こんにちは、あすなろまどかです。
今回は、エッセイ「あすなろの木」第11話です。
一応、前回の第10話が最終話だったんですけどね…^^;
やっぱり、また書きたくなりました。
1話完結型のエッセイなので、第10話を読んでいなくても大丈夫です。
一応、前回の第10話はコチラ↓
第11話 馬鹿げた1年間
いまから約1年前の話になる。
そのとき私は高校1年生になったばかりで、15年間一度もできたことのない、「恋人」という未知の存在を手に入れたいと願っていた。どの女子高生も考えそうな、ありふれていて馬鹿げている願いである。
ところがどっこい、私は重度の人見知りで、オマケに吃音持ちと来た。デートの誘いもできないようじゃ、そんな人間は引きこもりかストーカーになるだけだ。
そんな馬鹿げた空想にばかり身をよじっていて、授業や勉強の苦痛を考えることを、私はすっかり忘れていた。
前述した通り、私は吃音持ちである。軽度ではあるが、日常生活に支障がないとはとても言えなかった。一度どもってしまうと、負のループのようなものにはまってしまい、口を開いても何も話せなくなる。
そんな中で、コミュニケーション英語の授業が始まった。記念すべきコミュ英の授業第1回目は、まさに地獄のようだった。
隣の席の人とペアを組んで、交互に英文を音読するという授業なのだが、私の隣の席の男子が、そりゃあもう怖いのだ。
口を開けば人の悪口か学校の文句を垂れ流す男が、ジャックナイフのような鋭い瞳で、どもって音読できない私を切り裂いてくる。私が何も言えないまま時間だけが過ぎてゆき、時々、その恐ろしい男子が「ハア」と大きくため息を吐く。
私の体はブルブルと小刻みに震え始め、しまいには状況を察した教師がコチラにやってきて、私の代わりに英文を音読するという始末だ。全く情けない光景が、週に2、3回、教室の同じ場所に広がる。私にとって拷問のような時間だったが、彼にとってもあの授業は拷問だっただろう。
そんな日々が何ヶ月か続いたのち、転機が起こった。それはずばり、席替えである。恐ろしい男子とようやく離れられる、と思うと、私は天にも昇る気持ちであった。彼も、その気持ちは同じだっただろう。
というわけで、私と彼の席は離れた。ああ、良かった。ほっとしながら彼をチラ、と見ると、私は少し驚いてしまった。
恐ろしいので、今まで彼をまともに見たことがなかったのだが、離れて見てみると、結構かっこいいのである。もちろんコロナの影響でマスクを付けているので、素顔は見えない。ただ雰囲気というか、オーラというか、彼をかっこいいと思わせる何かが、彼のそばにあることに気付いた。それに気付いてからは、彼のことを目で追わない日はなかった。
そして、このころの私は、ビートルズにハマっていた。ビートルズのことを考えない日はなかった。毎日毎日、CDを流し、ユーチューブを見、彼らに思いを馳せていた。
だから、だろう。例の恐ろしい男子が、私にはジョン・レノンに見えて仕方がなかった。彼は目が悪いようで、いつもメガネをかけており、不良っぽい制服の着こなしや行動をいつも心がけているようだった。メガネを外すと、それはそれで若き日のジョンに似ているのだ。オマケに、彼の自分語りを耳にしたとき、彼がギターの練習をしていることも知った。
さて、そんなジョンそっくりの男の子を知って、彼に興味を持たないビートルズ・ファンの女子がいるだろうか?いや、いない。それゆえ私は彼に興味を持った。星にまで願って離れたいと思った男子だったのだが、今度は彼と仲良くなりたい、彼の恋人になりたい、と願い始めてしまった。ワガママと夢見がちにもホドがある。
さて、そんなどうしようもない私は、どうしても彼に近付きたいという気持ちが抑えきれず、とうとう彼に話しかけてしまった。
うちの高校は、美術科選択か音楽科選択に分かれている。私と彼は同じ美術科だったので、美術の授業の際、こう聞いたのだ。
「こ、こ、この絵、ど、ど、どうかな?」
私の手に握られていたのは、自作の、ただの廊下が描かれた紙だった。席も近くないのに、親しくない女子が突然どもりながら廊下の絵の感想を聞いてきたら、どんな男子でも戸惑うだろう。私は女子だが、それくらいのことは分かる。そして彼は案の定、戸惑って私の廊下を見つめた。
「えっと…奥行きが…あるね…」
それが、彼の率直な感想であった。このときになって、馬鹿げた行動に出てしまったとようやく気付いた私は、
「そ、そう見える?あ、ありがとう、ありがとう、ウン…」
とか何とか言いながら、そそくさと自分の席に戻っていった。相手の男子も大いに拍子抜けし、「ウン…ウン…」と、場を気まずくさせるのに最適なあいづちを打った。
私は恥ずかしさにより、心の中で穴を掘っていた。本当に掘れたらぜひ入りたいものだ、と考えながらも、私は先ほどの彼の表情を思い出していた。
いつもマスクの上のジャックナイフしか見ていなかったものだから、初めてそれ以外の表情を見て、何だか驚いてしまった。ことに、いつも自信タップリで不良っぽく歩いている彼の、困惑した表情を見たのは初めてで、私も大いに困惑した。と同時に、「チョット可愛かったな」なんて思った。
何だか余計に恥ずかしかった。
それからも、私は何度か彼に話しかけた。
