今回は、小説「クリムルーレの花」の続編「キャンコロトンの森」の第3章です。
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第3章 鬱憤
「…え?」
少女が「アンダリ=キャンコロトン」と名乗ったことが信じきれず、フィーダは思わずきょとんとして聞き返した。
「ごめん、私、最近耳が悪くなってるかも。アンダリ、なんですって?」
「アンダリ、キャンコロトンです。」
やはり、聞き間違いではない。アンダリ=キャンコロトン(Andali Cancoroton)と名乗る女は、先ほどと同じ調子で、礼儀正しく答えた。
フィーダがそのことをすぐには呑み込めず、床の一点を見つめてぼうっとしていると、にわかに二階の扉が開いた。シャウィーだった。
「おい、うるせえぞ、女。」シャウィーはフィーダに文句を言いながら、不機嫌そうに階段を降りてきた。「そのヒステリックな性格、なんとかしろっていつも…」
喋っている途中に他の女の存在に気付いたシャウィーは、喋るのをやめて立ち止まった。
「誰? その女。」
「アンダリ=キャンコロトン。」タットが答えた。「シェイ=キャンコロトンの娘さんだよ。」
「えっ。」シャウィーは思わずさけんだ。「シェイ=キャンコロトンの!?」
そう、フィーダが驚いた理由は、まさにこれだったのである。
シェイ=キャンコロトン(Shey Cancoroton)は、フィーダの大好きな俳優だ。十七年前、脳出血が原因で、二十歳の若さでこの世を去った。
彼がアンという女性と結婚していたことはよく知られていたが、娘がいるなどという情報は、どこにも流れていないのである。
「つまり、隠し子ってわけか?」
「そういうわけじゃないんです。」シャウィーの問いに、アンダリは首を振った。「ただ、お父さんが死んだとき、私はまだお母さんのお腹の中で、成長を遂げている真っ最中でしたから。産まれたときにはお父さんはいなくて、お父さんが俳優だったことも、しばらく知らなかったんです。」
「そうなんだ。シェイが俳優としての人生をまっとうした頃は、まだアンダリはこの世のどこにもいなかったから、アンダリの存在が報道されることもなかったんだよ。」
「そうなんです。」タットに続けて、再びアンダリが口を開いた。「お母さんは芸能界の人じゃなくて、普通の人だったから、私の存在が世間に知られることはありませんでした。
お母さんも女優とかだったら、スクープになってたかもしれませんけどね。」
「シェイが死んでから産まれたのか?」シャウィーは尋ねた。「とすると、あんた今、十七とか、十八くらいか?」
「ええ、十七です。もう少しで十八になります。」
「へえ。結構、大人っぽいんだな。もっと年上かと思ったよ。」シャウィーは自分より年上の者に向かって、友人に話しかけるような口調で言った。「俺、シャウィー。タットの弟。そっちの金髪の女はフィーダっていって、俺らの義妹。」
「義妹?」
「ああ。俺らの親が再婚してな。」
アンダリが、そうなんですね、と言いかけたそのとき、フィーダの冷たい声が部屋に響いた。
「なんで勝手に話すのよ。」
「あ? いちいちうるせえな。別にいいだろうが。」
「良くない!」シャウィーの声にかぶせるように、フィーダは怒鳴った。
フィーダのかたく握りしめた手が震えている。タットとアンダリは、こまったようにシャウィーとフィーダを交互に見た。
「なんなんだよ、お前。大体なあ、お前は細かいことを気にしすぎなんだよ。」
シャウィーはフィーダが怒鳴り返すことを覚悟でそう言ったが、フィーダはうつむいて、つぶやいただけだった。
「細かいことなんかじゃないわ。」
フィーダの眉が下がった。フィーダはさらにか細い声で、
