こんにちは、あすなろまどかです。
前回の記事で宣言した通り、小説「ジキルハイド」を掲載します。
第1話 殺し屋の女(前編)
あるところに、不思議で不穏な街があった。殺しが当たり前の街である。
そこに、2人の男が訪れた。どちらも目つきがひどく悪い男で、そのうちの1人は、カッコウつけて眼鏡を頭にかけていた。
眼鏡でない男の名は、ジキル・ハイド。彼は全てを飲み込んでゆく不思議な男である。颯爽と現れ、颯爽と闇に消えてゆく。言葉遣いは時たま昭和に帰るが、基本はアメリカン・スピーキングである。
彼はマイセルフ・パワー・オブ・ライヴでいることをトコトン好く、カッコウいい男だ。女を口説くその裏で、根性のないヤツらは容赦なく殺す。
スティーヴンソンの有名小説、「ジキル博士とハイド氏」にのっとって、彼はこう呼ばれるようになったのだ。彼は何の前触れもなく、突然ハイド氏に豹変する。普段のジキルがいつ姿を消すか…それは誰にも、分からない。
国籍、本名ともに不詳の、恐ろしい男である。
眼鏡の男の名は、男原 女憂(なんばら じょう)。ジョウと呼ばれる男だ。彼は数多く存在する男の中でも、最も男らしい男である。彼は男を具現化した男だが、その瞳は女のように艶かしく輝く。その光は、時にあのジキルをも惑わせる。
人間らしいが、らしくない…そんなアンバランスな心が、魅惑的な色気となって踊っている。その色気は、まるでヴァイオレットの煙のようだ。
男と女の狭間で揺れる、男原 嬢(なんばら じょう)…彼は気まぐれなジキル・ハイドのそばにいるのに、最もふさわしい人物である。
そしてこの男もまた、ジキル同様に本名不詳である。
そんな妖しさに満ち満ちた男2人が、血の香る異常な街に足を踏み入れたものだから、そこに立ち寄っていた真っ黒いカラスも、カアと一声鳴いて飛び去っていった。街の住人であるキチガイたちも、ジキルとジョウの言葉にできぬ恐ろしさには、尻尾を巻いて遠くへ逃げる他なかった。
彼らに用があったかと言えば、そんなことはない。むしろ暇でなかったら、こんなキチガイの住む下品な街に、ジキルもジョウも寄ろうとしなかっただろう。
彼らの心の奥底には、エロチシズムで薄く隠された上品さがある。そのヴェルヴェットのような品の良さを靴底でタバコ同様に踏みつぶしながら、2人はこの街にやってきたのだ。
「どうだ、ジキル。暇つぶしはできそうか?」
不敵な笑みを薄く浮かべて街を見回すジキルに、ジョウも笑顔で尋ねた。
「ああ。なかなかいい街じゃねえか」
「品のいい街とは、言えねえがな」
「品はなくとも、殺しの匂いがプンプンするぜ。それだけでも、充分な存在価値がある街さ」
ジキルらしい言葉に、ジョウは思わず笑い声を漏らした。ジキルも、楽しそうに笑った。
と、向こうから、3人の男が乗った黄色い車が、残り少ないガソリンでガタガタと走ってきた。彼らの声をジョウは聞き逃したが、ジキルはすれ違った一瞬の会話を耳に残した。
「お前、マジであの殺し屋に会いに行く気かよ」
「正気じゃねえぜ」
ジキルが突然回れ右をして、猛スピードで車を追いかけだした。ジョウはたいそう驚き、ワケを聞く暇もなくジキルを追いかけた。
「おうい!そこの車ァ。止まってくれえ!」
ジキルが目いっぱい手を振りながら、車の音に負けないほどの大声で叫ぶと、車は止まった。
「なんだ?誰だ、アンタ?」
後部座席に乗って窓を開けていた1人の男が、ジキルの顔を見ずに尋ねた。
「ジキルだ。ジキル・ハイド」さっさと答えて、やっと追いついてきたジョウを指さす。「コイツは男原嬢だ。いま俺たちは、暇で暇でしょうがなくてね。人生を無駄にするのももったいないんで、ウンと面白いことを探してるのさ。そこでだ、」妖しく微笑んだジキルの瞳が、ギラッと光った。「乗せて、連れてってくれないか?さっきアンタらが話してた、殺し屋の所にね」
「本気で言ってるか?」はじめにジキルと口をきいた男の、隣の席の男が、窓から身を乗り出して尋ねた。「殺し屋だぜ?殺されるかもしれねえんだぞ」
「殺し屋が人を殺して、何がおかしい」
「何もおかしいことはねえよ」平然と答えるジキルに、今度は運転手が声をかけた。「だがな、危険だと、そう言ってるんだ。俺もアンタと同じで殺し屋に会いたいと思ってるが、殺される覚悟はできてる」
「そんなもん、俺だってできてらあ」ジキルは、男の言葉にかぶせるように言った。「乗せろよ。死ぬのが怖いと思ったことなんて、1度もないね」
「だがな、ジキル」それまで黙って会話を聞いていたジョウが、やっと口を開いた。「死ぬのと殺されるのとでは、大違いだぞ」
「大違いだって?笑わせるぜ。体が冷えて意識が戻らないのは一緒じゃねえか」
ジョウは呆れてため息をつき、「どうぞご勝手に」とつぶやいた。
「なあ、いいだろう?乗せてってくれよ」
「仕方ねえな」タコのようにしつこいジキルに、とうとう運転手の男も折れた。「めんどくせえが、人数が増えて困るということは、特にねえからな」
「ありがとう」
こうして、ジキルとジョウは狭い車内に無理やり乗り込み、殺し屋の元へと向かった。
