを観て、音楽を聴いた。
母に暴力を振るわれてから、フィーダはだんだん人が怖くなってきた。ある日、いつものように学校に行くと、フィーダは激しい吐き気に襲われ、教室の真ん中で吐いてしまった。
「おえ、汚ねえ。」「フィーダどうしたの? なんか怖いんだけど。」「家に帰れよ。」「汚物はどっか行っちゃえ!」
クラスメイトから暴言をさんざん吐かれ、フィーダはたまらず学校から逃げ出した。
もうどこにも、自分の居場所などないような気がした。目の前は真っ暗で、何も見えなかった。この先、こんな孤独を抱えて生きていかねばならないのかと思うと、悲しみで涙も出なかった。
そんなわけで、フィーダは大切なものを失った。両親は家にいない。友人もいない。信頼できる誰かも、愛する相手もいない。
だが、娯楽はいくらでもあった。本があった。映画があった。シーディーがあった。花畑があった。楽しみがあった。生きる喜びが、あったのだ。
そしてフィーダは、『運命の人』_フィーダの言葉を借りれば、だが_に出逢った。シェイ=キャンコロトンである。
彼の多彩な演技と声に、フィーダは訳も分からず猛烈に惹かれた。
シェイの出演している映画をかたっぱしから観て、シェイの歌っている歌をかたっぱしから聴いた。金は全て彼につぎ込んだ。
フィーダが産まれたときには、彼はもう天に召されていたが、フィーダの心の中で彼は生きていた。
どんなにつらいことがあっても、シェイのおかげでフィーダは耐えきれたのだ。
シェイには会ったことも話したこともないが、フィーダは彼を父親のように思っていた。家に大好きな父がいないぶん、フィーダはシェイに明け暮れた。シェイこそがフィーダの家族だった。
そんな過去を思い返していると、フィーダはだんだんいらいらしてきた。ふいにアンダリの顔が脳裏に浮かび、フィーダは胸が焼けこげるような感覚を覚えた。
「もう! 気に入らない、気に入らない、気に入らない! なんなのよ、あの女! なんなのよ!」
怒りと嫉妬とやるせなさに燃え、フィーダは泣きながら、部屋のものをめちゃくちゃにした。本を床に落とし、枕を壁に投げつけ、壁を引っ掻いて跡をつけた。
それから怒りが収まり、すっと冷静になると、今度は自分が憎くなった。
机の上のペン立てからハサミとカッターを取り上げ、自分の肉を切り、腕に傷を付けた。鮮やかな血が手首からあふれ、さっき床に落とした何冊かの本にぽたりと落ちる。
罪悪感でいっぱいになりながら、ベッドの端にそうっと座り、こみ上げる涙を押さえた。
そしてフィーダは、『The Ganbler』を止めて、ぽつりとつぶやいた。
「私も所詮、あの母親と一緒じゃないの。」
〜第9章へ続く〜