こんにちは、あすなろまどかです。

 

 

 今回は、1話完結の小説「ジキルハイド」第3話です。

 

 今回の話は、ビートルズのジョン・レノン暗殺事件と、「ライ麦畑でつかまえて」という小説の内容を知っていると、より楽しめる話です。

 

 前回の第2話はコチラ↓

 

○登場人物(飛ばしてくださっても大丈夫です!)

 

ジキル・ハイド

 

 ステーィヴンソンの有名小説「ジキル博士とハイド氏」にのっとってこう呼ばれる。

 

 いつでも腹ペコな男…全てを飲み込んでゆく不思議な男。颯爽と現れ、颯爽と闇に消えてゆく…それがジキル・ハイドという男。言葉遣いは時たま昭和に帰るが、基本はアメリカン・スピーキングである。

 

 彼はマイセルフ・パワー・オブ・ライヴでいることを、トコトン好く男なのだ。カッコウいい男なのだ。女を口説くその裏で、根性のないヤツらは容赦なく殺す。

 

 彼は生きる。永遠に生き続ける。この世に自分がいる限り…!

 彼はジキル・ハイドである。


 


 

男原 嬢(なんばら じょう)

 

 「男原 嬢」…本名か、偽名か…?

 

 己の信ずる道をゆく…最も男らしい男。ジキルが信頼する数少ない人間のうちの1人である。彼は男を具現化した男だが、その瞳は女のように艶かしく輝く。その光は、時にあのジキルをも惑わせる。

 

 人間らしいが、らしくない…そんなアンバランスな心が、魅惑的な色気となって踊っている。彼を照らすサーチライトがあるならば、それは妖しいヴァイオレットと人は言う…!

 

 彼は男原嬢である。


 


 

境 リコ(さかい りこ)

 

 現代のクレオパトラ、境リコ。

 

 これが本名か分からないという、謎の美女である。あらゆる名を駆使してその正体を隠し、人類に秘密をもたらすスーパー・ウーマン。

 

 美しい髪、黒真珠のような高貴な輝きを放つ瞳、高いヒール、全ての男を魅了するボディ・ライン、膨らんだ高級な胸。色っぽく柔らかい、とろけるようなその声で敵を誘い、次の瞬間には地獄へ落とす恐ろしい女…!

 

 彼女は境リコである。


 

 

 

第3話 ライ麦畑の少年
 

 ジキル・ハイドと男原嬢は、とある街をブラブラと練り歩いていた。すると向こうから親子連れが歩いてくるのを見て、ジキルは駆け寄った。


 ジョウが追いつくと、それは親子連れでないことが分かり、彼はチェッと舌打ちをした。母親だと思っていた女は、境リコだったのだ。


「よう、リコさん。そのガキは誰だい?」ジキルは尋ねた。

「太郎よ。さっきそこで会ってデートのお誘いを受けたので、それに応じてるの」


 リコの答えに、ジキルは見下すようにガキを見下ろした。


 太郎というその子供は、わずか10歳ほどの、いかにも未熟で生意気そうな少年だった。黒い巻き毛の下から、彼はバカにするようにジキルを見上げた。 


「こんにちは、おじさん」


 太郎の挨拶には、深い軽蔑がこもっていた。シャクに障ったジキルは彼を無視し、リコを見た。


「オイ、リコ。このガキ、ちょっと借りていいか?」


「借りるって…どうするのよ」


「いや、チョットな。太郎と散歩しようと思ってね」


 リコと太郎は、顔を見合わせた。


「分かった。おじさんとデートする」

 意外にも、太郎は素直にうなずいた。断られると思っていたジキルはキツネにつままれたような顔で太郎を見つめたが、その頃にはもう、太郎はジキルの手を取って歩き出していた。


「じゃあねー、リコさん」

 手を振りながらジキルと去ってゆく太郎を、ジョウとリコはぽかんとして見送った。


「ジキルは、なんで太郎と散歩なんかしたがったの?」

「俺に聞くなよ」

 理由が分かっているくせに、ジョウはそう答えた。

 



「おじさん、僕がリコさんといるから嫉妬したんでしょ?」

 太郎はジキルの手を引きながら、嫌味たっぷりに尋ねた。


「黙れ、ガキ。子供は余計なこと気にしなくていいんだよ」


 しかし、太郎は黙らなかった。


「おじさん、ジキル・ハイドでしょ?リコさんから聞いたよ」


「本当か?」ジキルは、途端に嬉しそうな顔になった。「坊や、リコさんは俺のこと、なにか言ってなかったかな?」


「言ってたよ。カッコウつけてばかりいる、子供じみた男だって」

「…。」


 黙り込んだジキルを見て、太郎はケタケタと笑った。


「おじさん、ショック受けてるんでしょ?」

「黙れ、ガキ。子供は余計なこと気にしなくていいんだよ」

 



