こんにちは、あすなろまどかです。

 

 

 今回は、小説「クリムルーレの花」第4章です。

 前回の第3章はコチラ↓

 
第4章 部屋
 
「フィーダ。」

 タットは、歩いていた。霧のかかった、不気味な森の中を。

 

「フィーダ!」

 愛するフィーダを探して。

 

「フィーダ! どこにいるの?」

 

 すると、葉の茂みから「ここよ。」という、か細い声が耳に届いた。

 

「そこにいるんだね、フィーダ! ああ、良かった。」

 

 タットが葉の茂みをかき分けていくと、美しい黄金の髪の少女が、タットに背を向け、深くこうべを垂れて座っていた。タットは、もう1度フィーダの名を呼んで、1歩前に出た。

 

「ねえ、フィーダ。大丈夫?」

 

 タットがフィーダの肩に触れようとした、そのときだった。

 

 フィーダが振り返った。しかし、そこに健康的なバラ色の頬はなく、痩せこけた青茶色の肌の鬼のようなフィーダが、裂けた口を耳まで吊り上げて、ニタニタ笑っていた。

 

 タットは、声にならない悲鳴を上げて後ずさった。足元のツタのつるに足を取られ、尻もちをついてしまう。そのまま腰が抜けて、動けなくなってしまった。

 

 鬼のフィーダは、じりじりとタットに近付いてくる。

 

「や、やめて…フィーダ。君に、何にもひどいことはしない。だからお願い…た、食べないで。」

 

 フィーダは、まるで聞いていない。相も変わらず、ゆっくりと、着実に、タットとの距離を縮めてゆく。

 

「フィーダ…。」鬼の唇からこぼれたよだれが、タットの靴に落ちる。

 

「フィーダ…やめて…。」鬼は舌なめずりをして、タットを見つめる。

 

「やめて!」

 何とか立ち上がった瞬間、

 

 

 

「…あれ。」

 タットは、自分のベッドに起き上がっていることに気が付いた。

 

 夢か、と、タットはつぶやいた。昨日、屋根裏部屋から移したいくつかの荷物が、ドサドサと音を立てて崩れた。舞い上がるほこりに、せきやらくしゃみやらをしながら、タットは部屋を出た。

 

 

 

 その朝、トーストを食べながら、タットは元気がなかった。

 

 あんな恐ろしい夢を見てしまったのは、昨日のベル・フラワーフィールド(美しい花畑)で、フィーダが「1番の幸福は、狂人でいること」と言ったせいだろう。

 

 フィーダの言う『狂人』とは、一体どんなものなのだろう。朝食の間じゅう、そればかりをぐるぐると考えていたため、タットはトーストの味も分からず、心配そうにタットの名を呼ぶラチルドとケットの声にも気が付かなかった。

 

 

 

 その日の昼、タットは屋根裏部屋に向かった。フィーダに呼ばれたのだ。

 

 タットが整理した屋根裏部屋は、フィーダの部屋となった。ケットは、以前タットの父親が使っていた部屋をもらうことになったのだった。

 

 屋根裏部屋にのぼるはしごに近付くと、何やら音楽が聴こえてきた。のぼってゆくたび、音は大きくなってゆく。はしごをのぼり終える頃には、それはクリント・イーストウッドが歌う『Beyond The Sun(太陽の向こうに)』だと分かった。

 

 フィーダは背を向けて、窓の外を見つめていた。着ている青紫色のワンピースは、まるでアネモネの花びらのように美しかった。

 

 タットは、そっとフィーダの名を呼んだ。フィーダが、ゆっくりと振り向く。

 

 美しい頬と瞳、まばゆいばかりに輝く金色の髪。今朝の夢に出てきた、恐ろしいフィーダではなかった。タットは何だか妙にほっとして、10も年が若返るようだった。

 

「来てくれたのね。」

 部屋に入ってきたタットを見て、嬉しそうにフィーダが言った。

 

 うん、とうなずいて、タットはフィーダのそばに並んだ。窓の外には、イエローサルタン色の太陽が浮かんでいた。

 

「私ね、好きな俳優がいるの。」

 少しして、フィーダがぽつんと言った。

 

「そうなの?」

 

 

「ええ、たくさん。

 

 クリント・イーストウッドでしょ、ジャン=ポール・ベルモンドでしょ、アラン・ドロンでしょ。

 

 それにトム・クルーズ、ジョニー・デップ、アーノルド・シュワルツェネッガー。

 

 最近は、もうティモシー・シャラメに骨抜きなの! ほんと、カルシウム不足って感じよ。

 

 でもね、昔から1番好きなのは、あの人なの。」

 

 フィーダは窓に背を向け、部屋の壁に貼られた1枚のポスターを指さした。タットも、壁のポスターを見た。

 

 それは、昨夜フィーダが貼り付けた、俳優のポスターだった。

 

 シェイ=キャンコロトンだ、とタットはつぶやいた。

 シェイ=キャンコロトンは、1980年から1988年まで活躍した俳優だ。

 

「ずいぶんと、古いものが好きなんだね。」

「まあね。レトロなものとか、結構好きなの。」

 

 フィーダは、シェイを指さしていた右手を下ろした。と、同時に、『Beyond The Sun』が終わった。

 

 フィーダは、しばらく無心でシェイを見つめていた。今のフィーダの心の中には、シェイしかいないような気が、タットはした。

 

「この人、17年前に亡くなっちゃったよね。まだ20歳だったのにね。」

 

 タットが言うと、好きなものの話をして、明るくなっていたフィーダは、突然だまりこんでしまった。フィーダが返事をしないので、タットはハッとした。フィーダの好きな俳優の死の話をしてしまったから、怒ったか、落ち込んだかしたのではないか?

 

「ご、ごめん。好きな人が亡くなった話なんか、されたくないよね。」

 

 タットは、あわてて謝った。そして、亡くなった父のうわさをしている人を思い浮かべ、嫌な気持ちになったので、タットはますますあわてた。フィーダに、ひどいことをしてしまった。

 

 少しの沈黙があり、フィーダは少し低い声で「いいの。」と言った。そして、シェイ=キャンコロトンのポスターを見つめた。

 


「そう。死んだのよね。もういないのよね、シェイは。」 

 

 フィーダの声には、今まで聞いたどんな言葉よりも、深い悲しみと苦悩が詰まっている気がした。

 


 タットが何も言えずにいると、フィーダは黙ってはしごまで行き、降りようとした。が、何かを思い出したらしく、「あ。」と言って、タットに向き直った。

 

「今日は来てくれてありがとう。嬉しかった。」

 

 フィーダは笑顔を見せたが、何だか無理やりつくったようで、元気がなかった。心なしか、先ほどよりも頬が青白い気がした。

 

 タットは、また何も返すことができなかった。まるで、のどにコルクでも詰まったようだ。

 

 フィーダは、はしごを降りていった。タットはひとり、部屋に残された。

 

 タットは、スターの貫禄あふれる微笑みをたたえたシェイ=キャンコロトンを、いつまでも見つめてぼうっとしていた。

 

 

 

 

 

<作中に登場した楽曲>

 

Beyond The Sun(太陽の向こうに)

クリント・イーストウッド

 

 

 本作のヒロイン、フィーダが大好きな曲です。