こんにちは、あすなろまどかです。
今回は、小説「真夏の陰鬱」第5章 & 第6章(最終回)です。
第5章 殺害
「ねえ」
ある日の放課後、セミの鳴き声がジリジリと響く暑い教室で、コウジがクルミに話しかけた。
「一緒に帰ろう」
コウジがその言葉を口にした途端、がやがやしていた教室は一瞬静まり、クラス全員が二人を見た。次の瞬間、全員がきゃあっと叫んだり、うわあっと嘆いたりしていた。
コウジもクルミも、よくモテるのだ。
クルミは、優しい言い方のコウジも、盛り上がって熱気を帯びるクラスメイトも無視して、いいわよ、と冷めた調子で承諾した。
二人が立ち上がって教室を出てゆくと、ケン以外のクラス全員が、この出来事について一斉にわあわあと話し出したので、教室は一気に騒がしくなってしまった。
「水沢くんあんなイケメンなのに、なんでクルミあんなに冷たいんだろ?」「しょうがないよ、クルミは自分を可愛いって自覚してるから、もっといい男じゃないと気が済まないんだよ」「でも水沢と関口って、おんなじくらい美形だよな」「俺もそう思う、なんか顔似てるし」「もしかして兄弟なんじゃね?」「えー?」
と、教室の扉がガラリと開いて、いつものように担任が入ってきた。
「おーいうるせえぞー。ホームルーム始めるから早く席つけー」「せんせー、水沢と関口帰っちゃいましたー」「えっ」
ケンは、一人うつむいていた。
「何の用なの、いきなりあんなことして」
通学路を歩きながら、クルミはつっけんどんに聞いた。クルミはわざと大股で、さっさと歩いている。コウジはその後ろを、ゆったりと歩いていた。
「そんな冷たい言い方ってないんじゃないかな。昔からの仲だろう?」
「質問の答えになってない」
コウジはため息をつき、分かった、と言った。
「君はケンに復讐したいんだろ」
コウジが言った途端に、クルミは突然足を止めた。コウジも足を止める。少し沈黙が続いたのち、クルミは振り向いた。
「何よ、いきなり」
「同じクラスの鈴本ケンに惚れて、一方的にアプローチしてるけど、彼は一切振り向かない。それどころか、忘れられない別の女の子を、いつまでも想っている…」
「やめて」クルミは、突き刺すように言った。「それ以上言うと殺すわよ」
「とにかく、君は鈴本ケンに愛されたかったのに、愛されなかったわけだ。だから彼を心の底から憎んでる。そうだろ?」
クルミが何も答えなかったので、コウジは続けた。
「だから僕は来たんだよ。君が悩みを抱えていたら、僕は無条件で君の元へ行かなきゃだから、ね」
ケンは、血濡れた自分の両手を見つめた。ハアハアと肩で息をする。
「鈴本、くん…」
アイは呟いて、若槻の死体を見下ろした。その瞳には、光がない。
「ありがとう、殺してくれて」
アイの言葉に、ケンは驚いて彼女を見た。
「お前も、嫌いなの?」
アイは無言でうなずく。
ケンは、先ほどのアイの言葉を思い出した。
「実は、シオリさんを殺したのは、若槻院長なの」
ケンは少し遠慮がちに、
「お前も、大切な人を殺されたの?」
と尋ねた。
「いいえ。でも、私と母を引き離した」
「殺されたってことじゃないの?」
「殺されたわけじゃないの」
しばらく、沈黙が流れた。
アイが何か言おうと口を開いたとき、クリニックのドアが開いた。
「やっぱり、」聞き覚えのある声が、ケンの耳に届いた。「ここにいたのね」
ケンとアイが振り向くと、そこにはクルミとコウジが立っていた。
「誰?」アイの質問に、
「学校の同級生」ケンは答えた。
クルミが、つかつかとケンに近付いてきた。
「ケン、知らないことがたくさんあるようね」クルミは、少し冷たい声で言った。「教えてあげるわ。色々と」
第6章 真実
「ケン、知らないことがたくさんあるようね。教えてあげるわ。色々と」
クルミの言葉に、ケンは彼女を見た。
「俺の、知らないこと?」
「まず第一に、」クルミは大きな声で言った。「シオリを殺したのは、若槻じゃないわ」
ケンとアイは、驚いて顔を見合わせた。
「そんなはずないわ」アイは言った。「若槻院長は、自分でシオリさんを殺したと言っていたのよ」
「そう、実際に殺したのはね。でも、若槻がシオリを殺したのは、仕方のないことだった。原因は別の人物にあるの。その人物が、シオリを間接的に殺したのよ」
ケンはクルミを見つめた。ケンの首筋に、嫌な脂汗が滴る。
「その人物っていうのはね、ケン、あんたよ」
ケンは、驚いて立ち上がった。