 その頃、ジョウとリコは近くの広場のベンチに腰掛けて、太郎について話していた。


「なァ、リコさん。あの太郎とかいうガキは、いったい何者なんだ?」


「殺し屋よ」


「殺し屋?あんな小さな子供がか?」


「小さかろうが大きかろうが、立派な殺し屋を育てるのは、あたしにとってたやすいことよ」


 それまで遠くを見ながら缶コーヒーを飲んでいたジョウは、驚いてリコに向き直った。


「何?じゃああのガキは、アンタの弟子だってのかい」


「そうよ。あの子は昔から、あたしを慕ってくれてるわ」


「昔から…。太郎はいつから、殺しをやってるんだい」


「4年前よ。あの子はある日、突然あたしの元へやってきたわ。かっこいい殺し屋になりたいから、ぜひ教えてくださいって」リコはツン、とアゴを上げて、ジョウを煽るように微笑んだ。「彼、あたしにプレゼントまでくれてね。本当に熱心に、あたしに頼み込んだの」


「プレゼント?」


 リコの傲慢で高飛車な態度を完全に無視して、ジョウは聞き返した。それが少しシャクに障ったようで、リコはますますツンとして答えた。


「人間の骨よ。あの子が殺して、バラバラにして持ってきたのよ。僕はこれだけのことができるから、どうか弟子にしてください、って」


 リコが話し終わると、それまで黙って話を聞いていたジョウが、突然立ち上がった。


「いま何と言った?」


「え?」突然ジョウが発した鋭い声に、さすがの女大悪党リコも、動揺を隠せなかった。「だ、だから、人間をバラバラにして、持ってきたって…」


 その言葉に、ジョウはイライラと頭を掻きむしった。それから、心を落ち着けるために深いため息をついたかと思うと、再びリコに噛み付く勢いで問いかけた。


「なァ、殺された人間の、性別は分かるか?」

「太郎は、女と言っていたわ」


「年齢は?」

「さあ…でも、成人の女性だと…」


「髪の長さは?目の色は?バストは何センチだったんだ!」

「知るわけないでしょう!あたしの所に持ってこられたときは、バラバラになって箱に入ってたんだから!」


 ジョウもリコも、ピリリとした緊張感のせいで、怒りっぽくなっていた。2人はそっぽを向いてしまい、何となく気まずい空気が流れた。


「…なァ、殺されたヤツの名は何だ?」

「だから…」


 未だしつこく尋問してくるジョウに、強く言い返そうとして彼を見上げたリコは、しかし何も言えぬまま赤いグロスの口を閉じた。


 ジョウは先ほどのように遠くを見ていたが、それを見据える目が正常ではない。額から流れ出た汗が、アゴを伝ってポタリと落ちたとき、ジョウはようやく口を開いた。 


「殺されたのは、ジキルの姉かもしれねえ」


 リコの目が、大きく開いた。彼女は今や、冷静な大人の女性の仮面をつけることを、忘れてしまっていた。

 



