こんにちは、あすなろまどかです。
今回は、小説「クリムルーレの花」第5章です。
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返事はない。
今日もまた、何かの音楽が流れていた。
はしごに足をかけてのぼってゆくと、音は大きくなってくる。今日の曲は、ケニー・ロジャースの『The Gambler』だった。
もう1度、フィーダ、と呼びかけ、タットは屋根裏部屋に顔を出した。
フィーダはいなかった。
「おかしいな。音楽が流れてるから、いるはずだと思ったんだけど。」
ひとりごちながら、部屋に上がる。ちょっとお邪魔するね、とつぶやくと、シェイ=キャンコロトンのポスターが貼られていた壁を見た。
しかし、シェイのポスターは剥がされていた。しみひとつない真っ白な壁に、ポスターを貼ったときに使ったピンクのテープが、少し残っていた。
タットは、何となく胸騒ぎがした。急いで部屋を出ると、玄関に走り、ドアノブに手をかけた。
「あら、どこへ行くの、タット。」
テーブルで雑誌を読んでいたラチルドが、何やら急いでいるタットに尋ねた。
「あ、ママ。フィーダ、見なかった?」
「フィーダなら、さっき、ベル・フラワーフィールド(美しい花畑)に行くと言ってたわよ。」
ベル・フラワーフィールド、とタットはつぶやいた。何となく、シェイのポスターとアネモネの花を大事に持ち、ナイフで自分の胸を刺そうとしているフィーダの姿が頭に浮かんだ。タットは初めて、母にありがとうも行ってきますも言わずに、家をとび出した。
ラチルドは驚いて、扉を見つめた。何となく立ち上がる。今日の息子は普通ではない気がして、ラチルドは不安げに、息子の名をつぶやいた。
タットは走った。風のように走った。小道を抜け、川にかかった橋を越え、ベル・フラワーフィールドにやってきた。色とりどりの花の香が立つ中に、天使のような黄金の髪の少女が、うなだれて座っていた。
「フィーダ!」
タットはフィーダの元へ駆け寄った。フィーダは何も言わない。
「フィーダ。良かった、見つかって。」
フィーダは、やはり何も言わない。青白い顔で体育座りをし、遥か遠くの山々を見つめている。
「大丈夫? フィーダ。何かあったら…」
言いかけた言葉が途切れ、タットは息を呑んだ。フィーダの足元には、まっぷたつに引き裂かれたシェイのポスターがあった。その上には、手折られた青紫色のアネモネと、白色のアネモネが置かれていた。シェイは、ふたつの美しい色の下で、いつもと変わらぬ微笑をたたえている。その笑顔は、ポスターと同様、ふたつに引き裂かれている。
「半分、捨てるつもりなの。」
不意に、フィーダがぽつんとつぶやいた。
「シェイの半分は、白いのと一緒に、ここに置いていく。もう半分は青紫のと一緒に持って帰って、また部屋に貼るわ。」
タットが何も言えずにいると、突然、フィーダがタットを見上げた。その花のような美しさは数日前と何も変わらなかったが、青白い顔は悲しみにあふれ、海色の瞳は絶望に満ちていた。
そして、また突然、フィーダは立ち上がった。
「帰りましょ。もうじき雨が降るわ。」
タットが空を見上げると、今にも雨が降り出しそうな、どんよりとしたねずみ色をしていた。フィーダは少し考えて、シェイの顔の右側を手に取ると、青紫色のアネモネを拾い上げた。
フィーダは家の方角へ足早に歩きだした。タットはシェイのポスターを振り返り、しばらく見つめていたが、やがてフィーダを追って、ゆっくりと歩き始めた。タットたちが家に着く頃には、どしゃぶりの雨がサリースペンスを襲っていた。
シェイの爽やかな笑顔は、降りしきる雨に打たれ、土に汚され、やがてどろどろに溶けてしまった。
<作中に登場した楽曲>
The Gambler
ケニー・ロジャース
本作のヒロイン、フィーダが大好きな曲です。