「アンタら、なぜ殺し屋を探してるんだい?」揺れる車内で、運転手の隣の席に座ったジキルが尋ねた。「何か目的があるのか?それとも、俺たちと同じで、暇つぶしかい?」
「暇つぶしと言えば、暇つぶしだな」運転手の男は、左にハンドルを切りながら答えた。「その殺し屋は、絶世の美女だそうだ。そうと分かれば、殺し屋とて会いに行かねえ理由はねえだろ?」
「そりゃ、確かにそうだ」
ジキルと運転手は笑った。
後部座席では、男2人とジョウが、前の2人を呆れたように見ていた。
「呆れたな」
「まったくだ」
男とジョウの短い会話に、もう1人の男も同調した。
「ここはキチガイが多い街で、俺もそうだけどよ、自分から殺し屋に会いに行くほどではねえぜ。いくらそいつが、絶世の美女だったとしても」
「ああ、俺もそう思うよ」うなずくジョウ。「ジキルたちは、並み大抵のキチガイじゃねえな」
「オイ、さっきから人をキチガイ、キチガイと…」
運転手の男が振り返って文句を言いかけたが、皆がそれを最後まで聞くことはなかった。銃声が鳴り響いたかと思うと、動揺している間に彼は死んでいたのだ。
運転手を失った車は目的をも失い、近くの大木にぶつかって派手に転倒した。
「な、何があったんだ!?」
「男が殺された」ヒステリー気味に叫ぶ後部座席の男たちに、ジキルは静かに答えた。「ということは、この辺りが目的地だろうな」
ジキルら4人は逆さまになった車からそっと這い出ると、注意深く辺りを見回した。
「殺し屋は…殺し屋は見えるかい」
1人目の男が、震える声でジキルとジョウに尋ねた。
「いや…ここからは見えねえな」
ジキルが答え、
「まったく、どこ行きやがった」
ジョウは文句を言った。
「俺、殺し屋を探してくるよ」
ジキルの言葉に、他の3人は驚いて目を見開いた。
「何?お前、1人で行くって言うのかよ!」
「アンタは本物のキチガイだぜ!」
「死んじまうよ!」
口々に言う3人に、ジキルはイライラしたように言葉をかぶせた。
「黙れ、この能無しどもが!お前らが殺し屋に近付く勇気がねえことくらい、こっちは分かってるんだ。せいぜいそこでうずくまって、キチガイと能無しのどっちがマシかでも考えてろ!
俺は1人で行って、殺し屋を犯してやる」
啖呵を切ったジキルは、その勢いのまま、ずんずん向こうに消えていった。
「おうい、殺し屋ァ」ポケットに手を突っ込んで歩きながら、ジキルはどこへともなく呼びかけた。「出てこいよ、女ァ。それとも、なんだ?俺が怖いのかよ?」
最後の言葉を言い終えるか終えないかのうちに、1人の女が近付いてきた。ジキルはそっと身構えながら、女が自分のそばに来るのを待った。
やってきた女は、美しい黒髪の美人だった。黒真珠のような高貴な輝きを放つ瞳を、女はジキルに向けた。
「あたしは、殺し屋じゃないわ」
女はジキルの前で立ち止まり、形のいい顔に綺麗な微笑を浮かべて、口の端を少し持ち上げた。色っぽく柔らかい、とろけるような声だった。
「だが、殺し屋は絶世の美女って噂だぜ。それとも、その噂がウソなのかな?」
ジキルの言葉に、女は笑った。
「まあ、そりゃあ疑いたくなるわよね。あたしみたいな美女は珍しいわよ」
「ああ」
少しの間(ま)の後、女は再び口を開いた。
「あたしの名は境リコ。殺し屋を探してるの」
「俺はジキル・ハイドだ。アンタと同じで、殺し屋を探してる。しかし…」ジキルは顔をしかめて、境リコという女を見つめた。「アンタ、本当にその殺し屋じゃねえのかい?どうも怪しいぜ」
「ウソだったら、殺してもいいわよ」
真剣に答えたリコに、ジキルはますます顔をしかめた。
「言ったな。ウソが分かった途端に殺すぞ。アンタが拳銃をこっちに向けるような仕草があれば、すぐに殺すぞ」
「ええ」
「よし。ついてこい。俺の仲間がいるんだ」
ジキルが見知らぬ女を連れてジョウたち3人の元へ戻ると、彼らはサッと身構えた。
「待て。この女は境リコだ。俺たちと同じで、殺し屋を探しているらしい」
「そいつは女だぞ。殺し屋も女だ。怪しすぎるだろう」
ジョウの言葉に、ジキルはうなずいた。
「俺もそう思う。しかしこの女は、もしウソをついていたら殺しても構わないと言った。少しでも怪しい行動をしたら、ブッ殺して、遊ぶなり犯すなり好きにしようぜ。それでいいんだよな?」
「ええ」
リコがうなずいたので、ジョウたちは警戒心をむき出しにしながらも、拳銃へと伸ばしかけた手を下ろした。
「それで?アンタはどうして、殺し屋を探してるんだい」
ジョウが低い声で、つぶやくように尋ねた。
「遊ぶためよ」
「遊ぶため?」少し意外だったのか、ジキルが興味深そうに割り込んできた。「おっかねえ殺し屋と、一体何をして遊ぶっていうんだよ。暇つぶしってことか?」
「暇つぶし…そうね…」リコの瞳の奥が、猫のように妖しく光った。「暇つぶしかと聞かれれば、そういうことになるわ。でもあたしは、殺し屋と遊んで暇をつぶすわけじゃないの」
「どういうことだ?」
ジキルの声が低くなった。
〜第2話へ続く〜