「こ、この絵どうかな?」
「さ、さっきの物理の授業で、わ、分からなかったところがあるんだけど…」
「こ、この提出物の期限って、い、いつまでだっけ?」
全てのセリフがどもっているので締まらないが、とにかく私は彼に話しかけ、そして質問した。
私はヤケクソ気味であった。学校で、彼に物理だの化学だのを教えてもらうために、必死に問題を解いた。いつも分からないところはホッタラカシの私が、解けない問題をピックアップするなど、真冬の北海道に雪が積もっていないくらい珍しいことだ。
彼は不良ぶって突っ張ってはいるが、どうやら地頭は良いようで、教師たちからも好かれていた。
自分から話しかけるようになって約2ヶ月が経った頃、私の努力は少しずつ実り始めてきたようだった。彼から私に話しかけることが増え始め、会ったら挨拶を交わしたりするのが当たり前になっていった。(本来は、挨拶は当たり前にするものなのだが…。)ジャックナイフは、しまわれていることが多くなった。
そしてある日のこと、美術部の私は、いつものように美術室で絵を描いていた。部員はもう1名いて、それは同じクラスの男子だった。彼は、私の想い人の親友である。ウソみたいだが、たまたまなのだ。私が私でなかったら、そんな出来すぎた話は信用しなかっただろう。
歪んだ線を消しゴムで消そうとしたところ、美術室の扉がノックされた。すると、私の想い人の親友(面倒なので、以下「親友クン」と書く。)が、驚きの声を上げた。気になって、私も扉に近寄ると、扉の向こうに彼が立っていた。私の好きな、ジョンにそっくりの、あの彼である。
親友クンが扉をガラリと開けると、彼は、まるでずっと前から部員だったように、何の遠慮もなく教室に入ってきた。私はあっけにとられていて、赤くさえもならなかったのだが、しばらくすると、ようやく事態を呑み込んだ。
「何だよ、お前。どうしたんだよ」
「何だよ、うるせえな。来ちゃダメかよ」
もしも「逆ギレ」という言葉を説明する機会があったら、私はこの2人の会話を例にあげるつもりでいる。
親友クンが彼に尋ねると、どうやら彼は「チョット暇だから」ここに来たらしい。何とも身勝手な理由に圧倒され、私たち2人は、彼を追い返すことができなくなった。
それに、美術部の顧問は気さくな女性で、身勝手な彼に気付いても、追い返すことなくイスをすすめた。美術の先生というのは、なぜこんなにも寛容なのだろうか。
よく分からないが、とにかく彼と話す時間ができたということである。私は描きかけの絵のことなどキレイさっぱり忘れ、彼と親友クンと、3人で談笑を始めた。私は相変わらず、どもるばかりだったが、2人ともそのことを気にしなかった。入学当初、私のことを恐ろしい目で見ていた彼は何だったのだろうと、拍子抜けするほどだった。
その1週間後、彼は美術部に入部した。部活がある日の放課後は、もちろん3人で過ごすことが多くなった。チョット怖いほど、彼との距離が縮まったので、少し気味が悪くなってしまった。
何度か、駅までの道を3人で歩いたりもした。私は普段チャリで通学しており、残り2人はいつも電車で通学している。私は雨の日のみ電車で通学するので、そのときに3人で帰ったのだ。
と言っても、駅まで来たらお別れである。2人は同じ電車に乗るが、私の住む街は反対方向だ。それまで、くだらないことを大人ぶって語り合ったりした。
3人とも揃いも揃ってインドア派ということが、かなり早い段階で分かったので、話はもっぱら美術だの音楽だののことだった。最も頻繁に行われたのは、最近読んだ本や漫画のタイトルの共有だ。くだらないことこそ最高に楽しいのだと、思い知らされた出来事である。
ところが、そのころから私は違和感を抱き始めた。「なんか、思ってたのと違う…」ということである。私のワガママが、また始まったのだ。
気持ち悪いので違和感の正体を突き詰めてみると、私が彼を「ジョン・レノンだと思っていた」ことが、どうやら原因のようだ。
思えば、私が彼を好きだと思うときは、いつもジョンに似た仕草や言動を見せたときだった。彼ばかり見つめているようで、実は空の上のジョンを見ていたのだ。彼がジョンらしくない言動をチラつかせると、私の一瞬盛り上がった気持ちは一気に冷めてしまった。
それに気付いたときの虚しさと言ったら、もう説明できないほどである。ずっとこんな調子じゃ、いつまで経っても恋愛などできないということを、思い知らされたのだ。
彼が私に好意を持っていたか、真相は永久に闇の中だが、少なくとも、全く興味を持っていないわけではなかった。それは確かである。ということは、私が彼を全く振り回していないかと問われると、そんなことは全然ない。むしろ大いに振り回しただろう。
それなのに、彼に対して申し訳ないという気持ちが1ミリも浮かんでこないとは、一体どういうことだろう。答えは簡単で、私があまりに冷淡だからである。これは間違いない。でなければ、彼への申し訳なさで胸がいっぱいになりながら、涙を流すはずなのだ。私がこの半年間、涙を流していないという事実が、私の冷酷さというか、愚かさを示唆している。
全く、くだらない1年間であった。
しかし、非常に楽しい1年間でもあった。
そう、くだらないことこそ、最高に楽しいからである。
(おしまい)