 ジキルと太郎は、ジョウとリコのいる広場から、少し離れた公園の鉄棒に腰掛けていた。


 と、太郎が、背負っていたカバンから1冊の本を取り出した。夢中になって読み進める太郎を見たジキルは、少し体を曲げて、表紙を覗き込んでみた。 


 それは青と黄色の表紙で、黄色い部分にはピカソの絵が描いてある。「ライ麦畑でつかまえて」だった。


 ジキルは、ビートルズのジョン・レノン暗殺事件を思い出した。



 ジョンを射殺したマーク・チャップマンという男は、「The Cather In The Rye

(「ライ麦畑でつかまえて」の原題)」を愛読していたらしい。



 ジキルは何となく、太郎が狂気に満ち満ちた、恐ろしい少年に思えてきた。


 そのときだった。


 公園の前に突然青い車が停まったかと思うと、その窓が開くと同時に、聞き覚えのある声が飛んできた。


「ジキル。ちょっと来てくれ」


 ジキルは太郎をほったらかして、すぐさま車の方へとんでいった。


「何だ?ジョウ」


 ジキルが車内を覗き込むと、運転席のジョウと後部座席のリコが、同じような青い顔をしていた。ジキルは抜き差しならない事態だと察し、すぐに助手席に乗り込んだ。


「何だ?ジョウ。何があったんだ」


「ジキル。お前の姉貴が殺されたのは、何年前だ?」

「4年前だ」


「日時は?」

「3月2日。姉貴は21時半頃、恋人に会うため家を出たが、とうとう帰ってこなかった。しばらくして、姉貴のバラバラになった骨が見つかったんだ」 


 ジキルの言葉を聞いて、ジョウとリコは顔を見合わせた。リコは、真っ白な顔でうなずいた。


「なァ、いったい何だってんだ?何だって、突然そんなことを聞くんだ」


 ジキルがやや苛立ちながらジョウに問うたので、ジョウは重々しく、口を開いた。


「間違いねえ。お前の姉貴を殺したのは、あのガキだ」


 それを聞いたジキルの瞳が、さあっと、恐ろしいものに変わった。


「そうだよな?リコ」

「ええ」ジョウの問いかけに、リコは震える声で答えた。「太郎が骨を持ってきたのは、3月2日の23時半頃だったわ」


 ジョウとリコは、同時にジキルを見た。その頃には、ジキルはハイド氏に変貌し、大きな目をギラギラと光らせ、全身に怒りをみなぎらせていた。それを見た者は誰も、恐ろしい思いをせずにはいられない。ジョウとリコの背筋にゾクリと冷たいものが走り、嫌な汗がつーっと流れた。


「ガキを殺す」

 ジキル…いやハイド氏が、恐ろしい発言をした。


「ジ、ジキル」リコは、これまでにないほど謙虚に、遠慮がちに声を出した。「あたしが悪いのよ。あたしが殺し屋なんかしてなかったら、太郎があたしの元へ来ることも…」


「女は黙ってな」ハイド氏は、普段のジキルでは考えられないほど冷たい声を、リコに浴びせた。「お前が殺し屋だろうが何だろうが、そんなことは問題じゃあない。問題はただひとつ、あの糞ガキが俺の姉貴を殺したという事実だけだ」


 突き放すように、しかし、のしかかるように重く言われて、さすがのリコも素直に黙るほかなかった。


「ジョウ、ハジキを貸せ」


 ジョウは素直に、常時ズボンのベルトに隠している、ニューナンブM60を取り出した。



 彼は4年前、姉を殺され悲しみに暮れていたジキルを忘れていない。ジョウは幼い子供の命を奪うことは、あまり好きではなかったが、相棒ジキルの心を傷付けた太郎の方が許せなかった。



 そして、黙ってハジキをハイドに手渡すと、リコの方を向いた。


「女、出ていけ」ジョウは低くつぶやいた。「アンタは邪魔だ」


 リコは何も言わず、涙も見せず、ただ言う通りにした。彼女が扉を閉め、見えなくなるほど遠くへ行ってしまったのを見て、ジョウはハイドの方に向き直った。


 ハイドは何も言わない。なので、ジョウも何も言わなかった。




 ハイドは怒りで震える手で、弾をひとつ、ジョウから受け取った。それをゆっくりと拳銃に込め、しっかりと、鉄棒に座って本を読む少年に向けた。無心になり、怒りも手の震えも治まった。


 拳銃にかけたハイドの指が動いた。ジョウは少し、うつむいた。

 



 公園に停まったパトカーの、サイレンの音がけたたましく鳴っている。


 平和で喜びにあふれているはずの小さな公園には、数々の悲鳴と、ひとりの少年の血の香りが充満していた。


 少年は、ニューナンブM60で撃たれていた。苦しんで死んだ様子はなく、薄く開いた瞳には、光はないが色は残っていた。それは、深い深い、落ち着いた黒だった。


 殺し屋として生きてきた少年は何者かによって殺され、面白いほどあっけなく、この世を去った。


 少年の手には、作家サリンジャーの有名小説「ライ麦畑でつかまえて」が、しっかりと握られていた。

 



「これで、姉貴の仇が取れたってワケだ」

 別の街に向かって走り去ってゆく、青い車の助手席で、ジキルはタバコの火をつけながらつぶやいた。その声は、ひどく満足げだった。


 ジョウは何も言わずに、太郎のことを考えた。これでジキルが復讐を果たせたとは言え、ひとりぼっちで地獄へ落とされた少年を思うと、彼は胸を痛めずにはいられなかった。

 

 …He is a real nowhere man, sitting in his nowhere land…

 

 不意に、ビートルズの「ひとりぼっちのあいつ」が、ジキルの頭をよぎった。


「Making all his nowhere plans for no body…」


 いつの間にやら、ジキルは歌を口ずさんでいた。何年も昔にレコードから聴いたジョンの声が、自分の唇から滑り出てくるようだった。

 

 …Doesn’t have point of view,

  Knows not where he’s going to…

 

「…Isn’t he a bit like you and me?

      Nowhere man, please listen,

      You don’t know what you’re missing…」