「何言ってんだよ!俺がシオリを殺すわけねえだろ!デタラメ言うんじゃねえよ!」
「事実よ」クルミは容赦なく断言する。「あんたは、事実を受け入れる心を持つべきだわ」
アイが、一歩前に出た。
「なぜ、そう断言できるの」
「見たからよ」アイの質問に、クルミはすぐに答えた。「あのね、ケン。若槻はあんたの父親なの」
「何を言ってるんだ?」
ケンは顔をしかめる。
「若槻はあんたの母親と結婚したけど、同じくらいの時期に、他の女性と不倫をしていたの。それを知ったあんたの母親は-----まあ、メンタルの弱い人だったから-----ショックで自殺してしまった。あんたはしばらく父親の若槻と暮らしてたけど、母がいないことで、あんたは次第にやさぐれていった。そしてある日、あんたは若槻の実験室に入ったの。若槻は犯罪者で、色んな薬物を調合して、恐ろしい薬をたくさん作っていたのよ。あんたはそのうちの一つの薬を手に取り、嫌いな父を毒殺しようと、若槻のティー・カップに入れた。若槻は知らずにそれを飲んだけど、あんたが入れたそれは、飲んだ人間を凶暴にする薬だったの。若槻は凶暴化し、ちょうど家の庭にいたあんたの彼女を――」
そこでクルミは唇を結び、ケンを見た。ケンの目の下には、クマがあった。
「鈴本くん、シオリさんと一緒にいなかったの」
「飲み物を買いに行ってたんだ」
アイの問いに、ケンは震える声で答えた。
「私も、鈴本くんの本当の父親は、若槻院長だって知ってたの」アイは静かに告白した。「そして、私の実の父も、若槻院長」
「え?」
ケンは顔を上げて、アイを見つめた。
「さっきその女の子が言ったように、」アイが、クルミを見て言った。「若槻院長は不倫をしていたわ。その相手が、私の母親だったのよ。若槻院長と私の母がセックスをした結果、私という無駄な命が産まれたの。母は私を捨てた。今は、五十嵐さんという優しい女性に育てられているの。
…でもね、院長も私たちに、少なからず申し訳ないと思っていたのよ」と、アイは若槻を擁護した。「院長が私たちを同じ診察室に入れたのは、一度、家族みんなで過ごしたかったからよ」
「じゃあ、」アイの後半の発言は無視し、ケンは食い入るように尋ねた。「五十嵐は本当の苗字じゃないの?」
「ええ。あなたの本当の苗字も、鈴本ではないわ。鈴本は、今あなたを育ててくれてる夫婦の苗字」
「そんな…じゃあ、俺がずっとお父さんとお母さんだと思ってた人は…」
「赤の他人よ、若槻くん」
ケンは絶句し、目を見開いた。
「で、でも、でも…シオリが死んだのは俺らが十三歳のときだ。三年前だ。俺は十三年間、三年前まで若槻と二人で暮らしてて、奴のことを覚えてないってのか。おかしいじゃねえか」
「彼は君を保護施設に入れるとき、君の脳を手術して、彼の記憶を君の脳から消したんだよ」コウジが言った。「そういう出来事を全て、僕とクルミは見ていたんだ」
「さっきから見てたとか知ってるとか、どこから見てたんだよ! 俺らのストーカーなのか!?」
「ストーカーじゃないよ」泡を飛ばす勢いのケンに、コウジは落ち着き払って答えた。「僕とクルミは、天国からの使いでね。君らが知っているところでは、神に一番近い存在だ」
ケンとアイは呆然として、神、と呟いた。
「そうよ。コウジの本当の名はコルロ。そして、私の本当の名はクローディ=アンダリ」
「僕らは、普段は人間として、この世界で生きているんだ」
クルミ、否、クローディは、ケンを睨んだ。
「あんたが私を愛したら、シオリを生き返らせてやるつもりでいたのに」
「ほ、本当!?」ケンはクローディに飛びついた。「なあクルミ、いや、クローディ様、今まであなたの好意を冷たくあしらって、本当にすみませんでした! 愛しています、クローディ様! どうかシオリを帰してください!」
喉も破れんばかりに叫んで土下座したケンを、クローディは冷めた目で見下ろした。
「真実の愛でなきゃ人を帰せないのよ」
クローディの、短いが鋭利な、ナイフのような一言に、ケンは絶句した。ケンは懇願するようにクローディを見上げたが、彼女の瞳は氷のように冷たく硬かった。ケンは、もうシオリが戻ってこないことを悟った。
土下座の姿勢を保ったまま、ケンは再びうつむいた。涙が次から次へとあふれてきて、質素な床がぐにゃりと歪んだ。
ケンは自分の両手に顔を埋めて、延々と激しく泣き続けた。そんな彼を哀れみの目で見つめるアイと、ただの人間たちを無情な目で見下ろす二体の神、コルロとクローディがいた。