こんにちは、あすなろまどかです。
今回は、小説「クリムルーレの花」第3章です。
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「ごめんね、タット。」不意に、言葉をこぼすように、ケットが言った。「親の事情で、突然押しかけてきて、家族が増えたりして。しかも、あんなに気性の荒い娘で…。」
「ううん。大丈夫だよ、ケットさん。」タットは、微笑んで首を振った。「フィーダとケットさんが家族になるのは、前々から分かっていたことだから。フィーダとシャウィーは、きっとまだ新しい環境に慣れてないんだよ。来てから、ほんの1時間くらいしか経ってないもん。」
ラチルドとケットは、優しいまなざしをタットに向けた。
「ああ、タット。」
「ラチルドさんが言ってた通りだ。なんて心優しくて、思いやりがある子なんだろう。」
2人に褒められて、何だかくすぐったくなったので、タットは席を立った。
「僕、ちょっとフィーダとシャウィーを見てくるよ。心配だし、僕が2人を会わせたら、仲直りさせられるかもしれない。」
「シャウィーは、メルおばさんの所にいるんじゃないかしら。あの子は家出したら、すぐ、おばさんの所へ行くんだから。」ラチルドが言った。メルは、ラチルドの前夫の妹、メルヘルスの愛称である。「フィーダがどこにいるかは、ちょっと予想がつかないけれど。」
タットはドアノブに手をかけ、明るい表情で振り返った。
「じゃあ、フィーダを探してくるよ。ママとケットさんは、ゆっくりしてて。これから夫婦になるんだから、家の中で、2人きりで過ごすのはとても大切だと思うよ。」
てきぱきと喋り終えると、「じゃ、行ってきます」と外へ出ていった。
「あの子は可哀想だね。」ケットが、ぽつんとつぶやいた。「あんなに人に気を遣って。」
「あら、可哀想なんて思わないでくださいな。」ラチルドが、ちょっと強い口調で返した。「あの子は、人のためになることが自分の幸福なのよ。そして、それは人間にとって、1番理想の幸福の形だわ。」
ケットは微笑んで、そっか、とつぶやいた。
タットは小道を走り抜け、川にかかった橋を越え、ベル・フラワーフィールド(美しい花畑)にやってきた。色とりどりの花の香が立つ中に、天使のような黄金の髪の少女が座っていた。
「フィーダ!」
タットはフィーダの元へ駆け寄った。フィーダは、不機嫌そうな目でタットを見た。
「フィーダ。良かった、見つかって。」
「何よ。」
フィーダの無愛想な声は気にせず、タットはフィーダの視線の先を見た。フィーダは、美しい花々に囲まれて、その幸福を味わうように、かおりや色をからだ全体で感じているように見えた。
「お花、好きなの?」
「ええ。美しく、気高く、空に向かって咲きほこる。私の目指す未来よ。」
「きっとなれるよ。フィーダなら。」
「当たり前でしょ。分かりきってること、言わないでよ。」
タットは笑いながら、「ごめん、ごめん。」と謝った。フィーダほど勝気で、わがままで、しかし前向きに生きている女の子は、これまでの人生で見たことがないと、タットは思った。
「…謝るのは私の方だわ。」
突然、フィーダは申しわけなさそうにつぶやいた。一瞬、彼女の自信もわがままも、何もかも、かき消えてしまったので、タットは大いに面食らった。
「ごめんね、きつい言い方ばかりして。」フィーダは続けた。「でも、昔からどうしても、この悪いくせが治らないの。」
その弱々しい姿に、タットの気分はすっかりほぐれた。
「気にしなくていいんだよ。誰にでも、苦手なことはあるよ。君の場合、それがたまたま、優しく声をかけることだってだけだよ。」
フィーダはタットを見つめて「ありがとう。」と微笑んだ。彼女がそんな顔をするとは思いもよらなかったので、タットはどきまぎして、顔が真っ赤っ赤になってしまった。
「…ねえ、少し話してもいい? 私の昔のこと。」
フィーダが真面目な顔をして頼んだので、タットの顔の赤みも引き、真剣な顔になった。男はどんなときでも、惚れた女の頼みごとを断ることができない。このときのタットは、まさしくそんな「男」だった。
「もちろん、いいよ。」
タットがうなずいたので、フィーダは向こうにそびえる山々を見つめ、小さくため息をついてから、口を開いた。
「7年前、ママがパパと離婚して、家を出ていった。よく勘違いされるんだけど、そのことはまったく悲しくないの。ママは私とパパに暴力を振るってばかりで、ママのこと、大嫌いだったから。
問題はそのあとよ。「お前の家にはママがいないんだ。」って、クラスでいじめられたの。私はいじめてくる奴らを、みんなみんな、殴ったわ。クラスには他にもいじめられている子がいて、その子たちは泣いたり、学校に来なくなったりした。
私も泣きたかったし、学校なんか行きたくなかった。でも、そんなことをしたら、クラスの奴らに馬鹿にされるということも分かっていた。それだけはごめんよ! 馬鹿にされるのと、笑われるのは大嫌いなの。
どんなにいじめられても無視をして、学校に通い続けていたら、次第にいじめられなくなっていったわ。私は、たったひとりで打ち勝ったのよ!
それから私は、人と違うということに快感を覚えるようになった。クラスの中では浮いているけど、不登校児には絶対にならない、という経験をして、きっと、異彩を放つ者として生きることが好きになったのね。私は、自分が唯一無二の存在で、だから自分は人より上だと考えるようになったの。それで、あんたのようないい人にも、つい偉ぶった態度をとっちゃうのよ。誰にもなめられたくないんだもの。」
苦悩や怒りにまみれたフィーダの話が終わり、静寂がやってきた。タットはフィーダとともに、暗い気持ちになりながら、彼女を見つめた。
「…君みたいなすてきな女の子をなめるなんて、そんなことしないよ。
つらかったんだね、フィーダ。よくひとりで頑張ってきたね。ほんとうにすごいと思うよ。」
「当たり前でしょ。」
普段の調子を少し取り戻したフィーダが、つんとして答えた。だが、さっきの言葉たちよりも、それはずっとずっと優しかった。
「僕は気にしないからね、フィーダ。僕の前では、ほんとうのフィーダでいて、幸福になってね。」
「あんたの前じゃなくても、私はいつも自分らしくいるっての。」フィーダは、もうすっかり、いつもの調子を取り戻したようだった。「それから、こうして私らしく生きることが、私の幸福よ。」
タットは微笑んで、「そっか。」とつぶやいた。出逢って半日もしないというのに、タットはすっかりフィーダの虜であった。
フィーダは立ち上がると、お尻についた草を払い、メンセル家の方へと歩き始めた。タットもフィーダを追いかけて、歩きだした。
「ねえ、フィーダの幸福は、他にはないの?」タットは聞いてみた。「例えば、友だちをつくること、とか、そのう…恋人をつくること、とか。」
「そんなものないわ。友だちも恋人もいらない。人間なんて、みんな信じられないもの。」
タットは、また微笑んで、「そっか。」とつぶやいた。今度は、どこか寂しげだった。
「あ、でも。」
フィーダは突然立ち止まると、タットの方に振り返った。金髪が跳ねた瞬間、タットは世界が変わったのかと思った。海色の瞳の中には沈みゆく太陽が揺れており、ほんとうに美しかった。
「私らしく生きるのは、2番目の幸福だわ。」
フィーダの言葉に、タットは目を見張った。
「そうなの? じゃあ、1番の幸福って、一体なんだい?」
フィーダの瞳の中の太陽が、ぎらっと光った。
「狂人でいることよ。」