「ちっとも、細かいことなんかじゃないわ…。」
と繰り返した。
タットとシャウィーは、拍子抜けしてフィーダを見つめた。気性の荒いフィーダのことだ、必ず怒鳴るだろうと思い、その金切り声に少し身構えていたほどだったのである。アンダリは自分がどうすればいいか分からず、落ち着かずに三人を見ていた。
それから突然、フィーダはタットとアンダリを押しのけて、階段を駆け上がった。まだ階段の途中に立っていたシャウィーは、「うおっ」と声を上げて手すりをつかんだ。
シャウィーが二階に向かって「お、おい!」と怒鳴ると、フィーダは自分の部屋である屋根裏部屋へと上がっていった。嵐のようなフィーダが去り、シャウィーはまだびっくりしながら、フィーダの文句を言った。
「全く。なんなんだよ、あいつ…。」
シャウィーとフィーダは、心底互いのことが嫌いなのだ。
「ごめんね、アンダリ。びっくりさせちゃったね。」
「いいえ、いいんです。」タットがアンダリの方を向いて謝ると、彼女は首を振った。「私がここにいたのが悪いんですし。いきなりで、驚いたんでしょう。」
そう言って微笑むアンダリを見て、シャウィーは一瞬、胸が高鳴るのを感じた。なんて穏やかで、素敵な笑顔の女の子なのか…。
「そう言えば、アンダリ。」タットが言った。「今日は泊まっていかない? もう外も暗いし、今日は両親は帰ってこないし。」
アンダリは、え、と少し驚いてタットを見た。そして、またあの柔和な笑顔を浮かべ、穏やかに答えた。
「いえ、そんなの悪いです。それに、ほら…フィーダは、私のことが嫌いでしょうし。」
「いや、そんなのいいよ。」
そのとき、なぜかシャウィーが口を挟んだ。タットもアンダリも、驚いて階段の上のシャウィーを見た。
「あんな女のこと、気にすんなよ。あんたが帰ろうとここにいようと、あいつはどうせ部屋から出てこねえからさ。タットの言う通り今日はもう暗いし、ここに泊まっていきな。」
シャウィーの熱心な口調に、アンダリはパッと笑顔になった。
「分かりました。じゃあお言葉に甘えて、今夜はここにいさせてもらいます。」
その途端に、シャウィーもパッと笑顔になったのを、タットは見逃さなかった。
「あの、お手洗い借りてもいいですか。」
「いいよ。すぐそこの扉だよ。」
タットが教えると、アンダリはお礼を言い、トイレへと消えていった。
タットはシャウィーの首に腕を回すと、「弟よ。」と少しふざけた口調でささやいた。
「なんだよ、気色わりいな。」
「夜に家に女の子が来たからって、変なことしちゃだめだぞ。」
「しねえよ! 俺にはそんな度胸ねえもん。」
シャウィーは言って、眼鏡をクイと押し上げた。
「でもあの子、可愛いよな。」
「なに、一目惚れか? お前も隅に置けねえなあ。」
「ちげえよ! ただ可愛いと思っただけだよ。俺はああいう穏やかなのが好きなんだ。どっかの誰かみてえに、怒ってキーキーわめいて、部屋に閉じこもったりしねえもん。」
シャウィーの言葉に、タットはじろりと彼をにらんだ。
「それって、誰のこと?」
「さあな、誰だろうな。心当たりがあるんじゃねえか。」
シャウィーの小憎たらしい顔に、タットはさも不満そうにため息をついた。
屋根裏部屋では、フィーダが布団をかぶって、ぶつぶつとひとりごとをつぶやいていた。
「私は信じないもん、あいつはシェイの娘じゃないもん。私は信じないもん、シェイには娘なんかいないもん…。」
そして布団から顔を出し、壁に貼られている、半分に引き裂かれたシェイのポスターを見つめた。
「ねえ、そうだよね。シェイ…。」
顔が右片方しかないシェイは、フィーダの問いに答えず、ただ微笑んで、黙ったままでいる。
〜第4章へ続く〜